『パラス・アテナ』Ⅰ パラス・アテナ④
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分断されたデルタ分隊に対して、元来の数での劣勢を取り戻そうとするかの如く一人大隊ゲオルゲは容赦がなかった。役所公園までの二百メートルの道路を、分身たちはびっしりと埋め尽くしている。
行列の内側でデルタが交戦しているらしく、倒された分身が再統合され消失する微光が随所でマズルフラッシュの如く爆ぜていた。
それさえ見えていなければ、ホールデンもクラインフェルドも、この同一人物の群れにグレネードを投げ込む事を躊躇わなかっただろう。どれだけ爆弾の威力が高くても、一撃で全員が即死するとは思えない。動けなくなった大部分を一人ずつ確殺し、一人に戻ったところでFC弾を撃ち込み拘束する──それだけであれば、左程難しい事ではない。
特制軍は、Sディメンショナーを淘汰する為であれば形振りを構わない。自国民に対しても容赦なく銃を抜き、”排除”する事を厭わない。それでも、戦場に於いてある状況に代替的な対処法が存在すると判断される時、味方を直接的に手に掛ける方法を採る事は暗黙の禁忌となっていた。
理由は人倫以上に、特制兵が同士討ちに慣れる事で良心を麻痺させ、Sディメンショナーと同様にその限界を迎えた怪物となる事を防ぐ為だった。人体の可能性の内に留まりながらも通常の従来人類を遥かに凌駕する能力を持っている点では、特制兵もまた良心の限界が目に見える存在である。その上自分たちはアムリタを服用し、殺人行為への忌避感を極限まで薄められている。
「混戦状態だ。BIFFの確認を怠るなよ」
ホールデンはメンバーたちに言い、海に飛び込むように人流へと身を躍らせた。
銃器はなるべく使わない。強化筋肉の身一つを武器とし、手につく分身の肉壁を穿ち、引き裂き、踏み潰しながら泳ぐように仲間との合流を目指す。
「大佐! 司令! リヴァイアサン! 何処にいらっしゃるのですか!?」
「デルタ分隊、応答せよ! 暗号名ケートス!」
「大尉!」
くぐもった声で、少し先からデルタの分隊長が叫ぶ声が聞こえてきた。見ると、彼──ケートスのコールサインで呼ばれるヒューストン少尉が人垣の中から片腕のみを覗かせ、ホールデンたちの方に振っていた。
「クラーケン! こちらです!」
また細かな血液の雫が宙を舞い、すぐに発光──次元修正に伴う空間の歪み──と共に消失する。ホールデンはBIFFの詳細情報で素早く本人確認を行い、インカムに向かって「こちらブラボー分隊」と応じた。
「只今退路を開く! あと三十……いや、二十秒持たせるんだ!」
「イエス、サー!」
だが、その瞬間──。
空に掲げられていたヒューストンの腕が、閃光と共にちぎれ飛んだ。
すぐ傍で、ディーター、カイエンらがあっと叫ぶ。一瞬遅れ、轟音と共に衝撃が空気を伝播した。
それは、道路に犇めくゲオルゲの分身を複数掻き消しながら相殺され、直接ホールデンらには届かなかった。但し、薙ぎ倒された多くの分身やデルタのメンバーたちの体が一挙にこちらに伸し掛かり、嫌な重量が襲って来た。
「うおっ!?」
倒れ込んだ分身たちは、今し方の衝撃で直接ダメージを受け、或いは他の分身の下敷きとなり、即座に絶命したようだった。最早見慣れた再統合が起こり、道路を埋め尽くしていたそれらがごっそりと消滅する。それによって、見るも無残な有様となったデルタのメンバーたちの姿がはっきりと見えるようになった。
ヒューストン少尉の立っていた場所の地面は、焼け焦げて大きな穴が開いていた。何が起こったのかは一目瞭然──彼の傍に居た分身が、密集状態で自爆したのだ。恐らく、手榴弾を懐に忍ばせていたのだろう。
ホールデンらの目の前に、半ば炭化した軍服の腕がどさりと落下した。
一瞬の後、ホールデンは我に返って叫んだ。
「個人翼の展開急げ! 生存者は空中に退避!」
「ハリー、防御殻を!」
ディーターが、叫びつつこちらに向かって飛び掛かるように動いた。銃を構えたホールデンの両腕を下げさせ、尺骨の辺りに装着された一人分のシールドを手動で開く。これも個人翼と同じく神経への直接接続で操作が可能だが、その一瞬、ホールデンにそちらへ気を回す暇はなかった。
亀の甲羅のような、弾力のある生体組織──強化筋肉と同様の癌化した筋細胞──製のシールドが眼前で膨張した。相棒に背後から抱擁されるような姿勢のまま、ホールデンは一瞬が消耗され尽くすのを知った。
再び、分身の誰かが自爆を行った。ホールデンの警告によって反射的に個人翼を開きかけていたデルタの隊員たちが、突如生じた光焔に包まれ、吹き飛ぶ。ホールデンもディーターも、ブラボーの他のメンバーたちも、各々展開した防御殻の陰で叩きつける衝撃と熱風をまざまざと感じた。
それが去った時、恐る恐る顔を出すと、道路の肉壁は喪失していた。
今度の自爆は”誰か”が行ったものではなかった。もっと大人数の分身たちが、なるべく多くの「三叉鉾」の兵たちを確実に仕留めようと図ったのだ。大勢居た彼らも、最初の自爆を耐えた味方も、既にそこには居ない。
否、厳密にはゲオルゲの分身には数人の生き残りが居り、そこからまたじわじわと増殖が起こり始めていた。
「奴には……痛みというものがないのか?」
ベンジャミンが、茫然自失の声を発した。「分身の死後、記憶が再統合されれば、死の瞬間に味わった苦痛や恐怖が思い出される記憶として残る……分身とはいえ自分の片割れを、よくもまあそう使い捨てられる……」
その時、無線からクラインフェルドの声が響いた。
『こちらリヴァイアサン。クラーケンへ』
「こちらクラーケン、感度良好。……大佐」思いの外暗鬱な声が出た事に、自身で驚く。
『BIFFの識別圏内にそちらを確認した。……ハング大尉、まずはそちらの生存を喜ぼうと思う。今し方、貴様たちの目撃したのと同様の攻撃がチャーリー分隊に対し行われた。隊の半数が即死、生存者も多数が重傷を負っている。過去に類を見ない死傷者数だ。故に、現時点での作戦の続行は困難と判断する』
大佐も、その声に無念さを滲ませていた。ホールデンの表情の変化を見て取ったらしく、ディーターが「ハリー……」と声を掛けてくる。
『十分程前、ルーマニア本国の治安部隊と特制軍が内陸の防衛ラインを突破したとの情報が入った。我々は一旦後退し、現地部隊と合流して態勢を立て直す。トルコの過激派が到着するまで、最低でもあと四時間はある。それまでに反撃に移れれば、まだ作戦成功の希望は残っている。エコー、フォックストロットにはこちらから繋ぐ、貴様たちは可及的速やかな戦線からの離脱を図れ』
「……イエス、サー」
ホールデンは答えながら、その超人的な視力で、視界の彼方に無線機を顔に当てたまま銃を構えるクラインフェルドの姿を目捉していた。彼が直接率いるアルファ分隊の者たちも、武装の上に黒ずんだ血をべったりと付着させている。
その周囲では、ゲオルゲが更に分裂しながら何事かを叫び、じりじりと包囲網を再構築しようとしていた。
自動翻訳用ソフトを切っておいて良かった。ゲオルゲの声の調子からは、得も言われぬ侮蔑的なものが感じ取れた。その意味が理解出来ていたら、自分は自分を抑制しきれなかったかもしれない。
そっと視線を外すと、ホールデンは仲間たちに向き直った。彼らは、分隊長が何の命令を受け取ったのか薄々予想はついているようで、一様に暗い表情を湛えていた。
「ヒューストンたちが死ぬなんて……」
「言うな、トールマン」
皆の気持ちを代弁しようとしたリーを、ディーターが素早く制した。「異常人類どもへのこの借りは、絶対に俺たちで返してやる。だから今は……」
彼はこちらに目配せしてくる。ホールデンは肯き、
「速やかにムルファトラル方面へ移動する。その為に、まずは敵側の包囲網形成を断固阻止せねばならない。皆、色々思う事はあるだろうが今は堪えろ。逃げた敵に対して、深追いは厳禁とする」
てきぱきと指示を行った。
今し方、ディーターはSディメンショナーの事を「アブノーマル」と呼んだ。これは、彼らに対してSDSを持たない従来人類が「正常」と呼称される事からのブラックユーモアで、彼らへの最上級の侮蔑表現だった。
そう呼称したくなる気持ちも痛い程理解出来る。だが同時に、ホールデンは身近な誰かの口からこの言葉が飛び出す度に、自分自身の存在を考えて鳩尾に疼痛が走る気がする。
ホールデンは、今の自分をノーマルだと思っていた。正常化手術を受け、S器官を切除しているのだから。しかしその一方で、自分にはまだそれが起こるのだ──固有曲率の近しいSディメンショナーが近くに居る際に発生する”共鳴”が。
自らの過去について、クラインフェルドは勿論、「三叉鉾」に所属する殆どのメンバーが把握している。最初こそ奇異な目で見られたものの、同期のディーターが積極的に周囲へと働き掛けてくれた為、現在「元」という部分に注目してホールデンに差別的な扱いを行う者は居ない。カイエンも時折無遠慮な発言をして顰蹙を買う事はあるが、それを彼が自分を憎んでいる故でない事もホールデンは理解していた。
「三叉鉾」は国際機関に含まれている故、一般人に紛れ込んでいるSディメンショナーを”検挙”するという事はほぼない。たまたま歩いていて近くでSDSらしき能力の使用を検知したら現行犯逮捕を行う、というくらいで、ネプチューン本部のあるニューヨークのSディメンショナー検挙は基本的にストロングホールド体制下の米国特制軍や、USMS(United States Marshals Service:連邦保安官局)の特殊作戦群が担当する。
もしもホールデンがそちらに所属していたのなら、正常化されて危険のみを取り除かれ、残った”共鳴”が蛇狩りに大きく貢献しただろう。そのような指摘はしばしば受けたが、ホールデンの求めたものは戦場に出る兵士としての「軍」への所属だった。
そのような事を考えていた為か──。
ふと、ホールデンは眉間に疼きを覚えた。アルゲンタヴィスに搭乗して上空に居た際、未だに見なくなる事のない悪夢から覚めた瞬間に感じたものと同じ。
共鳴だ。クラインフェルドはそれが強力なSディメンショナーであるゲオルゲとの間に発生したものだと推測していたが、先程からの戦闘ではその”本人”が増殖しようと、それは感じられなかった。いや、正確には共鳴は起こっていたのだろうが、自覚し、意識を向ける程の強度ではなかった。
単に、今共鳴の事を思考に上らせたからという可能性もあった。
しかし、そうでなかったとすれば──ホールデンは考える。
この街への降下前に感じていた共鳴が、そもそもゲオルゲに反応してのものではなかったのだとすれば。その場合、更に強力なSディメンショナーが近くに存在するという事になる。しかも、戦場に突入する以前から。
刹那、矢庭に共鳴が激しくなった。ホールデンは「うっ!?」と呻き、反射的に頭を抑え込む。分隊のメンバーたちが、ぎょっとしたように自分に視線を集めた。
「お、おい、ハリー──」
ディーターは言いかけ、はたと口を噤んだ。
それが合図だったかの如く皆の視線はホールデンを外れ、上方に向いた。誰も一言も口を利かず、それはゲオルゲの分身たちもまた同様だった。




