『パラス・アテナ』Ⅱ カズイ・スチカ⑦
「ミア!」
叫びながら、一発撃っただけのFC弾のマガジンを抜き取り、ポケットに突っ込んだ。代わりに .50 AE弾(アクション・エクスプレス弾)を装填し、形状変化者の頭部を狙う。
ハンドガンの中で最強を誇るデザートイーグルを更に改造する事も、大型動物を仕留める為の弾丸を人間に対して使用する事も、仲間にすら過剰だと指摘される行為だった。しかしSディメンショナーに対して、やりすぎは有り得ない。
ハサン・アル=アブドゥルが、ホールデンの声に反応してこちらを向いた。その時には、もうホールデンは引き金を引いている。
戦車の装甲にすらダメージを与えるマグナム弾を、敵は先程のように頭部自体を硬質にして防ごうとはしなかった。ボクサーがブロックを行うように顔の前で両腕を揃え、その腕橈骨筋をシールド状の金属板に変化させる。それなりに厚みはあったものの、それが弾丸の炸裂により砕ける事は想定しているようだった。
ハサン・アル=アブドゥルの肉体由来の盾が砕け散ると同時に、ホールデンも射撃の反動により一瞬硬直した。アムリタによる強化筋肉はとうに生成されていたが、それでも世界最大の弾薬が炸裂する衝撃を、完全に殺しきる事は難しい。
そしてその隙に、ハサン・アル=アブドゥルは仰反り気味の姿勢のまま、またもや脚を馬のものに変え、体当たりをするようにこちらに向かって来た。それなりに距離があるので、たとえ隙を突かれたとしても、ホールデンには体勢を立て直して二発目を撃つ、という余裕はあるはずだった。
しかし形状変化者は、跳躍と同時に両腕を蝙蝠のような翼に変化させた。皮膜に風を受けたのか、その速度が一気に上がる。ホールデンが顔を上げた時、視界は相手のスーツの黒色で埋め尽くされていた。
抱擁されるような姿勢で拘束される瞬間、ホールデンはぎりぎりで反動から回復した。ゼロ距離で .50 AE弾の射撃を行えば、どのような装甲を顕現させたところで貫通させ、内臓にダメージを与える事が出来る──そう考えたものの、敵の行動はこちらの予想の更に上を行くものだった。
視界に血飛沫が舞う。
痛みはない。ただ、今自分は痛覚を感じているのだ、という「理解」があるだけだ。
ハサン・アル=アブドゥルの胸部から腹部にかけ、スーツの布地を突き破るようにして無数の黒い棘が生えていた。ヤマアラシの撓る針を更に束ねて太くしたかのようなそれは、抱き込まれたホールデンの腹にぐさぐさと突き刺さっていた。
「捕まえたぞ」
ハサン・アル=アブドゥルは、蝙蝠の翼をゴリラの巨腕に変え、串刺しにして自らに張り付けたホールデンの頰を思い切り殴りつけてきた。ガスマスクが拉げ、破片が目尻や唇など顔の柔らかい部分に突き刺さる。
痛覚調整により痛みがないだけに、このまま攻撃を喰らい続ければ自分は死ぬ、という意識は上手く働かなかった。
ホールデンはその事に、今は感謝する事にした。
「……っ!」
無言の気と共に、腕を上げた。筋肉の盛り上がったハサン・アル=アブドゥルの左肩口にデザートイーグルの銃口を押し当て、一切の躊躇なく引き金を引く。
今し方自分を殴りつけた腕の片方が、肉が弾け飛ぶように根元から断裂した。衝撃に代わって、生温かい血液がホールデンの頰に打ちつける。形状変化者は左程動揺してもいない様子で傷口の形状を変化させ、血を止めたが、それが一瞬の隙を発生させた。
ホールデンは拳を握り込み、自らに密着した敵の鳩尾に渾身の右ストレートを放った。
ハサン・アル=アブドゥルの体が、交通事故に遭ったかの如く後方へと吹き飛んだ。ホールデンの胴に刺さっていた肉の棘がへし折れ、ずるりと滑るように抜け落ちる。傷口から溢れ出した血液を、アムリタによって増殖を促進された筋細胞が即座に覆って押し留めたが、これはやはり一時的な措置に過ぎなかった。薬の効果が切れ、強化筋肉が代謝されればまた血が溢れる事になるだろう。
視界の彼方で、ミアが口を引き結び、量子化による「極近未来への移動」を行った。何度も地面に叩きつけられながらも片腕で受け身を取り、鉤爪を生じさせた両足でアスファルトを削りながら踏み留まったハサン・アル=アブドゥルに、後方から狙いをつける。
再び放たれた .277 FURY弾は、男の心臓からぎりぎり逸れた辺りを貫通した。呻き声と共に、男の口から一筋の血液が伝い落ちる。
「ミア──」
「大尉」開口しかけたホールデンの声に被せるように発された彼女の声からは、感情が欠落していた。「私の素性調査は、どうやら済まされているみたいですね」
「ミア、俺は……!」
「超人兵と──Sディメンショナーと行動を共にする以上、当然の事です。それに罪があるのは、この男の方。私が責められるべき点は」
「ハットゥシャ! 私はそのような事を、教えた覚えはないぞ!」
ハサン・アル=アブドゥルは大して苦痛も感じさせない声で、耳障りな吠え方をした。
ミアは徹底して冷徹な表情で、振り向きざまの男の耳を撃ち抜く。
「私が責められるべき点は──消し去ってしまいたい奴隷の自分を、私自身がいちばん捨てられないでいる事、です。もうこんな男に、恐れを感じる必要なんかないのに……今の私は、ミア・サーペンタインなのに」
「そこの化け物!」
ハサン・アル=アブドゥルが、ホールデンの方を向きつつ口から血の雫を飛ばした。ホールデンは努めて冷静に、今一度FC弾を再装填したデザートイーグルで相手を狙う。
「生命を冒瀆する特制兵! 貴様はこの娘を憐れむか? だがなあ、貴様たちネプチューンのした事は、単にこの娘のご主人様を、私から別の男にすげ替えただけだ! 我々聖別されし者たちとの聖婚を、貴様らが穢らわしいと言うのなら! 貴様らのした事も、この娘の体をいいように弄んだ事には変わりがない! そうだろう!?」
「………」
ホールデンは、無言で撃った。男は再び身体の変質を開始するが、
「TRANS - IT」
ミアが、高速で肉薄しつつ背後から男に銃口を突きつけ、射撃する。心臓か頸動脈を狙えば仕留める事は造作もなかっただろうが、彼女はそれをしなかった。というより、大して狙いをつける事もせずに撃ったようだった。
形状変化者の変質は妨害された。その”人体”が、音速で迫り来る変動接続弾を抵抗なく体内へと受け入れる。
S器官の働きを阻害され、男がその身に来していた一切の変形が解除された。ブラックスーツは砂塵の如く崩れ落ち、肉の盛り上がっていた左肩の切断面が爆ぜて黒ずんだ血液がどくどくと迸る。
「ぎぎっ……ぎぎぎぎぎぎいいっ!!」
悲鳴にすらならない声を上げ、頽れたハサン・アル=アブドゥルに、ミアは容赦なく追い討ちを掛けた。
裸体のまま路上に倒れ込む男を蹴倒すと、胸板の上に右の踵を載せて体重を掛ける。変形途中で崩壊させられた、数瞬前まで人体だったものがぼろぼろと崩れては、ミアの”場”によって量子化され”現在”から消し去られていく。
あの分では、相手は肋骨が折れ、心臓が踏み潰されているのではないか。ホールデンはそう思ったが、ミアは一切手を止めず至近距離から男に銃撃を浴びせた。先程までと同様、シングルショットで残り十八発を順に撃ち込む。
破裂音が響く度、閃光と共に血や肉片が飛び散った。投げ出された男の足が、その都度びくり、と動く。ミアが胴を踏みつけているのでそれより上の頭部周辺がどうなっているのか、ホールデンの位置からは見る事は出来なかったが、恐らくもう蜂の巣どころではなくなっているだろう。
二十発を撃ち尽くすと、彼女は空になったマガジンを放り捨て、再装填を行った。また一発ずつ、仰向けに倒れた男へ銃撃が襲い掛かる。
── .277 FURY弾の携行数は、二十発で一セットのマガジンが七つで計百四十発。ミアはそれを、全て男の体へと叩き込もうとしているのではないか。
彼女の表情は、もう見えない。だが、一発撃ち込む度に彼女の肩が痙攣し、全力疾走をした後の如く呼吸が乱れていくのが分かった。それは彼女が──他でもない眼前の男にマインドコントロールを受け、感情表現の乏しくなってしまったという彼女が初めてホールデンに見せた強い情動だった。
(それが──初めて取り戻した感情が、怒りか……)
そう思った瞬間、ホールデンは「ミア!」と叫びつつ飛び出していた。
「ミア、もういい! やめろ!」
「アブドゥル!」
また、銃火が煌めく。跳ね飛んだ薬莢が、駆け寄ったホールデンの腫れ上がった頰を熱く掠める。感覚質を欠いた「熱い」を理解しながら、ホールデンはミアに背後から近づき、腕を回して彼女の手ごとXM7のグリップを押さえ込んだ。
「やめるんだ、ミア」
「止めないで下さい、ホールデンさん」
彼女は顔を正面に固定したまま、無機質な声で言った。
「取り乱しました、ごめんなさい。もうこのような事が起こらないように、私は奴隷だった自分を清算するんです。……私がミア・サーペンタインである為に、この男は殺さなければならないのです」
「もう、死んでいるよ」
ホールデンは、ゆっくりと首を振った。
ミアはもう何度か引き金を引いたが、弾切れとなった弾倉はただガチャガチャと虚しい音を立てるのみだった。
彼女の手から、ライフルが落下する。歯を食い縛る息交じりの音が微かに零れ、
「……すみません」
強張った声が、ホールデンの耳に痛く届く。それは痛覚調整で「理解出来る」程度まで中和された外傷のように、まだ体内を巡っている薬物で薄める事の叶わない、精神的な痛みを孕んだ声だった。
ホールデンは俯き、ミアの後頭部に顔を隠すようにして、Sディメンショナーの亡骸を直接見まいとした。飛散した血液は既に黒く固まり、燃え盛る車から照射された炎の光を浴びてぎらぎらと嫌な光り方をしていた。
生き残った機動隊員たちは呆然とその場に立ち尽くしていたが、やがて中の一人が我に返ったようにホールデンとミアに視線を向けてきた。
「モンスターだ──」
「しっ、静かにしろ! 相手はネプチューンだぞ!」
呟いた一人の隊員を、近くに居た別の隊員が窘めている。
──She is a monster.
その独白の中に、特制兵であるホールデンの事は含まれていなかった。彼らから見れば、これ程の傷を負いながらそれを全く意に介さないように戦い、禍々しい銃をぶっ放す自分も十分にモンスターだろうに、と思う。しかしホールデンは、彼らの恐れがミア一人に向けられている理由も納得出来る気がした。
というよりも、ホールデン自身もまた、彼女に対して恐れを抱いている自分が先程から発生している事を否定出来ない。初めて彼女の戦い方を見た時「美しい」と感じた事が嘘であったかのように、今は戦士としての彼女に恐怖以外を抱く事が出来ない。
彼女は、Sディメンショナーなのだ。
彼女に対してそう思う時、常に自分の中で囁いてくるのは
(サリーもまた、Sディメンショナーだった)
理性とも感情ともつかない、そのような声だ。しかし今は、何処か娘の面影を抱かせる彼女を見ながらその声に耳を貸そうとすると、
(サリーも成長すれば、このようになっていたのだろうか?)
そう考えてしまう自分を、どうしても抑えきれないのだった。
抱き締めるとも、拘束するともつかない姿勢で、ホールデンは後方からミアの体に腕を回し続ける。数分間そうしていると、不意にインカムからややノイズの掛かったディーターの声が流れ始めた。
『……もしもし、もしもし、聞こえるか? こちらハーヴグーヴァ、クラーケン応答せよ。至急応答されたし! 繰り返す、こちらハーヴグーヴァ。………』
「ディート……?」
ミアから手を離し、ホールデンは耳に手をやる。
『おっ、やっと通じたか! ハリー、聞こえるか? ディートだ。もう十分近くコールし続けているんだぞ。さっきHMEも送った。届かなかったのか?』
「ディート、もっと静かに喋ってくれないか。音割れが酷い、耳が痛くなる」
『あ、これは……そうか、こっちの電波状況が悪かったんだな』
ホールデンはホルス上でHMEの着信履歴を確認し、届いていない事を確認する。何が起こったのかは、凡そ予想がついた。
「電波が、SDSの干渉を受けたんだろう。屈折して、あらぬ方向に飛んでしまった」
『そうかもしれない。……聴いてくれ、ハリー。ロビンソン・テラーを収容していた独房に、ランドールが侵入したようだ。監視カメラに映像が残っていた。お前とあのお嬢ちゃんが出て行ってからすぐだ。連携していた米国側と繋いでいた大佐から、お前たちが外で別のSディメンショナーに襲われていると聞いたぞ』
「その通りだ、まんまと騙された。ランドールに化けた形状変化者が──」
言っている途中で、鳩尾の辺りに激痛が生じた。皮膚や筋肉の内側で、温かな液体が広がるような感覚がある。恐る恐る見下ろすと、傷口を塞いでいた強化筋肉がタイムリミットを迎えて分解を始め、ぼろぼろと剝がれ始めていた。
アムリタの効力が切れた。ツケ払いにしていた痛みと無茶の対価が、今まさに精算されようとしている。
回線の向こうから、ディーターが「どうした?」と声を掛けてきた。急に歯を食い縛り、声の途切れたこちらを訝しんだらしい。ホールデンは苦悶の声を押し殺しながら辛うじて「何でもない」と答えた。
「えっと……そうだ、ランドールが囮を使った。そいつは今さっき倒したが──ディート、そっちはどうなった? テラーは?」
『……殺された』
ディーターが、悔しそうに歯軋りの音を立てた。『「大教祖」の奴、やっぱり罰を与えたらしい。あいつの持つ次元切断と同じように、生きたまま全身を微塵切りにして殺しやがったんだよ』
彼は、ランドールがそのまま逃亡した事、クラインフェルドから情報の伝達があり待機メンバーがテラーの独房に向かった時には既に事が済んでおり、戦闘状況は発生しなかった事などを訥々と語った。
体を絶えず襲う痛みに抗いながら、ホールデンは黙ってそれを聴いていた。
ディーターの話し終えたタイミングで、ミアがやっと顔を上げた。こちらを振り返り、何があったのか、というように僅かに首を傾ける。
「……ディート──ディーター、グラニッツ大尉から連絡だ。ランドールが本部に侵入してテラーを殺し、また逃亡したらしい」
ホールデンの言葉に、
「……そうですか」
ミアは分かっていたというように、静かに言った。「ネプチューンはそろそろ、本部への瞬間移動対策を講じなければなりませんね」
* * *
この夜の事件の後、別件逮捕され、FC剤を投与されながら公判を待つ本部内勾留中のSディメンショナーたちの間に噂が広がるのは早かった。
生きながらにして全身を切り刻まれたというロビンソン・テラーの最期は彼らの間でセンセーショナルに口の端に上り、彼らは「大教祖」と同時に──それが如何に唾棄すべき人種差別集団の幹部だったとしても──このような惨死を遂げるリスクを承知の上で囚人を”餌”に使ったネプチューンを悪魔の如く見做した。
そして、拷問された挙句そのような最期を遂げるくらいならば、と、支給された服を使って縊死を試みたり、舌を噛み切る者まで現れた。看守らはそれらを発見し次第介抱に当たったものの、多くがそのまま死亡した。
ホールデンとミアがイタリアへ発つまでの間に、今月中に予定されていた法廷に出頭する事の出来た者は、一人も居なくなったという。




