『パラス・アテナ』Ⅱ カズイ・スチカ⑤
* * *
同日、午後九時半。
「本部内で銃撃戦の準備なんて、物騒ですね。皆、俺たちの事をちらちら見ていますよ」
国際犯罪者拘置棟の入口で待機しながら、カイエンが言った。
「昨日の時点で、今日は実質的に休暇じゃないとは思っていましたけど」
「その辺にしておけよ、カイエン。『大教祖』を今日で討ち取れれば、暫らくは『教祖』どもの反乱も起こらなくなるさ。改めて休暇も貰えるって」
リーが、XM7の銃筒を磨きつつ相棒に応じる。
ミアはホルスのAR画面に映し出された現在時刻を確認しているのか、黒目を微かに上げたまま黙り込んでいたが、
「ホールデンさん、そろそろ移動ですよ」
例の淡々とした調子でホールデンに声を掛けてきた。予定では、現在まで市内に動きがなかった場合、ヘリに移動して上空での待機に移行する事になっている。取り調べがいつ行われるか分からない以上、遅くても今日中しかランドールに猶予はないはずだ。
とはいえ、取り調べの予定時間もアバウトにしか定められていない以上、ランドールも「日付が変わるまではセーフ」などと、タイムリミットが厳密な”時刻”だと思っているはずはないだろうが──。
「ハリー」ディーターは、ホールデンの肩を軽く叩いてくる。「気を付けてな」
「ああ、ディートも」
ホールデンは応えながら、少々彼を気の毒に思う。
特命を与えられた自分がミアと組を組むようになった為、ディーターは「三叉鉾」再編成と同時にチャーリー分隊の中尉ホセ・ロドリゴと共に行動するように定められた。彼らは互いに、殆どプライベートで口を利いた事はなかったらしい。
(ランドールは本当に現れるだろうか? さすがに、もう自らの情報は漏れたものとして対策を練り直しているのではないか……)
そうでなかった場合、ここでディーターたちが戦わねばならない状況とは即ち、自分とミアがランドールを取り逃がした時を意味する。
──出来るのであれば、ディーターたちが戦わずに済むように。
「……行こう、ミア」
ホールデンは改めて仲間たちに「ここは任せたぞ」と言い渡し、彼女と共に廊下を駆け出した。ミアは先を行きながら、一言も言葉を発さなかった。
ヘリポートに辿り着く頃になって、HMEが着信音を響かせた。
『イースト44thストリート、旧UNICEF本部ビル前に「大教祖」出現。機動隊が応戦中、特制軍の到着を待つ』
たった二センテンスの、簡潔な文章。ホルスに表示されたそれを、ホールデンが読み終わるか終わらないか、という時、すぐ近く──数十メートル程先──から連続的な発砲音が響き始めた。
「イースト44thストリートだって?」
「ここの目の前ですね」
ミアが、フェンス越しに通りを見下ろす。
事前に交通整理がされていた為か、その辺りに一般人は居ないらしく、昔から国内で多発していた暴動やテロに伴う悲鳴や恐慌の声は聞こえてこなかった。
「大胆にも、正面から来たようです」
「という事は、やっぱりランドールは情報漏洩を覚悟の上で──」
ホールデンは呟いてから、それなら何故、わざわざ彼は現れたのだろう、と思った。情報漏洩を割り切る事にしたのなら、ロビンソン・テラーをわざわざ口封じしに来る必要もなくなったという事ではないか。
しかし、悠長に考えている時間はなかった。
「ホールデンさん、行きましょう」
ミアが、矢庭にホールデンの腕を掴んできた。そのまま引っ張るようにフェンスへと歩み寄り、「跳び下りますよ」などと言うので、ホールデンは肝を潰す。
「おい、正気か!?」
「アムリタは飲んでいるのでしょう? 恐怖心は中和されているはずですが」
「まだ個人翼を装着していない。普段は航空機の座席に、パラシュートと一緒に格納されているんだ」
「必要ありません。量子化を使います」ミアの応答は簡単明瞭だ。
「自分以外にも使えるのか、そのSDSは?」
「当然でしょう。そもそも──」
彼女の言葉の途中で、通りから爆発音が上がった。ビル街の谷間で、目も眩む程の光が一瞬炸裂する。警察車両か何かが破壊されたのだ、とすぐに分かった。
ホールデンが躊躇ったのは、一瞬だけだった。
「頼む、ミア。俺にもその力を使ってくれ」
「分かりました」
ミアが答えた次の瞬間、ホールデンの視界に異変が発生した。
コマ送りの如く、目の前の光景が途切れ途切れになった。浮遊感、気流、軽いG、複数の感覚が体に生じては一瞬で消えていく。視界の隅をセキュリティ用ドローンが通り過ぎた、と思うか思わないかのうちに、それは遥か後方に遠ざかっていた。
全てをひっくるめてもコンマ一秒に満たない、ほんの刹那の出来事だった。
靴底に着地感を覚える間もなく、ホールデンは地上に降りていた。自分が「量子化」されたのがいつなのか、全く知覚出来なかった。
「済みました。ここからは、それぞれ目標を追いましょう」
「ミア、君は」
ホールデンは、ルーマニアの戦いを──ゲオルゲの分身を一瞬で殲滅したり、発射された無数のミサイルを撃墜したりといった彼女の行動を──思い出しながら言う。
「今の時間で、どうしてあんなに色々な事が出来るんだ?」
「量子化能力者の時間感覚は、常人とはかなり異なっています。物理量の最小単位、ミクロを知覚するには不可欠な能力ですが、能力を『使われる』側には必要ありません。それは生物でも、無生物でも同じ事ですから」
ミアは言い、爆炎の見えるストリートの先に銃を向けた。
「居ました、ジョニー・ランドールです」
彼女の指し示す先では、クラインフェルドに見せられた立体写真と同じ、ブラックスーツを纏った男が機動隊に取り囲まれていた。ホールデンはBIFF上に「正体不明」と表示されるその男──生体情報どころかIDも特定されていないので、このような表示にならざるを得ない──を見、生理的な嫌悪感を覚えた。
憎むべきSディメンショナーの親玉だから、ではない。
その男の動きが、明らかに人間のそれではないのだ。黒いスーツも相俟ち、都市伝説の「スレンダーマン」を彷彿とさせる異様に長い四肢を四本とも地面に付け、アスファルトの上を這い回るように動いている。銃撃される度、宙返りを繰り返して放たれた弾丸を回避し、逆立ちして再び着地する。
(あれが「大教祖」? 何というか、思っていたのと違うな……)
「──あの男」
ミアは、アサルトライフルのスコープ越しに対象を睨みながら呟いた。
「何故、回避行動に空間跳躍を使わないんでしょう?」
「言われてみれば……」
ホールデンは肯く。それから、ちらりとミアのXM7に視線をやった。
「その中身は、FC弾なのか?」
「いえ、FCは貴重品です。私たちに与えられた任務は”抹殺”、そして私がSDSを使った場合、銃撃を行う時とは即ち対象に止めを刺す時です」
「それなら、ゲオルゲの時のようにすぐに行けばいいんじゃないか?」
「次元屈折が使われて、私の移動しようとしている空間座標が乱される可能性があります。能力の発動に手間取り、隙が生まれるリスクが大きいでしょう。まずは大尉が、FC弾でランドールのSDSを封じて下さい」
ミアは言ってから、ちらりとホールデンを振り返った。
「すみません、上官に向かって僭越な事を申しました」
「いや、構わないよ。……そうだな、恐らくそれが最善なのだろう」
ホールデンはデザートイーグルを抜き、跳ね回るランドールを狙った。
「大教祖」は目にも留まらぬ速度で機動隊員たちの間を縦横無尽に移動し、四肢を振り抜いて彼らに肉弾戦を仕掛けていく。狙われた彼らは至近距離から敵を狙撃しようとするが、その肘打ちや蹴りを喰らった途端車に撥ねられたかの如く吹き飛ばされ、体をアスファルトの上でバウンドさせた。
やはり、何かがおかしい──ホールデンは思う。
見る限り、次元屈折能力が応用されていると思しき攻撃がなかなか現れない。その上、彼が移動する度に道路から上がる鋭くも重い音。これは一体、何なのだ?
「『三叉鉾』の方ですか!?」
隊員の一人が、ホールデンとミアを認めて声を上げてきた。
「我が国の特制軍到着が遅れています! 速やかに制圧プロトコルの執行を……!」
その台詞が、途中で中断された。
ランドールは声を上げた隊員に飛び掛かると、上方から叩きつけるように腕を振るい、その手から銃を叩き通した。勢いを殺す事なく、その腕を反動と共に振り上げ、武装解除された隊員の側頭部を殴りつける。打撃を受けた隊員の首が、有り得ない方向に曲がった。
「あっ──」
明らかに絶命したであろう隊員の体を突き飛ばすと、ランドールは真っ正面からこちらに向かって来る。低姿勢で、やけに後方に突き出した脚の先端を小刻みに動かして走る。黒いズボンに覆われてはいるものの、それは人間の脚には見えなかった。




