最終章 名残の華〜1624年某日・前編〜
大坂城での戦いは、今後、語り継がれるであろう日本の大きな合戦だ。だが、水の最後の働きを知る者は、ごく一部に限られていた。
ーー1624年、姫路城城下町。
水の顔を見て、忘れていたあの熱さが瞬時に蘇った。あの時ほど胸が熱くなることは、後にも先にもないだろう。
葉名は突然の水との再会に、目を大きく見開いていた。反対に水は、純粋に再会を喜んでいるようにも見え、驚く葉名の表情を見て笑みを深くした。
「忘れてしまったか」
そんなわけあるか、と葉名は心の中で思う。お前を忘れたことなど一日もないと怒りたいところだが、そのような告白めいた台詞は言えない。
「あんた、ここで何してるの?」
やっと出てきて台詞はこれだった。呉服屋の女将が言っていた、日本語が堪能なイスパニアの女性というのは、水のことだったに違いない。
「貿易関係での訪日だ。今は通訳をしていてね。おとといに師匠のところへ顔を出した。それで、ここを教えてもらったんだよ」
わざわざ、自分に会いにきたというのか。今度は胸が苦しくなる。大嫌いだったのに。
「……そう。鶴牙師匠、元気だった?」
目を合わせず尋ねる。
「お世辞にも元気とは言えないかな。もう長くないと思うよ」
聞けば、右足の古傷から病が広がり、今は立つことが出来ないらしい。子供たちへの教育も、もうできないようだ。それほど時が経ったものなのだなと葉名は思う。
「……で、なんの用?」
「疲れたから、団子とお茶を一人前頼む」
笑顔でそう言われてガックリとした。これでは、葉名と団子のどちらがおまけなのか分からない。純粋な部分は変わっていないのかと少し呆れてしまう。「あっちで座って待ってな」と店内を案内すれば、水は素直に頷いて足を進めた。
笠を取り、腰掛ける水はやはり目立つ。団子屋の店主の娘である葵は、水にすっかり見惚れてしまっている。その視線に気付いた水は、葵にニコリと笑顔を見せた。全く、いつからそんなことをするようになったのかと思った。しかし、これまでのことを思い返せば、人懐っこい性格なのかも知れない。リクにも自分にも、水なりに甘えていたのだろうと大人になった今なら分かる。……あの役者もどきな笑顔は、大坂城へ出てから身に付けたに違いない。
団子と緑茶を用意して、葉名は水が腰掛ける長椅子に持って行った。水は「ありがとう」と言って受け取ると、さっそく口にする。すっかり団子に気を取られたようで、「美味しい」と呟いた。
雰囲気が、随分丸くなったように思う。いいや、自分が「忍びの自覚を持て」と言った前に戻ったのだろうか。先ほど通訳をしていると言っていたが、具体的にどんなことをしているのかは分からない。
団子を頬張りながら、水が聞いてくる。
「お店、立たなくていいのか」
「……突然の訪問に、そんなことできるわけないでしょうが」
水の悪気のない質問に、思わず強く答えてしまう。時間があるのかと聞いたつもりなのだろう。水が葉名の知り合いと分かり、葵はそのまま店頭に立ってくれるようだった。葉名は水の横に腰掛けた。
本当に久しぶりだ。実に9年ぶりである。あの日、葉名は水の逃亡に目を瞑った。その直前は、双子の姉・桜音を殺そうとして刀を抜いたし、水に勝つつもりでいた。それが今、こうして団子屋で静かに並んでいるのだから不思議なものだ。
何事もなく並んで座るのは、共に過ごした子供の頃以来だ。どうしてあんなに、この女のことが嫌いだったのか。結局、自分は水に嫉妬していたのだと思う。自分よりも綺麗で、優秀で、周囲から愛される水が憎くて憎くて仕方なかった。それは、自分に自信がない故の嫉妬だったのだ。
考えを巡らすうちに客が来たようで、葵が団子を包むために店の奥へ引っ込んだ。葉名はそれで我に返った。やはり今日は忙しくなるのだろう。
「イスパニアに行ったって本当だったのかい」
「知ってたのか」
「人伝てで聞いた」
「そっか。そっちは、団子屋ときた。変わらずってとこかな」
「お黙り」
葉名が軽く睨めば、水はニヤリと笑う。桜音が忍び家業から足を洗ってないことを察しているのだろう。
水が異国へ逃れたという話を聞いたときは、驚きと同時に、それで良かったのだと思った。
「異国って、どんな感じ」
「そうだなあ。イスパニアも正直なところ、戦国のようなものかもな。私が住んでる街は、平和だけど」
「ふうん……」
水は穏やかに答える。話すことがなかなか見つからなかった。せめて、鶴牙師匠が「水が立ち寄るぞ」くらい知らせてくれたら良かったのに。
葵がパタパタと奥から出てきて、風呂敷に包んだ箱を持ってくる。葵は店頭へ行かず、葉名のほうへやってきた。
「葉名さん、桜音さんが来られてますよ」
その風呂敷は日常使い用の茶色のものだが、三つ葉葵の家紋が記されていた。その家紋は、姫路城城主・本多家のものである。水はその家紋を見つめた。
その目には、熱がこもっている。
「あの方、葉名さんに会いに来られていると思います。なんだか今日は、葉名さんのお友達がたくさんいらっしゃってーー」
水が突然席を立ち、店頭へ飛び出した。
水のあの表情、この行動。あの日の大坂城での二人の態度ーー。水が必死になって桜音を守りたかった理由。全てを考えると、水と桜音は、何か特別な関係なのだろうと、今なら察することができた。
葉名は葵に「ありがとう」と言って団子を受け取ると、ゆっくり歩いて店頭を目指した。
まったく、いつまで経っても世話が焼ける妹弟子だーー。




