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葉名と水、二人の過去④〜別れと執着〜

「葉名、おはよう」

「……うん、おはよう」


 あの事件から、水は変わった。朝が弱かったはずなのに、一人で起きるようになった。できるなら初めからやれ、そう言いたかったが、葉名の朝の水汲み当番を勝手に終わらせていた。


「あのさ……当番、私なんだけど」

「知ってる。代わりにやった」

「はあ!?」


 文句を言うどころか呆れてしまった。まさか、これはお礼のつもりなのか。


「私の仕事なんだから、勝手にやるな!私が師匠に怒られるだろうが」


 結局キツく言ってしまった。水は言われて気付いたのか「あ……」と呟く。


「……ごめん、確かに」

「はっ……いつまでも寝惚けんじゃないよ」


 それからというもの、訓練の時以外、以前より水が葉名にベッタリになった。葉名、葉名とよく名を呼んでくる。


 例えばご飯が出来上がったとき、必ず葉名を最初に呼び、鶴牙の次に、葉名にご飯を装う。葉名が何か作業をしていれば「何してるの?手伝う」と必ず声を掛けてくる。それがいつも気配がないものだから驚かされるので、余計にイラついた。


「……なんで付いてくるわけ?」

「なんでって……水汲み当番は葉名だから」


 だから、なんで付いてくるのだ。勝手にやるなと言ったから、付き添うということなのか。有難いどころか面倒だ。


「良い加減にしろ。鬱陶しいから付いてくるな!」


 厳しく言えば、水は肩をすぼめた。こう反応されるとは思わなかったのだろうか。考えが浅はかすぎる。それでも忍びの修行を受けている身なのか。


「当番の意味ないだろ!あんたはもっと、忍びっていう自覚を持て!」


 葉名は水を睨んだ。だが、おそらく水には響いていない。早起きができるようになったかと思えば、中身は変わらず面倒の掛かる子供のままだ。葉名は大きくため息をついた。



 響いていないと思ったのは葉名の思い違いだったのか、それを機に、水は葉名に付き纏わなくなった。それはそれで楽だった。それなのに、水から目が離せなかった。


 同じ部屋で寝ているし、同じ時間帯に入浴もする。それは同じ女だから仕方ない。「おはよう」と「おやすみ」以外、水は話し掛けてくることがなくなった。その代わりに、なんでも自分でできるようになった。


 寝坊は絶対しなくなったし、髪を結うのも上手くなり、頼ってこなくなった。ご飯の味も前よりはだいぶマシになったーーリクはずっと下手だと言い続けたーー。それもそれで、理由は分からないが胸の中が複雑だった。


「水、今日は葉名と打刀の手合わせをしなさい」

「いいえ、自分より体の大きい人とやりたいです」


 そして、訓練や練習のとき、水は葉名と組まなくなった。鶴牙にもハッキリと意見するようになった。


 水がそう言っても、鶴牙は水を否定しなかった。もちろん葉名もだ。だが、水に拒否されている気がした。


 あんなに、面倒を見てやったのに。あの日、命を助けてやったのにーー。



「水、強くなったな!あんま無理すんなよ」

「リクもな」

「なんだと?言ったな〜?」


 水はいつの間にか男口調になっていた。‘忍びの自覚を持て’と言ったのは自分だ。水はそれを受け入れたのか。


 水はリク相手にも勝てるようになった。リクは、水に一本取られた翌日に、鶴牙の元を去った。水はそれを寂しがるような素振りも見せなかった。



 水は、可愛げがすっかりなくなったーー。


 水は、いっさい、葉名を頼らなくなった。自分の時間ができたはずなのに、葉名の頭の中は水のことでいっぱいだ。きっと、手合わせをしてももう勝つことはできない。いったい、自分は何をしてきたのだろうーー。


 悔しいのか、水が変わったことに悲しみを感じているのか、自分でも分からない。


 ああ、自分も、水のように恵まれた体型であれば、長い四肢を生かした体術もできるだろうに。水のように素直で純粋なら、余計なことを考えずに集中できるだろうに。自分も、水のように美しければ良かったのにーー。


 思い詰めていると、食事もままならなくなった。水がご飯を装ってくれたが、食べる気にならない。


「……葉名、食欲ないのか?」


 水が、久しぶりに話し掛けてきた。無駄に整った顔を傾けて、葉名の顔を覗き込んでくる。


「……疲れてるだけ」

「……私の分、あげるよ」

「いらないよ、あんたのなんか」


 そう突き放せば、水は視線を逸らした。水は先に食事を終えると、歪な形をした握り飯を、そっと葉名の横に置いて部屋を出て行った。


 水にそんなことをされて、悔しくて堪らなかった。忍びの修行を先に始めたのは自分なのに。ここでの生活を水に教えてやったのも、水の命を助けてやったのも自分なのに。まだ見ぬ姉に、取って代わってやりたいのにーー。



「水、今日は寺に行くから、支度をしなさい」

「はい、師匠」


 水が14歳になった頃、葉名が朝餉の食器を片付けているときに言った。


 水の番かーー。


 葉名は、手元の作業を止めた。鶴牙の顔も、水の様子も見れなかった。このまま水が寺に行けば、帰ってこないかもしれない。


 水は部屋に戻って支度をしていた。髪はもう自分で綺麗に結えていた。手伝うことはもう何もない。


 大嫌いなんだ、水のことは。


 だったら、もう帰って来なくていい。そのほうが、自分のことに集中できる。それでいいじゃないか。


 水は鶴牙と出ていくとき、葉名を何度か見てきた。何か言いたげだったが、葉名は気付かないふりをした。



 夕暮れ、水は鶴牙と帰ってきた。絶対に、忍びとしてどこかに買われるのだと思っていたのに。帰ってきた水の姿を見て、葉名はホッとした。


 ーーホッとした……?


 葉名は自分の感情が信じられなかった。水のことが嫌いだ。いちいち癪に触る。それなのに、ずっと水から目を離せない。姿を見たくもないのに、なぜか行って欲しくない。


 自分の気持ちを放置して、葉名はなんでもないようにその日は過ごした。水の姿は絶対に見ず、考えないようにした。


 夜、布団に横になったが、水は「おやすみ」を言ってこない。いつも水が先に言うが、何か空気が違った。


「……私、ここを出て行くことになった」


 水が鎮まり返った部屋で呟いた。一瞬、何を言われたのかが分からなかった。


 大きくない声なのに、その心地の良い声が響いた。水は布団から上半身を起こして、葉名を見ているようだった。葉名も起き上がって水を見た。


 水は、年齢が上がるたびに綺麗になる。葉名のほうが年齢が一つ上のはずなのに、水のほうが大人びた容姿をしている。身長は水のほうがすっかり高くなった。声は艶を帯び、高すぎず、低すぎない心地の良いものになっていた。


 葉名は目を逸らしてぶっきらぼうに言った。


「……あっそ」


 悔しかった。


「……葉名、離れてもーー」

「いいってそういうの。あんた本当、面倒くさい」


 強めに言えば水は黙ってしまった。


「……いつ行くわけ」

「三日後」

「ふうん……」


 本当は、もっとたくさん聞きたいことがあった。どこに買われたのか、そこは本当に人攫いの類ではないのか、不安はないのか。だが、どこに買われるかというのは、暗黙の了解で誰も聞かなかった。だから、葉名も水に聞かなかった。


 ーー分かるのは、もう会える可能性はないに近い、ということだけ。


 それからの三日間、特に変わった会話はしていない。水も何も言ってこなかった。水が旅立つ前夜、「おやすみ」と言われても返す気になれなかったので、寝たふりをした。早朝、水が身支度をしているのも分かっていたが、知らないふりをした。ーー水は、もう一人で支度もできる。


 水は部屋を出て行く前、襖を開けると、しばらく立ち尽くしていた。


「葉名……あの時、助けてくれてありがとう」


 あの日のことを、まだ言ってくるのか。あんな酷い思い出など、早く忘れてしまえば良いのに。こっちは早く、水のことなど頭から消してしまいたいのだから。


 言葉など、返してやるものかと思い、黙りを決め込んだ。


「じゃあ……元気で」


 葉名が起きていることに、水は気付いていたのだろうと思う。スッと襖がしまった。そして、小屋から去って行く足音がだんだんと小さくなった。


 ーー行ってしまった。


 少しの静寂のあと、葉名の中で何かが押し寄せた。


 なぜか、涙が溢れて止まらなかった。あんな世話の焼ける妹弟子など、とっとと出て行けばいいのだ。あんな大嫌いな癪の触る女なんか、どこにでも行ってしまえ。


 それなのに、水との日々が蘇って苦しかった。


 水がここへやって来た日、初めて言葉を発してくれた日、初めて水に負けた日、そして、あの日のことーー。


 素直になれない自分が憎かったし、水に先を越されてしまったのが悔しかった。



 水にだけは負けない。自分だって、忍びとして、絶対に職を手にする。そして、ここから出て、双子の姉を見つけるのだーー。




 水が出て行ってからも、葉名の脳裏には水がチラついた。朝起きても、隣を見た。もういないことは分かっていても、癖で見てしまった。


 葉名の努力が実ったのは、水が出て行って暫く経ったあとだ。鶴牙と共に寺へ顔を出した。ちょうど、徳川秀忠の家臣がやって来て、現住職に忍びを買いたいと相談をしに来ていた。


 願ってもないことだった。徳川側に付きたいとずっと思っていたのだから。


「その娘が、忍びの修行を受けているのか」

「ええ。打刀の才能は、そこらの武士には負けません。かなりの剣の才能の持ち主です」


 鶴牙は葉名を褒めてくれた。こうやって、誰のことも褒めているのだろうなと葉名は思った。自分は水のように特別ではない。だが、徳川家にそう言ってくれるのは嬉しかった。


 鶴牙師匠の元を出ていく直前、鶴牙は葉名の名前を書いた木箱を葉名に渡すことはなかった。


 鶴牙は、葉名が出自の真相を知る必要はないと判断したのだろう。


「葉名、戦国の世は厳しい。万が一のときは、生き残ることを第一に考えなさい」

「……はい、師匠」


 葉名は、鶴牙の言葉に素直に頷いた。水が旅立つときも、同じことを言ったのだろうか。赤子の頃から見てくれた鶴牙に感謝していないわけではない。それでも、水との別れのときのように、涙は溢れなかった。


 

 徳川家の領地に密偵として付くことになり、徳川側の忍びたちの集会に葉名も呼ばれた。男ばかりで、その中には、リクや見覚えのある顔もあった。だが、水の姿はなかった。


 ーー水はいったい、どこに買われたのだろう。


「あいつが例の、豊臣に対抗して買った女か」

「おい、黙れよ」

 

 葉名を見て、鼻で笑いながら野次を飛ばす男を、リクが制した。男の態度より、葉名は男の言葉のほうが気掛かりだった。


 ‘豊臣に対抗して買った’とは、どういうことだ。解散になり、葉名はリクに尋ねた。


「ああ……気にすんなよ」

「気にしてない。ただ、豊臣に対抗って、何のこと?」


 そう問いただせば、リクは罰が悪そうな顔をして、声を潜めて言った。


「豊臣の警護隊に、優秀な女がいるってんだ。それだけだよ」

「どんな女?」

「……茶髪の長身、だとよ」

「……」


 ーー水は、豊臣家に買われたのか。 


 ここでも、また悔しさが込み上げた。水に対抗して、自分を買ったのだと。その、警護隊の優秀な女というのは、この自分が面倒を見てやったというのにーー。


 水は、きっと葉名のことなど忘れている。もう躊躇する必要などない。


 次に会うときは、状況によっては、敵であるのだからーー。

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