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『パラス・アテナ』Ⅱ カズイ・スチカ③


          *   *   *


 翌日、午前九時──。

「おはよう、チャールズ」

 ネプチューン本部、情報部オフィスに入ると、ホールデンは入口近くに座っている友人に話し掛けた。オフィスとはいえ、今や誰もがHMEでビッグデータにアクセス出来る──無論機密事項の閲覧には権限が必要だが──上、情報の”収集”は各国外務省や軍などが各々(おのおの)に必要なものを選り分けて行っているので、所属人員は少なく、室内に居るのも常時二、三人程度のものだ。

 今朝は、部長のチャールズ・ミリガンしか居なかった。

「モーニン、ホールデン。今日は休みか?」

「一応はな。一昨日は出撃、昨日は一日中検査だったんだから……ああ、でも、多分今日のうちにクラインフェルド大佐から命令が出される予定だ」

「予定? おいおい、そんな事事前に知らされるのかよ?」

 ホールデンはそこで「まあ」と言葉を濁した。具体的な内容が分からないが、「特別」と強調されている以上、命令の拝受自体がシークレットだったら困る。

 幸い、チャールズはそれ以上を聞いてはこなかった。

「で、ホールデンよ。昨日お前に頼まれていた件についてだが」

「もうやってくれたのか?」

「片方はデータベースを検索するだけだし、もう一件は──ちょっと手間が掛かったけど、オバディアが伝手(つて)を使ってやってくれた。あいつ、この国のシンクタンクに所属しているからそっち方面の有力筋とも人脈(パイプ)があるんだ」

「へえ……」

 ホールデンは、チャールズが名を出したエンジニアのデスクに視線を向ける。チャールズのも決して整頓されているとは言い難かったが、情報部最(・)高(・)戦(・)力(・)のそこは「散らかっている」を通り越して混沌(カオス)の域だった。

「オバディア氏は? 今日も出張か?」

「いや、欠勤だ。今日一日はアパートから出るつもりはないんだと」

「在宅ワークかな。忙しいなら、彼まで巻き込んで悪い事をしてしまったかもしれん」

「いや、いつもの怠慢だ。国内のスクリプトキディにアダルト画像をまとめたフォルダを覗かれて、ショックで起き上がれないらしい」

 チャールズは両手を広げ、呆れたような表情を浮かべた。

「凄腕ハッカーなのに、守りは笊なのかって思うだろ? ところがそれは疑似餌(ハニーポット)で、あいつは侵入して来た連中に逆にマルウェアを送りつけてバックドアを作っている。いざという時、国内あちこちにある端末を掌握出来るように」

「犯罪じゃないか、それ?」

「諜報機関なら普通にやっている事だよ。勿論、政府やネプチューンに申請を行う必要はあるけどな。まあIDが偽装されていたり、危険人物認定されていない民間人に対して仕掛けるのはルール違反なんだが、あいつは仕掛けて来た奴も後ろ暗いところがある以上、司法に訴え出る事は出来ないだろうし構わねえ、ってさ」

「オバディア氏の地球人ランクなら、先制攻撃してきたスクリプトキディに逆ハッキングを仕掛けるくらいは軽い注意で済みそうな気がするけどな」

 ホールデンは言う。「仕事の為なんだろう?」

「いや、意趣返しの為だそうだ」

 チャールズは、全く救いようがない、と言わんばかりだった。

「ちょっと自分を利口だと思い込んでいる、暇を持て余したデカいガキどもがどれだけ薄っぺらい人間なのかを見て愉しむのが娯楽なんだと。あいつの持論は、パーソナライズされていく端末は当人の精神世界の縮図、だからな」

「それじゃあ、今回も──」

「ああ、十中八九ずる休みだな。今頃あいつは自宅で、勇気ある可哀想な誰かさんの精神世界を丸裸にしているところだろう」

「勤務態度最悪だな……」

 天才=変人、などという安易な等式を立てるようなホールデンではなかったが、「天才かつ変人」であればやはり一定数は存在するらしい。ドラマの中ならいざ知らず、現実の企業では容赦なく「変人」の部分だけを改められるのが常だが──個性の尊重など入社試験では建前に過ぎない──、ネプチューンは徹底して実力至上主義だった。

「それはいいとして」

 チャールズはこちらに手招きし、自身のPC画面を示した。

「夜のうちにオバディアからデータは受け取っている。が、頼まれた順に見せるぞ。まず、軍嘱託医による検死解剖記録だ。そのうち、ランドールによって本部(ここ)で殺害された『教祖』たちの症例をピックアップした。

 ……正直なところ、俺も驚いた。これが本当に、一人のSディメンショナー、一種類のSDSによって引き起こされた事なのかと思った」

 ホールデンは、一覧表示された検死報告書に目を通していく。

 それらはまさに、千差万別だった。焼死──火元は囚人本人──、縊死、圧死──死体の変形によってそう判断された──、内臓破裂、生体解剖──四肢の切断から、旧日本の「活け造り」の如く腹を裂かれて内臓を取り出されたものまであった──、脳溢血や心臓麻痺、肉体の腐敗……よくもまあ、と思う程だ。

「次元屈折(リフラクション)は、ワームホールの発生による空間跳躍や光の屈折による虚像の投影、分子結合の屈折による同素体の生成など、幅広く応用が利く能力だ。今挙げたものだけでも、瞬間移動(テレポーテーション)や光子(フォトン)、分子(モレキュール)のSDSと同じような効果が得られる。勿論万能ではなく、識閾的制御の限界値が低い、能力の有効圏が狭いなどの点でオリジナルの能力には遥かに劣るが、まあ最強クラスのSDSと呼ぶ事に不都合はないだろう。……核ミサイルを跳ね返したという”伝説”がたとえなかったとしても」

 チャールズは言いながら、幾つかの行(レコード)にマウスカーソルを合わせた。

「ランドールは都市伝説の男だった。けれど、そのSDSが次元屈折(リフラクション)である事だけは確信を持って語られてきた。彼に殺されると口走り、その通りに変死を遂げた『教祖』たちは皆、それぞれが保持していたSDSの使用を仄めかす手順で殺害されている。分子の運動状態を司り高温を生み出す『発火能力者(パイロマニア)』は全身を焼かれ、擬似重力を使用する『重力子(グラビトン)』はプレス機で圧(お)し潰されたように体を圧縮されていた。

 このせいで、当初ランドールは能力のコピーもしくはベクトル変換を行うSディメンショナーだと思われていた。用済みとなった『教祖』を始末する為に独房に現れ、自身への攻撃を行った彼らを反撃により殺しているのではないか、と。しかし、言わずもがな収監中のSディメンショナーは正常化(ノーマライズ)手術を施される前、定期的にFC剤を投与されてSDSを封じられているはずだ。それにこれらの仮説では、監視カメラや赤外線センサーに一切痕跡を残さず本部に出入りしているという事に説明がつかない。

 判断の決め手となったのが、死体発見後に房内で時空波の異常が検知された事、そして彼らの死因に直結した現象が、本人たちのそれと同種の能力によるものではないという事が明らかになったからだ。発火能力者(パイロマニア)の焼死体からは微量ながらガリウムイオンが検出された。それで出火の原因が、照明に使われていた発光ダイオードの排熱──本来殆(ほとん)ど熱を発しないが、機器を通じてほんの微かには放熱する──を丁寧にも一点集中させ、蓄積させて解放したものである事が分かった。重力子(グラビトン)は、潰れた遺体周囲の空間歪曲の変化から、一時的に生成された超高密度の空間に押し込められた結果死んだと考察された。本人の擬似重力は、あくまで遠心力や加速を利用したものだから似て非なる能力だな。

 他にも色々と例はあるが、仮に本部への侵入が空間跳躍によるものだ、という仮説も含めて考えたら? いずれの可能性も当て嵌まるSDSを絞り込むと、現在確認されているものの中では次元屈折(リフラクション)以外に有り得ないんだ」

「やっぱり……」

 昨夜偶然耳にした、カイエンとリーによる拷問の様子。クー・クラックス・クランの男の証言について、裏が取れたな、とホールデンは思う。

 チャールズに調査を依頼した時点で、ホールデンにはまだ「大教祖(オーバーロード)」ランドールの輪郭が見えていなかった。昨夜は図らずも情報を得る事になった訳だが、既存の考察と直接接触を持った者からの新たな証言、双方が信憑性を補い合っている。

 ──という事は、やはり「ナポリ最後の日」再現に関する事も。

「で、次行くぞ」

 ホールデンの思考は、チャールズの台詞によって中断された。

 彼は導出表(ビュー)を閉じると、次の資料を表示した。同僚のオバディア・モイルによって検索された、サーペンタイン機関のレポートだ。

「ネプチューン軍による、国際紛争への介入。その記録には、必ずといっていい程戦災孤児の保護に関する記述が現れる。その一方で、ネプチューンのどの部署にもその後の彼らについての情報は保存されていない──」

 チャールズは、写真フォルダから一枚の顔写真を表示させた。

「ミアって言ったっけ、その子? PKOの過程で保護された子供たちのうち、身元不明の人物は便宜上国・地域名とナンバーで書類には登録されている。フォウ・クネイトラ、シリアのクネイトラで保護された四番目の身元不明児童──それがこの少女の呼称だ。時期は今から丁度五年前だな。その後、この名を持つ少女の記録は一切消失する。

 ところが、健康状態の記録を目的として調べられた諸々の身体情報のうち血液型や白血球などの普遍的なデータが完全一致する子供が、サーペンタイン機関による研究の被験体としてそちらの記録に現れるようになる。フォウとミアの場合、成長シミュレーション上で九十九パーセント顔が一致するからほぼ同一人物で確定だが、他の子供たちのデータにもこういった一致が散見される。……何を言わんとしているかは分かるな?」

 ホールデンは無言で肯く。凝固した唾液が、痛みにも似た感覚と共に喉の奥に呑み込まれて行った。

「サーペンタインが、被験体の子供を何処で得ているのかは記録されていない。ここに、軍との間で”裏技”が使われたのだろうと推測出来る根拠がある。即ち、PKOによって保護された身元不明の子供たちが、密かにサーペンタイン機関に供給され、人工Sディメンショナーに改造されているのではないか、という」

「それが、彼女の口にしていた超人計画か……」

「そして恐らく、既に被験体たちは超人兵部隊として公表可能な段階に入っている。彼女はケースがケースだけに直接的なS器官の移植を受けたようだが、ゲノム編集でS遺伝子──S器官の形成に関わる特殊な塩基配列を持ったDNA──の配列を生み出された被験体も、この分では既に完成形が出来ているんだろう」

「………」

 ホールデンは黙り込む。チャールズはそんな自分から何かを感じ取ったのか、矢庭(やにわ)に声を低めて聞いてきた。「人道に反する事──だと思うか?」

「……分からない」正直に答えた。「身体改造なら、俺たち特制兵も同じ事をやっている。遺伝子操作だって、昔はタブーだったようだけど……」

 自分のように、正常化(ノーマライズ)手術によってS器官を切除された元Sディメンショナーは社会での存在を許され、結婚する事も、子供を持つ事も出来る。しかし、正常化(ノーマライズ)手術はS遺伝子そのものをノーマルに変化させるものではない。元Sディメンショナーに子供が出来た場合は、子供が胎内に居るうちにゲノム編集が行われ、S遺伝子の継承が阻止されるのだ。

「倫理も結局は、その時代の人が決めるルールだよ」

 チャールズは言い、ウィンドウを閉じた。

「この件が抱える本当の”捻じれ”は、Sディメンショナーを駆逐する為にSディメンショナーを利用する──畢竟、その一点にあるんじゃねえかと俺は思う」

「良心の限界……」

「そうだ。それに関する対策については、サーペンタイン博士に直接聞くしかねえな」

「ミアは──彼女は、超人兵として戦う事に納得しているんだろうか?」

「納得も何も」チャールズは頭(かぶり)を振る。「そういう自分の価値観での判断は、あの子に求めるものじゃないかもしれんぞ。彼女は、戦場の掟に忠実だ。そういう風(ふう)にマインドコントロールされているらしいからな」

「えっ? それは──」

「サーペンタイン機関に、じゃねえ」

 チャールズはその時だけ、本当に気の毒そうに言った。

「お前は聞いたんだろう、あの子がマフィアにシリアへ売り渡されて、ゲリラで少年兵部隊に参加させられていたって事を? その時だよ、軍の上官から相当な過激思想を刷り込まれたようだ。今じゃ大分マシにはなってきているけど、未だに自分の中に善悪の判断を持てていないらしい。命令に従う事、ご主人様を守る事……そういえば、検査の過程でフォウ・クネイトラには男性経験があった事が分かっている。あの見た目だ、事によると、特定の軍人から愛人兼用心棒として扱われていたのかもな」

 可哀想だよな、と言うチャールズに、ホールデンは「もしかしたら」と思った。

 ──確かにミアには、そういった部分が未だに残っているのかもしれない。しかし、同時に彼女を動かしているのは、移植されたS器官からの指令ではないのか。人工とはいえSディメンショナー、ノーマルより”進化”した彼女に、本能的な特別意識が萌していないと誰が証明出来るだろう?

 ──良心の限界。

 はっきりとそう言い切る事が出来ずとも、それをノーマルに対して容易(たやす)く向けるという点でホールデンがSディメンショナーを憎んでいる事は事実なのだ。

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