侍女と忍び、縮まる二人の距離
お千代と話して、桜音が共に訓練を受けた女ではないことは分かった。水が大坂城に連れられたのが3年前、その頃はまだ、彼女は忍びの師匠の元に留まっていた。
一緒に過ごしていた頃、双子の姉がいると言っていたが、顔も名前も知らないらしかった。彼女は生まれたあと、すぐに捨てられたと言っていた。彼女たちの事情があるのだろうが、桜音は自身に妹がいるという事実を知らない可能性がある。水は、双子の妹のことは桜音に黙っておくことにした。
それにしても、これまで桜音に対して距離をとりすぎたと反省している。これからは優しく接しようと思う水であった。そうと決めたからには、こちらから近付くのみだ。桜音は水を嫌っていないだろうから、すぐに関係は良くなるだろうと思っていた。
「桜音殿、おはようございます」
朝、井戸へ水汲みに来た桜音へ水は声を掛けた。桜音は、毎朝の朝餉の準備の前に、水汲み当番を任せられている。水の仕事である千姫の護衛も朝からだが、交代制なのでまだ時間があった。
桜音に声を掛ければ、クリッとした目をさらに大きくして水をみた。今にも目玉が転がり落ちてしまいそうな様子でもある。少し固まったあと、水の挨拶に応えた。
「お、おはようございます」
「手伝います。それ貸してくださいませんか」
水は桶を自分に渡すように桜音へ言った。桜音は何を言われたのか理解していないらしい。自分の手元にある桶を見て、やっと状況を飲み込んだ。重い運び仕事だ。きっと頼ってくれるはずと水は思った。
「いいえ、これは私の仕事なので、自分で運びます」
今度は、水が固まる番だった。水はパチパチと瞬きをした。その隙に桜音は「よいしょ」と桶を持ち上げた。その声で水は我に返る。
「あの、重いでしょう、そういうのは私のほうが慣れていますから」
「私も毎日これを運んでいますが……」
桜音は少し困ったように水の申し出に断りを入れる。桜音の正論に、返す言葉がなかった。我ながら、他に桜音に近づく方法が思い付かなかった。これがお千代であれば頼ってくれるに違いないのに、とも思った。
「水様は日頃から護衛で大変でしょうから、今はどうぞ、お休みください」
桜音という娘は思ったより頑固なのか。そういえば、あの女も頑固だったなと不意に思い出してしまった。
「……邪魔したようで申し訳ありませんでした」
「あ、いえ、邪魔という訳では」
「失礼します」
今日はいったん身を引こう。水は桜音に軽く頭を下げると、その場を去った。距離を詰める作戦にしては失敗だったが、印象は残ったはずだと前向きに考える水だった。
桜音は厨房へ行くと、お千代へ水の謎の行動について伝えた。こっそり言ったつもりなのに、周りの侍女たちがその話に入り込んできた。
「いいわね〜桜音ちゃん、水様にそんなこと言われるなんて羨ましいわ〜」
茶々の侍女の稲に声を挟まれた。お千代も「私だってそういうの言われたことないのにぃ」と恨めしく桜音を見る。今朝の水の行動はいったい何だったのか。
「自分の仕事なんだから自分でしなきゃ。水様の行動が何なのか、いまいち分からないし」
「でもさ、重い荷物持ってるときに水様と会ったら代わってくれるわよね」
「そうそう。見かけたら手伝ってくれるのよ。男前よね、素敵だわ」
「だからね桜音ちゃん、今回みたいに、やる前に声を掛けてくるなんて珍しいのよ!」
桜音は、水を贔屓にしているーー信奉者とも言えるーー侍女たちにため息をつきながら「仕事しますよ!」と声を掛けた。それぞれが持ち場に戻ってひと段落したとき、桜音が包丁を持ったところでお千代が桜音へ寄ってきた。
「桜音ちゃんって、水様と仲良かったんだ?」
「まさか。むしろ逆だと思うよ。私に対してはいつもそっけないから……」
そう言えば、お千代は首を傾げた。
「そんな事ないと思うよ。水様、私に桜音ちゃんのこと聞きにきたとき嫌な感じなかったし」
「聞きに来たの?水様が?」
思わぬ事態に、桜音は作業の手を止めた。
「うん。いつからここで働いてるんですかって。私たちが仲良いから気になったって言ってたよぉ。私じゃないんだ〜ってちょっと残念だったんだから」
「ふうん……」
「それに水様って、桜音ちゃんの時は、絶対に襖開けてあげるもん。私には、たまにしかしてくれないんだよ」
お千代が言っていることは本当なのだろうか。にわかには信じがたい。だが、お千代は嘘をつかないし、隠し事もしない。それは少女の頃からこの大坂城で共に生活をしていて知っている。
それにしても、水はなぜ自分のことが気になるのだろうか。
「あれかな、桜音ちゃんって仕事もできるし可愛いから、水様も仲良くなりたいのかもね」
お千代がニヤニヤと笑いながら桜音に言う。多分だが、それは絶対にない。お千代は、「近くで見る水様も格好良い」「もっと喋りたかった」などと言っているが、桜音は適当に相槌を打って聞いておいた。
桜音とお千代が千姫の部屋に向かうと、いつも通り水が部屋の前に待機していた。すでに夜の見張り番とは交代しているらしい。桜音は水とバチッと目があった。水は目を逸らさなかった。明るい茶色の瞳にジッと見つめられると、心臓を掴まれた心地になった。水はフッと薄く微笑んできた。恥ずかしくなり、思わず桜音から逸らした。つい先日までは視線を合わしてくれなかったのに、どうして今日は見てくるのだろう。
桜音は、水の視線をよそに、部屋の中の千姫に声を掛けて部屋に入った。この時は、お千代がいるからか、水は襖を開けてくれなかった。
翌朝、桜音が井戸へ向かうと、誰かがそばの縁側に腰掛けていた。水だった。いったい何のつもりなのだろう。水は、桜音の存在に気付くと、井戸から水を汲み、桶に水を入れ始める。あまりの手際の良さと、その速さに桜音は思わず見入った。これが忍びの動きなのか。普段の身のこなしから武士とも違う佇まいを感じていたが、こうして間近で見せられると感心してしまう。
「これは厨房に運べば良いんですよね」
桜音が、水の速やかな動きに感動している間に、水汲みは終えていた。そして軽々と桶を持ち上げている。確かに、水が持つと重くなさそうだ。同じ女のはずなのに、身長が高く、それに相まって腕も長く手も大きい。桜音はジッと水の体躯を見つめる。そして顔に目線を移した。
水が千姫の護衛に付いてからは、態度の冷たさからこちらから関わることはなるべく避けていた。こうして近くで見ると本当に綺麗な顔をしているなと思った。高い鼻に明るい茶色の瞳。それと同じ色の髪。やっぱり、水の容姿にはうっとりさせられてしまう。
「桜音殿?」
「はっ、はい。あ、なんでしたっけ」
水の高すぎず、低すぎない声で名前を呼ばれて、桜音は我に返った。
「これは厨房へ運ぶ、で良いですね」
「は、はい」
水は頷くとサッと歩き出した。桜音は水の後ろ姿を見てハッと気付く。いけない、水の煌びやかさに流される。これではお千代と同じではないか。歩き出した水を桜音は駆け足で追いかけた。
「水様っ、それは私の仕事ですっ」
「桜音殿は見かけに寄らず頑固なんですね」
「なっ」
「それに私、‘様’をつけられる身分ではありませんよ」
「それは皆がそう呼んでいるからで」
「へえ、私の話をしているのですか」
水は何やら悪戯っぽく笑って桜音を見た。頑固なのは水の方だと言いたいが、口でも力でも水には勝てそうにない。水が何を考えているのか分からないが、本人がやると言っているので任せることにした。
「……では、お願いします」
水は満足して頷くと、前を向いて歩き出す。歩幅は桜音に合わせているようだ。沈黙の中、先に口を開いたのは水だった。桜音よりも身長の高い水は、斜め上から目線を送ってくる。
「ひとつ聞きたいのですが、良いでしょうか」
「はい、何でしょうか」
「私と会ったことはありません、よね。城以外で」
「え……?」
水の質問の意図が分からない。もちろん、桜音は大坂城以外で水に会ったことなどなかった。
桜音が答えるまで、水は観察するように桜音の顔を見ていた。
「はい……私が水様を初めて見たのは、この大坂城です。あの……水様が、茶々様の護衛に付かれたときです」
「そうですか。失礼しました、こんな質問をして」
水は納得したように言うと、また前を向いた。今度は迷いなく真っ直ぐ厨房に進んでいく。
桜音は、立ち止まって数歩先に行く水の背中を見た。やっと、これまでの水の態度が理解できた気がした。水は、自分の双子の存在を知っているのではないか。
これは、誰にも言えない桜音の秘密なのに。




