大坂夏の陣〜落城〜
カラン、と長刀が落ちる音がする。そのあと、炎が焼けるパチパチという音が響いた。
「水、さま……」
間一髪だった。水は桜音を正面から覆い被さり、勢いでうまく転がって庇い切った。葉名によって振り落ろされた刃は、水の長脇差でなんとか弾き返したが、自身が避けきれず、左頬を斬ってしまった。
きっと今、自分はとても怖い顔をしているのだろう。水の顔を見る桜音の様子で、それが分かった。
葉名は、千姫や他の侍女には目もくれず、桜音への憎しみが溢れているようだった。周りの炎が、葉名の思いを代弁しているように、水には見えた。
「……また、あんた」
葉名は、桜音を殺そうとしたのだ。それだけで、水が怒る理由は十分だった。水は桜音に後ろに下がるよう手で合図をする。まずは、千姫達と葉名の距離を取らなければならない。彼女たちの安全を目の端で確認すると、今度は水から葉名へ歩み寄った。葉名は酷く顔を顰めながら水を睨んだ。水は葉名めがけて攻撃を始めた。そして葉名を後ろへ下がらせる。
「……随分必死なんだねえ。あんたがここまで必死になるの、初めて見たよ」
「訓練じゃないからな」
今度は葉名から走り込む。気合の声を上げながら、水の頭を目掛けて上から刃を振りかざした。水はそれを右側に流すが、葉名は刀を左手に持って右裏拳を水にかます。水はそれを右手で受け流すと、葉名の右脇腹へ勢いよく蹴りこんだ。飛ばされた葉名は上手く受け身を取ったが、腹を抑えて水を睨み上げた。水は葉名を睨み返して唸るように言った。
「なぜ殺そうとする。千姫さまは徳川の出だ」
「姫じゃない。そっちの女に決まってるだろう!」
葉名は、顎で桜音を指した。千姫ではなく、桜音を狙っていたのは分かっている。葉名の目には、双子の姉しか映っていない。その態度に、水はまた怒りを覚えた。腑が煮え繰り返りそうだった。
双方とそれぞれ過ごした水だからこそ分かる。この双子の姉妹は全く違う。生きてきた環境が違い過ぎるために、似つかぬ姉妹となってしまったのだ。
「どう思っていた?私の姉だと分かっていたんだろう!」
「だったらどうした。お前とは違う」
「どうだろうね!捨てられるのが自分じゃなくて良かったと、今頃心の中では笑っているんだ!」
「それは、葉名の心が歪んでいるからそう思うんだ!葉名の使命は、桜音殿を殺すことではないだろう!」
水の叫びに、目の前の葉名ですら、目を開いた。
葉名の心が歪んでいるとは言いたくなかった。だって、あの日、助けてくれたのは、紛れもなく、目の前にいるこの葉名なのだから。葉名は、水の憧れだった。葉名のように、強くなりたいとあの日に思ったのにーー。
「葉名、お前は徳川に買われた。私は豊臣に。私たちがこうしているのは理解できる。でも……葉名が今、ここにいるのは、理由があるからだろう。無駄な殺生ではなくて、重要なことのはずだ」
葉名は、やはりまた水を睨んだ。半笑いで声を荒げた。
「はっ……私の殺生が無駄かどうか、あんたが判断するなんて、随分と大きな口を叩くんだな。決めるのはあんたじゃないよ!」
「自分の姉を殺しても無意味だと言っているんだ!そんなことをしても、何も変わらないんだよ!」
水が言い返せば、葉名はまた水に襲いかかる。気合いを上げながら、感情的に走り込んでくる。水も声を上げてそれに応えた。そうして何度も互いに斬りかかり、殴り、蹴った。
かつて、共に訓練した葉名。大阪の陣が始まる前に対峙したときだって、葉名は最初から自分を殺すつもりはなかったのだと思う。そんな葉名が桜音を殺すなど、絶対に許せなかった。
水は、葉名の目を見続けた。
水の茶色い瞳が、炎に揺られてさらに明るくなっていた。互いに攻撃しながら顔を近付けてその顔を見る。水がこんなにも自分を睨んでくるのは初めてだ。
姉を殺しても何も変わらないのなら、殺したって同じではないかと屁理屈を言いたくなった。だが、それが無駄な殺生なのだ。水が言っていることは正しい。それが気に入らない。今も、昔もずっとそうだ。水を目の前にすると思考が上手く回らないし、上手く立ち回ることができない。そんな水が双子の姉を庇うなど、怒りさえ湧き起こった。
一度助けてやった恩を忘れているのかーー。ここで一発、殴りたかった。打刀を左手で握った瞬間、右の拳を振りかぶった。だがーー。
パン!
水の平手打ちが、葉名の頬に入った。驚きで、動きが止まってしまった。
殴り飛ばすなり、蹴り飛ばすなりされるほうがずっとましだった。水に対する苛つきがどんどん増していく。葉名はギロリと水を睨み上げた。
「本当にどこまでもムカつく女だなぁ!ずっと、ずっとあんたのことが大っ嫌いなんだよ……!!」
息が切れる。言葉と同時に、葉名は右足で床を踏み付けた。激しい戦闘動作よりも、気持ちの昂りで息が苦しくなった。こんなにはっきりと、自分の気持ちを大声で叫んだのは初めてだった。誰にも言えなかった水に対する劣等感をこうして口にすると、息切れの苦しさとは反対に、なぜか爽快な気分にすらなった。反対に、水の形の良い唇が歪んでいた。
「……葉名に好かれなくたって……いいよ。でも、恨むなら、自身の心を恨め。憎いのなら、私を殺したらいい。桜音殿は絶対に殺させやしない!!」
水が、なぜここまで姉に拘るのかが分からない。鶴牙師匠の元にいた頃、同じ女だからなのか、水は自分に懐いていた。全く同じ顔の姉に、情が湧いてしまったのかーーそれなら、あの日、助けてやったことや、ともに訓練をしたことを、水はずっと覚えているということなのか。
物静かな水にここまで力強く宣言され、返す言葉を探すのに時間がかかった。先に口を開いたのは水だった。
「桜音殿に手をかけてみろ。その時は私が地獄から這ってでも葉名を殺す」
「……」
水と睨み合うが、葉名から目を逸らした。水は本気のようだ。こんなに声の低い水の声は聞いたことがなかった。葉名と姉を全くの別人として認識しているようで、それはそれで腹立たしくも、悲しくも感じた。
「……ここに来た理由は、ただ単に豊臣家を追い込むことじゃないだろう」
葉名が黙り込むと、水は冷静を取り戻して言った。葉名は素直に答えることにした。
「……千姫を引き渡してもらう。大御所様のお望みだ」
聞かなくても水ならば察しはついているのだろうと葉名は思った。
「あんたが拒んでも、あの姉が拒んでも……力尽くで連れていく。……私だって、結果が欲しいし、生きていたいんだよ」
「……少し待っていろ」
水は話を聞くと長脇差を鞘に納め、葉名に背中を向けた。水がせっかく無防備にこちらに背中を向けているのに、今は蹴飛ばす気にも、斬りかかる気分にもなれなかった。水は純粋過ぎるのだ。かつて共に訓練をしていたからといって、警戒心を解くなと言ってやりたい。
水は、千姫たちに駆け寄った。煤埃で、千姫も侍女たちも顔や着物も汚れてしまっている。しゃがんでいる千姫に目線を合わせるため、水も腰を下ろした。
「水……」
「千姫さま、お怪我はありませんか」
千姫は唇を噛みながら、水をキッと見ていた。葉名が水に言った内容が聞こえていたのだろう。
千姫は涙を流した。横に控えている姉・桜音は、眉をハの字にして様子を見守っていた。
「千姫さま、よく聞いてください」
「嫌です。私は、秀頼さまの妻です」
水が言う前に千姫は間髪入れずに言った。温厚な姫であると話を聞いていたが、そんな姿は見受けられない。水は千姫に追い討ちをかけるように言う。
「豊臣に勝ち目はありません。大坂城は落ちます。あなたが死ぬことを、若様は望んでなどおりません。若様だけではなく、茶々さまも。ここにいる侍女たちも私もです」
千姫は涙を流し始めた。水の表情は葉名からは見えない。千姫は水を睨みつけ、泣いて、目を大きく開いて言った。
「水……秀頼さまに頼まれたのですね……!私を救えと言われて来たのでしょう!私は、私は……あの人の、妻だというのに、どうして共にいさせてくれないのです……!」
「どこにいても、あなたの心が若様と共にあると思っておられるのであれば、あなたは生きていくべきです」
千姫は水の袖を掴んで泣きついた。納得がいかないと袖を引っ張り訴えている。水はどうもせず、千姫を見守るだけだ。桜音と他の侍女が千姫の背中をさする。
「千姫さま、どうか……若様の想いを汲んでください」
水が千姫に言った。早くしてくれ、と葉名は思った。顔が煤埃で汚れるくらい煙が濃いし、炎も上がっている。涙が落ち着いたのか、千姫は顔を上げた。そして、浅く頷いた。水も頷き返す。
水が立ち上がって葉名を見た。説得がやっと終わったか。葉名は、水の態度が合図と解釈し、打刀を鞘に納めた。そして彼女たちに近づく。
「早く行くよ」
声を掛けると、千姫が立ち上がる。それに従い、侍女全員が前を向いた。千姫は鋭い視線で葉名を見た。その目は、「侍女には手を出すな」と言いたげだった。
途端、ガラガラと建物が崩れる音がした。
「た、建物が……!」
侍女の一人が叫ぶ。このままでは危ない。葉名は、今だけは徳川家と豊臣家の戦いということを頭の隅に追いやり、皆を連れ出すことを考えた。
「付いて来な!水、あんたは後ろを」
「分かってる」
水は身を翻し、葉名の言う通りに侍女らの後ろに付いた。一行は、葉名を先頭に出口へと急いだ。その途中で、男の声が響いた。
「ぬし!おぬし、上様の忍びか!」
もう若くはない武士が葉名に大きな声で呼びかけた。葉名はその男と面識がなかった。女ばかりの一行を見たあと、千姫の姿を確認して感激したようだった。
「千姫様!ご無事で何より!さあさ!こちらに!これでもう安心でございますよ!」
「待て、お前は……」
葉名は顔を顰めて男に問うた。千姫自身も困惑した様子である。水を見ても、誰なのか分かっていないようだ。
「坂崎直盛でございます、千姫様!大御所様の命にてお助けに上がりました!」
名を聞いて、葉名は思い出した。いい歳をして千姫に熱をあげている男だ。家康が言った「千姫を助けた者は、褒美として千姫を妻にさせてやる」という思いつきを本気にしているに違いない。
葉名は気だるそうに頷いて千姫に早く坂崎へ付いて行くように合図した。千姫はそんな葉名を見た後、水に視線を移した。水は頷いてみせた。そして千姫は納得をしたのか、坂崎の方へ足を進めた。一介の忍びが、姫や侍女たちと信頼関係を築いているのか。
千姫の後を追いかけて、侍女たちが城の外へ出ていく。その時、燃えた破片が桜音のほうへ飛んだ。それを庇ったのは水だった。
「水さま!手が……」
「大丈夫です。……さ、外へ行きましょう」
二人は寄り添って駆け出す。
ただ仲が良いのとは違う関係が見えた。自分と同じ顔をした、全く違う生き方をしてきた双子の姉がーー。




