表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/36

大坂の陣へ

 水は、大坂城本丸へ足を急がせた。侍女たちの間で、不穏な噂ばかり流れていた。


「片桐様が追放されたらしいわ」

「徳川と手を組んで、謀反を企んでいたそうですね」

「徳川との戦が始まるのよ」

「千姫様はどうなさるの?」


 水にはとても信じられないことだった。秀吉が生きていた頃から豊臣家に尽くした且元が、果たして謀反など考えるだろうか。


 且元が大坂城に戻ってきたことを知ったのは、ほんの数日前だった。無事に戻って来たのならばそれで良かったのだが、且元の立場が危ういことには気付かなかった。


 その真意を知りたくて、水は千姫に声を掛けたあと、早足で本丸へ向かっていた。


「お前、水か」

修理亮しゅりのすけ様」


 途中、声を掛けられた。低く響く声色だ。振り向けば、大野治長がいた。直接言葉を交わしたことはほんの数回程度だが、且元の隣にいたのは記憶していた。


「誰か探しておるのか」

「……東市正ひがしいちのかみ様が、追放されたというのは本当ですか」


 治長は静かに唸った。噂は本当だったのか。どうしてそんなことになったのだろう。


「……お前は、千姫様の護衛、姫様をお守りすれば良い」

「ですが……いえ、申し訳ございません。仰るとおりです……」


 出しゃばったことはできない。どうせ、自分は身分のない忍び。それでも、且元が追放とは、何か理由があったのではないかと思う。


 水は奥歯をグッと噛み締めた。すると、治長は水と距離を詰めて声を潜めた。


「東市正殿は、謀反の疑いで追放された。ほんの2日前だ。青木源治は彼を庇って共に去ったぞ」


 勝元が謀反ーーそれは徳川の罠ではないのか。聞けば、大坂城へ戻るなり、大蔵卿局おおくらきょうのつぼねと全く違う内容の報告をあげたらしい。それが豊臣家には不遇なことだったため、追放されたということだ。


 ーー何かあったら教えてくれると言っていた、源治までいなくなるなんてーー。


 源治は、水が知る城内の武士の中で、唯一と言っていいほど心を許した人だった。頼りにしていたのに、なぜ、何も言わずにいなくなってしまったのだーー。




「これからどうなってしまうのでしょうか」


 千姫が、か細い声で水に言った。


 徳川家との戦が、現実味を帯びてきた。秀頼、そして茶々が、各地から武士に呼びかけ、大坂城は物々しい雰囲気に変わっていた。


 千姫は、たびたび水を部屋に入れていた。情勢の不安からか、水へ話しかけることが増えている。水自身、この戦の戦法などは何も知らされていない。自分の役目は、これまでと変わらず千姫のそばを離れないことだった。水は千姫を励ますことしかできなかった。


「若様を信じるほかございません。それに、武士たちが続々と集まっていると聞きます。……きっと、なんとかなります」


 苦し紛れに水は言葉を続けるしかなかった。そもそも、兵の数自体が徳川と豊臣では差があると聞いている。


 千姫は、水の本心を知ってか知らずか、力なく笑って応えた。


「……そうね。……水、侍女の皆へ、長刀の稽古を行ってください。皆が、自分の身を守れるように」

「……はい、もちろんです」


 参加は千姫の侍女たちが中心だったが、ほかの側室、姫君たちの侍女にも知らせ、参加の枠は絞らずに稽古を頻繁に行った。


 城内の忙しさで、水は桜音と過ごす時間が少なくなっていた。その分、二人で長刀の稽古をしたりもした。



 のちに冬の陣と呼ばれる戦では、姫たちに大きな危害はなかった。水はずっと千姫のそばに控え、同時に桜音から目を離すことはなかった。



 だが、本当の戦は、これからだったーー。


「水様、和睦が破られたとというのは本当なんですか?」

「お千代ちゃん……」


 城内の護衛隊の集まりから千姫の部屋に戻るなり、お千代が不安そうに聞いてきた。徳川との戦は、一時落ち着きはしたが、大坂城内には重い空気が常に流れている。それは武士たちが集まる場だけではなく、女性陣たちへも漂ってきていた。


「……私が知らされている限り、どうやら本当のようです。徳川が、大坂城の外堀だけでなく、内堀も埋め始めたようです」


 言えば、桜音とお千代は同時に息を吸い込んだ。



 日が経つごとに、内堀が徐々に埋められていくとの話が城内を飛び交う。


 堀を埋められてしまえば、大坂城は終わりだーー。



「水、今すぐ茶々様のところへ参りなさい」

二位局にいのつぼね様……どうしてこちらへ」


 水がいつも通り、千姫の部屋のすぐそばで待機していると、茶々の上級侍女である二位局がやって来た。後ろには稲が不安そうな顔で付いてきている。


「千姫に、お伝えすることがあるのです。急ぎです。さあ、あなたは早く行きなさい」

「……はい、承知しました」


 二位局は特に焦る様子もなく、淡々と水に言う。水は、それが不思議に感じたが、何かあったのかは聞けなかった。


 水は少し足を進めたあと、肩越しに振り返った。


 二位局が、千姫の部屋に入っていく。後ろについている稲は、こちらをチラリと見ていたーー。




「水、突然だが、今から妾の護衛に戻ってもらうぞ」

「……承知しました」


 茶々の元へ着くなり、前置きなしに言われた。水は思わず返事に一呼吸の時間を取られてしまった。てっきり、次の合戦の時も千姫の護衛をするのだと思っていた。


 ーー千姫を守ると同時に、桜音のそばから離れないつもりでいたのに。


「どうした、何か不満か」

「いいえ……。申し訳ありません、突然で少し驚いてしまい……」

「ははは……、お前は本当に人間らしいな。またこれからも頼むぞ」


 茶々は水の心境を知らないまま、水へ笑いかけた。水は「はい」と頭を下げた。秀頼は、そんな水に気付いたのか、声を掛けた。


「信頼できる者で近場を固めておきたいのだ。いきなりで申し訳ないが、母上を頼む」

「は。ご指名いただき、ありがたき幸せでございます」


 戦いが終われば、どうなるのかも分からないのだ。水のような忍びの身分は、仕える主人の命に従うことが絶対であった。



 水がこれより茶々の護衛に戻るということは、二位局が千姫たちに知らせた。そのことを聞いた千姫は「そうですか」と答えたが、桜音は驚きで呼吸が止まりそうだった。


 二位局の淡々とした様子に、お千代が声をあげた。


「あまりにも突然過ぎませんか、何も今すぐでなくても」

「お千代、お黙りなさい」


 千姫はお千代に言う。お千代はムッと口を継ぐんだ。


 桜音は心が酷く痛んだ。お千代が二位局にそう言ってくれたことが、ほんの少し救いでもあった。


「ご足労頂きありがとうございます。水のことは分かりました」


 千姫が軽く頭を下げると、二位局も千姫に倣って会釈した。そして、稲と千姫の部屋を出ていった。稲は、深々と頭を下げてから襖を閉じた。


「千姫さま、あまりにも急過ぎではありませんか。

「お千代、そう思ってるのはあなただけではありません」


 千姫が少し強く言うと、お千代は黙った。千姫も、お千代と同じ気持ちなのもしれない。


 沈黙のあと、千姫は桜音とお千代の顔を交互に見ながら優しい口調で言った。


「戦いの間だけかもしれません。お義母さまも秀頼さまも大変な時期だから……。水なら、しっかりとお義母さまを守ってくれるでしょう」


 それでも、と桜音は思った。水は以前、千姫のそばにいて、自分のことも守ってくれると言ったのにーー。


「桜音、大丈夫です。今生の別れではないのですからね」

「……そう、ですよね」

「お義母さまも秀頼さまも、水を頼りにしているのですよ。誇らしく思いましょう」


 これが、戦国の世なのだなーー桜音はやるせない思いのまま、唇を噛んで頷いた。

※修理亮・・・大野治長の呼び名。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ