『パラス・アテナ』Ⅲ フニクリ・フニクラ⑤
「あいつらの事」
ビアンカが、不意に開口した。
「何か知っているの? 追われていたみたいだったけど」
「いえ、特に……正直、俺も混乱しています」
そう答えるしかなかった。彼女は「まあ、そうだよね」と呟く。
「あなた、外国の人でしょ? イタリアの法律じゃ銃の所持は禁止、だけどあなたは持っていた。まあストラップみたいなやつだったし、実際に撃つところ見せなきゃバレないかも。それにしても、随分マニアックなやつね」
「あー、あれは──」
「ごまかさなくても大丈夫よ、あたしはチクったりしないから」
「ところで、あいつらは?」
ホールデンは、話を逸らそうとしてそう尋ねた。ビアンカは「知らないけど」と言い、考え込むような仕草を見せた。
「何だか物騒な連中みたいね。外国人に対して、片っ端から目を光らせているみたい。特にあなた、昨日からあっちこっちで噂になっているわよ。ヒューズっていう英国人観光客を探しているって」
「何故それを?」
やや警戒が萌す。ビアンカはやや考えるように斜め上に視線を向けてから、
「誰かを探している人って、目立つのよ」
と言った。「あたしも気になっていた。さっきの連中の仲間じゃないか、なんて思ったりもしたけど、どうやら違ったみたいね」
「いやいや、そんな」
ホールデンは苦笑してみせた。
「俺は、単なる移住者ですよ。ヒューズ先生には、高校でお世話になって」
ミアと共に考えた設定を口にしながら、頭の中では別の事を考えていた。
このビアンカという女は、さらりと気掛かりな事を言った。デュラン・ヒューズを探しているという自分の噂を聞き、それをあの「余燼」と思しき男たちと結びつけて考えた──それは、彼女自身が今し方口にした「彼らが市内の外国人の動向をマークしている」という事からの連想だろうか。それとも、彼女は既にヒューズが「余燼」の仲間である事を理解した上でそのような事を言ったのだろうか。
根拠は提示されていないが、ホールデンはビアンカの言う「余燼」による外国人のマークという事については信じられる情報だ、と思った。彼らがそのような事をする理由は、事によると既にCIAが調査の為に国内に入った事を知っているからかもしれない。
そこまで考えた時、もしかして、と思う事があった。
──彼女は、CIAの諜報員ではないか?
飛躍しすぎだろうか。いや、決してそのような事はない。
(彼女は、あの男たちに注意を払っていた……彼らが『物騒な連中』と気付くだけならまだしも、その動きまで知っていたのだから)
もし本当に彼らの事をよく知らないのであれば、そうとだけ言ったはずだ。
ホールデンは、落ち着け、と自らに言い聞かせた。
(もし本当にそうだとしても、だから何だ? CIAはネプチューンと無関係な組織だが、敵ではない。『大教祖』を打倒するという目的は同じだ)
「……もしかしたらさ、あたし」
ビアンカが、徐ろに言った。
「そのヒューズって人と、会わせてあげられるかもしれないよ?」
「えっ?」
「その人になら、よく行くポルティチの庭園で会うの。知ってる、昔は学校になっていた宮殿の事? あたしが生まれて間もない頃『ナポリ最後の日』で焼けてしまったんだけど、何年か前に復元されたのよ」
「ヒューズ先生は、そこで何を?」
「こっちで仲良くなった人たちを集めて、特別授業? みたいな事をしているんだって。学校の先生だったんでしょ? シニアの人たちは面白がって聴いているみたい。最初は地元のお年寄りたちと散歩がてらに雑談をしていたのが始まりで、そのうち段々規模が大きくなって、今じゃ殆ど名物おじいちゃんね」
随分詳しいではないか、と思ったが、ホールデンはその事を口には出さなかった。探りを入れている、などと勘繰られては、こちらの素性も知られかねない。
代わりに
「ははは……何だか、先生らしいな」
笑いながらそう言った。「確かに、あの人の授業は面白かった」
「それは良かったわね。あたしは大学まで、授業なんて真面に聴いていられる人の方が凄いって思っていた。いい先生に巡り会えなかったのかも──なんていうのは、生意気な不良生徒の責任転嫁だって言われそうだけど」
ビアンカもくすりと笑う。
何だか、いつの間にか親しい友人同士の会話になっているようだ、とホールデンには感じられた。確かにこの瞬間も、自身の中には冷静沈着なもう一人の自分が居る。ごく自然に彼女のペースに引き込まれている自分に、俄かには表白し難い違和感を覚えている自分。しかし一方で、その自分は「急転直下」という思いを抱いていた。
まさか、と思う程の速さで、ヒューズとの対面まで漕ぎ着けそうになっている。やはりこれを、降って湧いた幸運と思える程──この時点でビアンカをごく普通の一般人と疑いなく思える程──自分はお人好しではないが、食いついてみるだけの価値はありそうだ。
彼女は「で、ハリー」と尋ねてきた。
「あたしは休みの日、いつもポルティチ王宮に絵を描きに行くんだけど、どうする、一緒に来る? あなた、これから何か予定とかは?」
「あー、そうだな……」
ミアには一度連絡し、情報を共有しておいた方がいいだろう、と思った。「余燼」と思しき男たちの事、思いがけずヒューズの手掛かりを掴んでしまった事、その情報を提供してくれたビアンカ自身に関する──件のCIAではないか、という推測も含めた──事。話さねばならない事は色々とある。
「……すみません、先生に会うので、準備しなきゃいけない事が結構あって。でも、当分の間は休日ですので都合がつく日は二、三日以内に絶対にあります」
ホールデンは、頭を回しながら答えた。
自分が今、異国の地で偶然滞在中の報を受けた”恩師”に会うにしては手ぶらに近い状態である事。平日の昼間からあちこちをうろつき、人探しに時間を費やし続けている事。これらを基にした台詞のつもりだった。
同時に、後者からビアンカがこちらの素性に訝しげなものを感じているのだとすれば、露骨になりすぎないようにその疑問の解消を図ろうとも思った。
「その、ですから、宜しければHMEのアドレスを教えて頂きたいです。もし、連絡を入れても問題のない時間がありましたら──」
話の流れから、自然に彼女の職業を尋ねる事も出来ただろうが、今回はそれは見送る事にした。あまり探りを入れていると思われるのも厄介だ。
ビアンカは微かにぴくりと眉を動かしたが、すぐに「いいわよ」と肯いた。ジーパンのポケットから端末を取り出し、ホログラムの球体の形で空中に浮かび上がったアドレス情報をこちらへ流し送ってくる。ホールデンは自らの端末でそれを掬い取るようにキャッチし、自分の情報も送信した。
一昔前の携帯端末と同じく、HMEにアドレスは複数登録出来る。ホールデンが送ったのは無論、「三叉鉾」で連絡を取り合う為のものではなく、この任務で誰かと連絡先を交換する事になった時の為に──つまり現在のような状況を想定して──用意されたものだった。
交換を済ませると、ビアンカは微かに可笑しそうな顔になった。
「あなたみたいな感じで、アドレス聞いてくる男って結構居る」
「えっ? ……いや、別に俺は、そんなつもりじゃ」
ホールデンは慌てて手を振った。
「すみません、図々しい奴みたいになっちゃって。けど」
「ごめんごめん、冗談。あたしだって、別に下心があって助けた訳じゃないわよ。って、はっきり言っちゃうのも悪いのかな」
「いいんです、助けて貰いたかったのは事実ですから。改めて、さっきは本当にありがとうございました」
色々勘繰っている自分は居るものの、その感謝の気持ちは偽らざる本心だった。
ビアンカはホールデンと共に部屋を出ると、鍵を掛けた。絵を描くと言っていたが、本当だとしたら画材セットは何処か別の場所にあるのだろうか、とホールデンは考えを巡らす。彼女は「さて」と手を叩いた。
「まださっきの連中、居るかもしれないから気を付けて帰るのよ。家は? 移住者って言っていたわよね?」
「バッラの方に。アパート暮らしですけれどね」
「車で送って行こうか? そこそこ離れているし、コムーネ(イタリアの基礎自治体)が違うからバス使うなら途中で乗り換えなきゃいけないでしょ?」
「いえいえ、お構いなく。途中で寄らなきゃいけない所も思い出しましたし」
嘘がバレる、という事よりも、そこまでして貰うのは申し訳ない、という気持ちの方が勝っていた。ビアンカは何故かやや残念そうに「そう……」と呟いたものの、それ以上食い下がってくるような事はなかった。
今度は裏口ではない、通りに面した玄関から外に出た。
彼女は駐車場の方を指差してから、「それじゃ」と手を振ってきた。
「またね、ハリー。連絡はいつでもいいけど、読める時に読むから返信は遅れるかも。けど、なるべく貰った日のうちに返せるようにするから。チャオ!」
そのまま軽やかな足取りで駆け去って行く。
ホールデンは暫し彼女を見送り、はっと我に返った。
(ビアンカ・マルディーニ……か)
溌剌としていて、非常に魅力的だ、と”分析”する自分が居た。
何を考えているのだ、と思い、軽く頭を叩いてから身を翻す。”分析”はしたものの、例によって欲望を覚える事はなかった。
──最低でももう一回、会う機会は出来た。
そう考えながら、ミアにこの事をどう報告しようか、という事に脳を回し始めた。




