葉名と水、二人の過去③〜あの日の事件〜
その日、鶴牙は葉名と水に小遣いを渡して、街へ遊びに行く許可を出した。子供たちとしては、こうして遊びとして出られる日は嬉しいものだ。葉名は、何度かリクや他の少年たちと出掛けたことがあった。水はいつも鶴牙と一緒に街に行っている。だから、水は大人の付き添いがない外出が初めてだったので、とても嬉しそうだった。少し大人に近付いた気分になったのだろう。
葉名にとっては憂鬱だった。せっかく街へ行けるのに、水と二人きりなんて面白くない。水と街に行くくらいなら、その間に修行をしたい。
「師匠なしで街に出るのは初めてだから、楽しみだな」
「お子様かよ〜」
「12歳だから、私はもうお子様じゃない」
リクが水を茶化す。水が真面目に言い返すも、リクはどこか楽しそうだ。リクは水に優しい。水が真面目なのも知っていて、その言い合いを楽しんでいるのは見れば分かる。それも、水が癪に触る一つの原因だ。本当に鈍い。
街に行くということで、いつもの忍び装束ではなく、町娘と同じ小袖姿になる。水は、なんとか髪を自分でまとめることができたようだ。歪な形をした団子だが、葉名は指摘しなかった。崩れたとき、勝手に困ればいい。
「水、笠を取る場所は気をつけるんだぞ」
「分かりました、師匠」
鶴牙がそう言った理由を水は理解しているようで、素直に頷いた。笠がそんなに大事なのか。葉名にはその理由が分からないーー。
「じゃあ葉名、水は子供だけで街に行くのが初めてだから、頼んだぞ」
「はい、師匠」
そう答えたものの、正直そんな気にはなれない。鶴牙は「楽しんで」と手を振ってきた。水は笑顔で小さく手を振り返していたが、葉名は鶴牙を無視した。
「葉名、街に行ったら何する?」
「別に、私はどうでもいいや」
水は楽しげに聞いてきたが、葉名はぶっきらぼうに答えた。葉名の気分に気付いたのか、水はそれ以上何も言ってこなかった。自分が水に対してこんな気持ちを抱いているのを、鶴牙は見て分からないのだろうか。
水はどうせ、好物の甘味を楽しみたいだろう。それに付き合うなんてごめんだ。水と出会った頃は、食事や甘味を分けてあげたが、いつの間にか、そんなやり取りもなくなった。
街に着けば、団子やおはぎ、髪飾りや骨董品の店が並んでいた。水を見れば、笠の影になった目を大きく開いていた。
「行こう!」
水は葉名の手を取った。しかし、葉名はそれを振り解いた。
浮き足だって、馬鹿みたい。少し困らせてやろうーー。
葉名は、水に意地悪をしたかった。そうすればきっと、少しは気が晴れる。
「私、一人で回りたいから水もそうしなよ。半(30分)後にまたここで。じゃ」
「えっ、葉名……!」
葉名は水の返事を待たずに走り出した。どうせ、走るのだって水の方が速い。一緒に遊ぶつもりならすぐに追いついてくるだろう。追いかけてこなければ、一人で時間を潰せばいい。
そもそも欲しいものなんてない。本当は一人で修行がしたかったのに。葉名は近くにある川原へ行って、時間を潰そうと足を進めた。時間になったらさっきの場所に戻ればいいのだ。
約束の時間になった。葉名は指定した場所に向かう。しかし、行っても水の姿はない。遠くの方から水がこちらにやって来る様子もない。まさか、茶屋でダラダラしているのか。
「ったく、良い加減にしてよね」
呆れながら、葉名はその場を離れた。
二つの茶屋を覗いたが水の姿はなかった。念のため、笠を被った茶髪の少女が来なかったか聞いてはみたものの、見かけてないと言われる始末だ。甘味を食べなかったのかと不思議に思いつつ、水が現われないことに苛々も募った。どこまでも世話を焼かせてくる。
もう12歳なのだから、もう少ししっかりしたらどうだ。あとで会ったら文句を言ってやろう。
少し離れたところにある茶屋も一応覗いたが、水の姿はない。そこの売り子が葉名に声を掛けてきた。
「お嬢ちゃん、誰か探してるの?」
「うん。笠を被った茶髪の女の子、来ませんでしたか?」
「ああ、その子なら、ここを覗いたあとに、誰かと歩いて行ったよ」
「え?誰と?」
「お父さんなのかと思ったけど。お嬢ちゃん、置いて行かれちゃったのかな?」
水は誰に付いて行ったのだろう。水の知り合いは、鶴牙の周りにいる人たち、それからいつも行く寺の人たちだけ。それに、水は真面目なのだから、時間は絶対に守るはずだ。
ーーもしかして、何かあったのだろうかーー。
一気に寒気がした。葉名は思わず、口を覆った。何かあったら、別行動をしようと言い、水を放置した自分のせいだ。鶴牙にも、水を頼むと言われているのにーー。
「あ、あの……どっちに行ったか分かりますか?」
「確か、あっちの方向に行ったよーー」
売り子が話し終える前に、葉名は走り出した。後ろから「お嬢ちゃん!」と売り子の声が聞こえたが、葉名は無視した。
賑わった街から少し離れ、人通りが少ない路地へ行く。
「水!水!どこ!」
葉名は声を上げて呼びかける。返事はない。葉名の様子を気に留める大人がいても、皆が自分のことに精一杯の活気のない場所だ。誰も葉名を助けようとはしなかった。
「水!返事しろ!」
焦りと怒り、それから恐怖が葉名を襲った。これで、何事もなかったら、水を殴ってやる。
「助けてっ」
どこからか女の声が聞こえた。葉名は声が聞こえた方へ走った。
ーー恐怖で葉名は立ち尽くした。
路地裏に水はいた。三人の男に囲まれ、水は泣いていた。笠を手に握りしめ、異国人の顔が露わになっていた。帯は解かれ、着物を脱がされそうになっていた。
水が困ったらいい、意地悪をしてやりたいーーだが、水を助けなければならないという気持ちのほうが強かった。
大嫌いなのに、どうして助けたいんだろうーー。
葉名は、無心で隠して持ち出した短刀を手に、鞘を抜いた。そして、まずは一番大きな男の背中を刺した。
「ゔっ」
呻き声を出し、男は葉名の存在に気が付いたようだ。男は水から葉名へ体を向けた。この男はどうやら酒に酔っている。匂いがきつい。その代わりに勝機はこちら側にあった。
葉名はその男の腰にある刀を抜いた。葉名はまず、その男を斬った。男そのまま倒れた。二人の男も葉名を標的に変え、襲いかかって来た。普段使わない長い刀で扱い方がいまいち上手くできない。それでも、今はこの男たちを殺すほうが先だった。
13歳の少女が、どうやって男二人を相手にしたのかは分からない。気が付けば、三人の男は血を流して倒れていた。葉名は泣いている水の手を引き、急いでその場を離れた。
その間、水は震えていた。泣き止まないので、代わりに水の身だしなみを整えてやった。仕方なくだ。着物は土埃が付いていたので払ってやった。不器用ながらまとめた髪もぐちゃぐちゃだったので、手櫛で縛り直してやった。
世話をするうちに水は泣き止んだが、手の震えが止まらないようだった。気に入らないのに、どうしてこんなことをしているのか分からないまま、葉名は水の背中をさすった。
「大丈夫?」
声を掛けても、しゃくりをあげるだけで頷かないーーああ、これは大丈夫じゃないな。
水は笠以外の持ち物は取られてしまったようだった。葉名は持ってきた水筒を水に渡して飲むように言った。水は一口だけ飲むと葉名に返した。
「どっか痛い?」
「……膝と肘……あと頭」
膝と肘は擦りむいているが、頭はおそらく殴られたのだろう。顔を殴っていないのが悪質だと感じた。
「……私が異国人だから」
「え?」
「きっと売ろうと思ったんだ」
水が小さい声でボソボソと言う。
『水、笠を取る場所は気をつけるんだぞ』
鶴牙の言葉を思い出した。葉名はやっと理解した。あの男たちは人攫いの類の野盗なのだろう。水が異国人だと思い、売り飛ばして一儲けしようとしたのだ。
「……悪かったよ、一人にして」
葉名は、生まれて初めて罪悪感を覚えた。水は首を横に振る。
正直、こんなに怖がっている水を見たことがなかった。もしかしたら、鶴牙に助けられる前、野盗に同じようなことをされたのかもしれない。そう思ったら、もう少し水に優しくしてやった方が良いのか、とすら思った。
「今日は、団子を食べてもう帰ろう」
葉名は水に言った。水はまた泣きそうな顔をした。
「でも、私、財布も取られた……」
「泣くな!私のは残ってるから行くよ」
葉名は水の手を引いて歩いた。そして、先ほど声を掛けてもらった茶屋に行き、串団子を2本頼む。少女二人だけだからと、店主が少し負けてくれた。
店の者たちは、水の顔立ちが物珍しいのか、何も聞かずにまじまじと見つめた。水は気付かないふりをしているが、葉名にはそれが異様な光景に見えた。水はそう見られるのに慣れてしまっているのだろうか。そういえば、鶴牙が水を連れて来たときも、皆が水を異物のように見ていたのを思い出す。
葉名は水と並んで長椅子に腰をかけた。葉名が団子を食べるのを見ると、水も団子を頬張った。
「……美味しい」
「あっそ、良かったね」
やはり、突然優しく接するのは難しい。いつもの調子で答えてしまう。
「……さっき……葉名が来てくれて、良かった」
「……別に」
「私も、葉名みたいに強くなりたい……」
「はあ?あんた私より強いじゃん」
言い返せば、水は押し黙った。嫌味のつもりはなかったのだろう。だが、水のそういう悪気がないところが嫌だった。水には、もう少し、人の気持ちを考えてほしい。
団子を食べた後、葉名は水に笠を深く被せ、手を握った。
「早く帰るよ」
「うん」
暗くならないうちに、二人は鶴牙の元へ帰った。帰り道、水の口から、鶴牙のところへ来た経緯を聞いた。水が語り出したので聞いてやったのだ。葉名は鶴牙に同じ内容を聞いていたが、知らないフリをしてやった。
葉名は、自分には双子の姉がいる話をした。
ーーいつか、その姉を見つけ出して、手を掛けてやるということも。
水は励ましの言葉は言わず、相槌を打ちながら耳を傾けてくれた。
大嫌いなのに。
どうして、この女に自分のことを話してしまったのかーーそれがいつまで経っても、葉名には分からないのだ。




