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第07話 反対運動の実態

 彼は中へ入った。薄暗い内部には数人の男女が座り、段ボール箱で作られた机の上にはチラシの束が積まれていた。全員の視線が桐嶋に集まる。その中で、一人の女性がゆっくりと立ち上がった。新城しのぶだった。彼女は辺野古の活動で十年以上を費やした古参だ。


「あんたが探偵さんか」

「遺族から依頼を受けた」


 桐嶋は床に置かれた空の木箱に腰を下ろした。背筋を伸ばし、両手は膝の上に載せた。警戒を解かないが、敵意も示さない姿勢だ。新城は湯気の立つ湯呑みを手に取り、一口含んだ。


「あの子は…変わってたよ」

「どういう意味で」


 彼の問いかけは短く、鋭い。新城は湯呑みを置き、遠い目をした。

「みんながシュプレヒコールしてる時も、あの子は一人でフェンスの外を歩いてた。カメラじゃなく、メモ帳を持って。数字とか記号を書いてたね」


 テントの奥から若い活動家が顔を出した。

「あ、それ。俺も見たよ。二回ぐらい、全然知らない人と話してた。基地側の人間っぽかった」


 桐嶋の指が微かに動いた。彼は無意識に、顎を擦る仕草を抑えた。

「外見は」

「一回は背広。もう一回は…作業服みたいな。でも綺麗すぎた」


 新城がため息をついた。湯呑みの縁を指で撫でる。

「こっそり聞いたんだよ。『基地の中のことを調べてる』って。それ以上は、絶対に話さなかった」


 テントの中が静かになった。遠くから重機の音だけが、低く響いてくる。桐嶋は立ち上がった。膝の関節が軋む音を立てる。

「最後に会ったのはいつだ」

「一週間前。妙に落ち着いてた。『もうすぐ終わる』って言って」


 新城の目が、桐嶋の顔をまっすぐに見つめた。その瞳には、届かない疑問の重さが沈んでいた。

「あんた…あの子が何を探してたか、知ってるのかい」


 桐嶋は答える代わりに、うなずいた。浅い、一度だけの頷きだ。彼はテントを出た。眩しい光が一気に視界を埋め尽くす。耳の奥で、被害者の言葉が繰り返される。『基地の中のことを調べてる』。彼女は単なる活動家ではなかった。フェンスの向こう側にある、闇の回路へ手を伸ばしていたのだ。


 その瞬間、彼の携帯電話が震えた。画面には、見知らぬ番号からの着信表示。桐嶋の背筋に、氷の柱が走る。桐嶋篤はテント村の影を離れ、白色軽トラックが視界にないことを確認してから自身の車へ歩いた。午後一時、アスファルトが陽に照らされ、熱気が足元から立ち上る。車のドアが開く音だけが乾いた空気を切る。


 彼はシートに深く沈み込み、エンジンをかけた。冷房の風が汗ばんだ首筋を撫でる。両手がハンドルを握りしめ、関節が軋む。テント村の言葉が頭蓋の内側で響く。『基地の中のことを調べてる』。『数字とか記号』。彼の視線はフロントガラスの向こう、名護市街地へと続く道を捉えているが、意識はAN/PRC-百六十七の図面と十一桁の数字へと吸い込まれていく。


 車は国道を滑るように走り出す。左手はハンドルに、右手は助手席のナイロンバッグの上に置かれた。中身の拳銃の硬さが布越しに伝わる。信号が青から黄に変わる。彼はアクセルを緩めず、速度を計算して交差点を通過した。背後からクラクションが一声、遠のいていく。


 名護のコーヒーショップまであと十五分。彼はその時間で、点を線に繋がなければならない。被害者のメモ。森脇のアパート。民宿の資料。すべてのモザイクが、一つの巨大な陰謀の輪郭を形作り始めている。胃の腑が冷たく締め付けられる。この輪郭の中に、娘の笑顔が入る隙間はない。


 対向車線をバスが轟音と共に通り過ぎた。その瞬間、サイドミラーに一瞬映った黒いセダンが、二台後方を同じ速度で付いてきているように見えた。桐嶋の眉が微かに動く。彼は速度を落とし、路肩のコンビニへウィンカーを出す。


 黒いセダンは何事もなく通り過ぎた。彼は店には入らず、その場で停車したまま、バックミラーを五秒見つめた。後続車は誰も止まらない。ただの気の迷いか。しかし、首筋の感覚は麻痺していなかった。監視は網の目のように張られている。彼が動けば、その震動は必ずどこかへ伝わる。


 エンジンを再びかけ、車線に復帰する。コーヒーショップの看板が遠くに見えてきた。彼は最後の直線路で、十一桁の数字をもう一度頭の中で反芻した。それは電話番号でも、暗証番号でもない。全く別の、『鍵』の形をしていた。名護市街地の一角にあるコーヒーショップは午後二時の静けさに包まれていた。桐嶋篤は窓際のボックス席に腰を下ろし、注文したアメリカンを一口啜った。熱い液体が舌を焼き、疲れた頭を微かに覚醒させる。彼の正面には軍用端末が開かれ、画面には十一桁の数字とAN/PRC-百六十七の図面が並んでいた。


 隣のボックス席から、低い男の声が漏れてきた。桐嶋の耳朶が微かに動く。

「…午後中の移動だ。上層部から直接だ」

「証拠品は全部か」

「リストにあるものはな。だが、原本の扱いは…」


 桐嶋の手がカップの縁で固まる。視線は端末の画面に据えたまま、呼吸を浅く整える。隣の声は続く。

「県警の連中はまだ何も知らん。こっちの指示が全てだ」

「タイミングが悪いな。あの探偵が動いてるって話だ」


 コーヒーの湯気がゆらめく。桐嶋の眉間に、微かな皺が寄る。彼はゆっくりとカップを置き、右手の親指と人差し指で顎を擦った。皮膚の下で顎関節が硬い。

「あいつは問題ない。こちらの監視下だ」

「それでも、移動中にぶつかったら…」


 椅子が軋む音。男が立ち上がる気配だ。

「心配するな。ルートは確保した。三時までに倉庫を空にしろ」


 足音が遠ざかり、ドアの開閉音が響いた。その後、もう一人の足音も消える。店内には再び静寂が戻り、豆を挽く音だけが規則的に鳴る。


 桐嶋の目が端末の画面から離れ、窓の外を流れる車列へと移った。証拠品の移動。上層部の指示。県警を介さない操作。これらの断片が、彼の頭の中で音を立てて噛み合った。警察組織の内部で、事件とは別の回路が動き始めている。


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