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『パラス・アテナ』Ⅲ フニクリ・フニクラ①

 七月一日、現地時間で午前十時。イタリア、ナポリ・カポディキーノ国際空港。

 約一ヶ月前、「大教祖(オーバーロード)」ジョニー・ランドールが降り立ったのと同じ場所に、ホールデンとミアは到着していた。

 ナポリ市内のあちこちにある「天空の子供像《ラ・バンビーノ・ディ・チェーロ》」──ナポリ復興運動の一環として創られた、高さ二メートル程の少年のモニュメント──が設置されたロビーで、ホールデンらはイタリア支部の駐在員二人に迎えられた。

「お待ちしておりました、ハング大尉、ミア曹長」

 二十代半ばと思われる二人の男のうち、片方が丁寧に頭を下げて挨拶してきた。

「総務課のカイロスと申します」

「同じく、総務課のスミスと申します」

 ホールデンは「ご苦労様です」と言いながら、油断なく周囲を見回した。そんなこちらの様子を見、スミスと名乗った男が「大丈夫ですよ」と口を開いた。

「我々も、GCLデバイスを装着しています。敵と通じている可能性のある人物のリストと照合しつつ観察を行っていますが、今のところ不審者は検知されていません」

「ランドールの現地協力者の情報は?」

「まだ更新されていません。ただ──」

 カイロスが、声を潜めながらホールデンたちの方へ身を乗り出した。

「本部で、『三叉鉾(トライデント)』の方々に共有されていませんか? 実は先週から、米国が諜報員を派遣していましてね……ネプチューンが米国政府と共有した、ランドールの潜伏場所に関する情報を基に、ラングレー(CIA本部)が独自に動いたらしいのです」

「米国が?」

「ええ。個人識別により、誰が諜報員かは分かっています。『大教祖(オーバーロード)』は暫定的に、ネプチューンと同等の国際的なID識別情報を持っていると推測されます、無論CIAの諜報員たちもそれは承知で、十分に警戒はしているでしょうが、彼らが嗅ぎ回っている事が本人に知られれば奴の逃亡を許すか、刺激して攻撃的な行動に走らせる可能性も否めません。そこで、我々も彼らの動向には目を光らせているのですが──」

 彼は言葉を切り、一呼吸置いてから続けた。

「彼らから、『余燼(エンバース)』という符丁を耳にする事がしばしばありました。どうやらそれは、ここイタリアに潜む『大教祖(オーバーロード)』の協力者を指しているらしいのです」

「『余燼(エンバース)』……なるほど」

 ホールデンは、皮肉めいた名称だな、と思う。恐らくそれは、かつて「ナポリ最後の日」を引き起こした「教祖」ザッパに協力した過激派組織「永遠の炎(ハーリド・ナール)」と、ここら一帯を呑み込んだ核の炎を意図した名称なのだろう。

 スミスが「あまり気にしすぎないで下さいね」と付け加えた。

「先日の、本部へのランドール侵入の際、奴は監視カメラにはっきりと姿を映した上、自らの容貌を模したSディメンショナーを陽動に利用しました。奴は既に、我々に顔が割れている事を前提に行動している。恐らくKKKの男から、当面の目的に関する情報も漏れた事は覚悟しているでしょう。大尉ら──CIAもそうですが──自らを狙っている者の接近については警戒しているはずですが、あの後改めてこの空港で、奴が入国する姿は確認されています。奴らの計画に依然変更がないのであれば、それまでイタリア国内で目立つ騒ぎを起こす事は望まないかと」

「こちらが刺激しない限り、『余燼(エンバース)』も動かないだろう、と」

 ホールデンは「分かりました」と応じた。

「我々はあくまで、ランドール一人の確保を──暗殺を目的とする」

「こちらも目一杯のサポートをさせて頂きます。まずはこちらを」

 カイロスは手提げから薄い金属のケースを取り出すと、ホールデンとミアに開いて見せてきた。中には、海王星の紋章を刻んだ薄いICカードが収められている。

「駐在中に拠点として頂くホテルの部屋の鍵です。タイムリミットが二十日までとなっていますので、あらかじめそれまでの部屋代、食費その他諸々をこちらで前払いしておきました。他に経費が発生した場合は、イタリア支部が負担します」

「やむを得ず、他の宿に泊まる場合は?」

「その旨をお伝え頂ければ、必要経費に算入します」

「外食は?」

「構いません。あなた方にとっては今回の渡航そのものが、特命なのですから」

「至れり尽くせりですね。……ああ、ですが勿論、出来るだけ早く──」

 ホールデンは、付け加えるのを忘れなかった。カイロスは「宜しくお願いします」と頭を下げてくる。

「ナポリの人々は、今この街で何が起ころうとしているのかを知りません。人の立ち入りが再び可能となって十年、この地を再び死の土地とする訳には行かない」


          *   *   *


 車で二キロ程移動し、ドメニコ・アウリジオ通り沿いのホテルに到着した。ホールデンらの入国は一般人と同じく旅客機で行われたのだが、当然ながら機内に武器や弾薬を持ち込む訳には行かないのでそれらは別ルートで事前にイタリア国内に運び込まれており、ホテル側と話はつけてあったとはいえ相当な大荷物となった。

 軍用機で武器も人員も同時に運び込めば、このような面倒な手順は踏まずとも良かっただろう。しかし、それが国内に居るランドールの仲間に見咎められれば、逃亡されるか、最悪の場合撃墜される危険性もあった。

 部屋はかなり広かった。大量の武器を持ち込まねばならない為、必然的にそうならざるを得ないのだが、それは大して問題ではない。確かに兵舎や研究所の医務室、大勢の隊員と共同の野外キャンプなど、狭い環境で寝る事に慣れたホールデンには些(いささ)か居心地が悪い──というより落ち着かない事は否めないが、問題は別のところにあった。

「……一部屋、ですか?」

 駐在員たちの手で続々と運び込まれる荷物を見ながら、ホールデンはカイロスに尋ねた。彼はさも当然のように「聞かされていませんでしたか?」と問い返してきた。

「幾ら宿泊費が経費で賄われるとはいえ、このサイズの部屋を二部屋予約する事には、上的に厳しいものがあったそうです。別に、あなた方に贅沢をして貰おうという訳ではないのですけれど、ビジネスホテルにこの量の荷物は入りきりませんからね」

「いいではありませんか、ホールデンさん」

 ミアが、机上に置かれた端末を操作し、部屋のカスタマイズ用に登録されているホログラム内装のテンプレートを確認しながら言ってきた。

「寝室は中に二部屋、隣り合わせになっているみたいですから。それに私は超人兵、ここではホールデンさんの安全を守るのが務めなんですから、いざという時に離れた場所に居ては仕方がないでしょう」

「それは……俺だって自分の身くらい、自分で守れるぞ」

 ホールデンは何故か彼女を直視しているのが気まずくなり、目を逸らした。

 今日のミアは、白いノースリーブのサマードレスにピンク色のリボンの付いた麦藁帽子を被っていた。超人兵は正式な軍服が支給されていない為作戦行動中も私服だが、今はホールデンもカジュアルな夏物のシャツを着用しているので、いつもより”日常”感が強く感じられるような気がする。

 ニューヨークよりも赤道に近く、地中海性気候のここは、夏の気温が向こうよりも高く空気が乾燥しやすい。元々活火山だったヴェスヴィオ火山も、大厄災時代以降は地殻が動いた事によって更に活動が活発になったらしく、その地熱は暑さに一層の拍車を掛けていた。

 ──安全を守る、か。

 ミアからは、まだ過去に刷り込まれた強迫観念のような自己(アイデンティティ)が消えていないのだ、とホールデンは思った。

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