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『パラス・アテナ』Ⅲ フニクリ・フニクラ⑧


          *   *   *


 復元された王宮の北部に位置する植物園(オルト・ボタニコ)は、宮殿の建物と同じく近年ヴェスヴィオ周辺の再建計画に伴って作り直されたものだった。宮殿が大学の建物だった時代、この庭園も大学付属の植物園だったらしいが、レプリカとなった宮殿が学び舎(や)として利用されなくなってからもそこは大都市近郊の緑の名所として運営されていた。

 今日も暑い日ではあったものの、園内は旧時代通りの多種多様な木々に日差しが遮られ、時折涼しい風も吹き抜ける。ヒューズや彼の「特別授業」の受講者のみならず、散歩をする老人が休憩に立ち寄る姿がよく見られた。

 若者の姿もちらほらと見られる。そういえば、世間的にはもう夏休みなのだよな、とホールデンは考える。

 ビアンカはトランクから折り畳み式のイーゼルを取り出し、画材が入っているらしい大きなショルダーバッグと一緒に持って園内に入った。「持とうか?」と申し出ると、彼女はやや驚いたような顔をし、「それじゃあ、お言葉に甘えて」と言った。

「ハリー、結構紳士じゃない?」

 西の入口から歩いて数分の所に、それらしい老人の一団があった。七、八人で密集しているので人物同士が重なり合い、この距離からではホルスでの顔認証が上手く行かないが、近づけば誰がヒューズなのかは見て分かる事だ。

 ビアンカは彼らに近づくと、中の一人に「ボンジョルノ」と声を掛けた。相手はこちらを振り返り、ああ、と言う。「おばさんか」

「こらっ! おばさんと呼ぶなって言っているでしょ」

 ホールデンは、その人物が若い男だったので面食らう。年齢は二十代半ば程だろうか、一人だけ老人の中に居ると”場違い”感が否めない。が、最初ホールデンは全く彼に気が付かなかった。

 歩み寄った時、突如として共鳴が発生した。やはりこの中にヒューズが居るのか、と思ったホールデンは、一人一人の顔を見回して目を疑った。

 誰(・)も(・)、デ(・)ュ(・)ラ(・)ン(・)・(・)ヒ(・)ュ(・)ー(・)ズ(・)で(・)は(・)な(・)い(・)。見間違いではない証拠に、ホルスに反応が表示される事もなかった。

 二つの疑問が発生した。

 ヒューズは何処に行ってしまったのか、という事。

 もう一つは──この中に紛れているSディメンショナーは誰か、という事。

「あれ、デュランおじいちゃんは?」

 最初の疑問については、ビアンカが代弁してくれた。若者は肩を竦め、「夏バテだって」と答えた。「祖父ちゃんがHME送ったら、今日はホテルから出ないって」

「えっ、あの人、ずっとホテルに泊まっているの?」

「退職金を一杯貰ったから、教員時代は出来なかった贅沢をするんだと。もう、頭が悪い上にサボる事ばっかり考えている子供たちの相手なんかやってられっか、って。そう言っておきながら、こっちで『特別授業』なんかやっているんだから世話ねえよ」

「何だかんだ言って、教えるのは好きだったんだ」

 ビアンカがやれやれというように笑う。ホールデンが”お土産”の箱を入れた袋──箱の中身は無論そのようなものではなく、弾薬の詰まったポーチだ──を手にしたまま戸惑っていると、彼女はこちらを振り返った。

「彼はルキアーノ・ジェノヴェーゼ君。通称『ヒューズクラブ』の最年少で、ベルナルドさんの孫。そこで車椅子に乗っているのがベルナルドさん」

 若者の隣には、磁気浮上(マグレブ)車と同じく地面すれすれに浮かぶ車椅子に腰掛けた老人が居た。ルキアーノと紹介された若者は、やや辟易したように頭を掻く。

「俺は老人クラブじゃねえって。祖父ちゃんが足折って車椅子になったばっかりで、まだ操作に慣れねえから付き添いしなきゃいけなくなったんだ。BMI搭載のやつにした方が楽だって言ったのに」

「幾ら機械にでも頭を覗かれるのは嫌なんじゃ」

 ベルナルドが鼻を鳴らす。ルキアーノは呆れたように手を広げ、溜め息を吐(つ)いた。

「だからそういうやつじゃないって、何回説明しても分からねえんだから」

「でも結局、ルキアーノ君もデュランおじいちゃんに会って楽しんでるじゃない」

 ビアンカは、今度はホールデンを示して言う。

「ハリー・グラニッツさん。移住者で、英国(むこう)に居た頃デュランおじいちゃんの授業を受けていたんですって」

「ハリーです」ホールデンは、警戒が顔に出ないようにしつつ名乗った。「ヒューズ先生がこっちにいらっしゃったと聞いて、挨拶しようと思って。先生の方で僕を覚えているかは、今一つ微妙なんですが」

「あいつは俗に言うツンデレじゃ」

 青いベレー帽を被った老人が、ニヤニヤ笑いを浮かべながら言ってきた。

「出来の悪い教え子の愚痴ばかり言いおる癖に、連中の最終テストの点数だけは全員分今でも覚えておるし、その事を自慢しおる。そんな脳味噌があるならもっと他の事も覚えられるかというと、てんで駄目じゃ。あれはワーカホリックじゃな」

「あはは……確かに先生には、そういうところがありましたね」

 自分から余計な事は言わないようにしよう、と思っていた。もしもヒューズがこちらで彼らに語った内容と矛盾が生じる点を指摘されれば、怪しまれかねない。それも普通の老人たちであればまだいいが、共鳴を感じた以上、この中には絶対にSディメンショナーが混ざっているのだ。考えるまでもなくその誰かは、ヒューズの──延(ひ)いては彼の協力するランドールの仲間であり、「余燼(エンバース)」だろう。

 この老人たちは、昔からの仲なのだろうか。そうだとするとその”誰か”は後天的にSDSを発現し、間もなく良心の限界を迎えたという事だろうか。ヒューズもそうだが、ランドールは社会や国家に認知されていないSディメンショナーを発見し、味方に引き入れるのが早すぎる。この集まりは、彼らにとってどのような意味を持っているのか。

「先生は、皆さんにどのような『特別授業』を?」

「そりゃ色々よ。じゃが、何やら革命の歴史が多いような気がするな」

 ベルナルドが言った。

「じいちゃん、革命だけじゃねえだろ?」ルキアーノが容喙する。「帝国の滅亡とか、民族紛争とか。力による歴史の変わり目、みたいなものを中心に扱っていた」

 彼は言うと、こちらに尋ねてくる。

「やっぱりお兄さんも、あの爺さんからそういう事を教わっていたのか?」

「いや、学校の授業ではさすがに教科書に則っていたよ。けど、歴史って大体戦争の事ばかり書いてあるからな。先生がそっち系の事に元々興味があったのかは分からない」

「ああ、でも安心してくれ。別にあんたの知っている先生が、こっちに来て過激思想に目覚めたとかじゃないから。軍事とか、東洋の戦国ものとかが好きなマニアが居て、そいつらが自分の趣味について話すのと特に変わりはねえよ。教員じゃなくなって、自分の好きなものの話が出来るようになったのが嬉しいんだろ」

「デュランは、あらゆる進化には常に衝突が伴っている、と言っておった」

 ベルナルドが、ぼそりと呟いた。

「利潤追求に伴う競争が、総和無(ゼロサム)になる状況は有り得ないのじゃと。『神の見えざる手』のようなものか、とわしは尋ねた。だが、どうも違うらしい。自然界の生存競争か、軍事目的で開発された技術が現代になくてはならないものになっている事を指すのか」

「暗号解読器のコロッサスが、プログラム内蔵方式のコンピュータ開発に繋がったように?」

 思わず言うと、老人たちが怪訝な顔で視線を集中させてきた。ホールデンは咄嗟に「しまった」と思ったが、すぐに頭を働かせて付け加えた。

「英国史の話です。コロッサスは、英国で作られた機械ですから」

「……よく分からんな。あまり専門的な事になると、老いぼれには荷が重いわい」

 すみません、と謝りつつホールデンは自らを戒めた。あまり余計な知識をひけらかすと、思わぬところでビアンカに素性を勘繰られるかもしれない。

 ICTが社会全体に溶け込み、子供から老人までがそれらを使いこなすようになり、旧時代は何処の国でも社会問題であったデジタルデバイドは今や殆(ほとん)どない。が、やはりその歴史や専門職的な用語などは、日常生活の中では触れない者の方が多い。

「興味があるなら、お兄さんも今度来るといいよ。学生に戻った気分で、昔の先生の授業を受けてみるっていうのも新鮮かもしれん。爺さん、もう暫(しば)らくはこっちに居るみたいだから」

 ルキアーノに言われ、ホールデンは肯いた。

 彼らとは今後とも接触する必要があるだろうな、と頭の隅で考えていた。彼らの中にSディメンショナーが居る事は事実だ、ヒューズの確保後もしなければならない事はある。

 ホールデンは念の為、老人たちに尋ねてみる事にした。

「ところで皆さん、ヒューズ先生のお泊まりになっているホテルが何処か、といった事などについては、教わっておいでですか?」

 彼らは顔を見合わせた後、

「知らん」

 揃って首を振った。

「わしらはもう友達同士だが、あいつはあくまで旅行客だからの。泊まっている場所にまで押し掛けられるのは御免被(こうむ)りたい、とか言いおって、教えてくれんのじゃ」

「価値観の違いかな」

 ルキアーノは肩を竦め、そう言った。

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