葉名と水、二人の過去①〜孤独と嫉妬〜
ーー1606年、京都ーーその山では、元伊賀国の上忍・鶴牙が、少年たちに、戦国の世を生き抜く術として、伊賀の忍術を教えていた。
葉名はずっと、孤独を感じる少女だった。なぜなら、鶴牙の元で忍びの教育を受ける少女は葉名だけだったからだ。
少女が一人というのは、男児の中で浮いていた。リクや他の見習いの忍びたちに意地悪をされては、師匠はリクたちを叱っていた。
葉名が11歳になった時、鶴牙師匠が痩せ細った少女を連れてきた。日本では珍しい茶髪で、瞳の色も同じだった。小汚い感じだったが、特徴的な白い肌で、鼻が高い。他の子供と並んで立ってみても、小さく見える顔立ち。まるで自分と同じ人間には見えなかった。容姿がそんなだから、皆が水に注目していた。鶴牙師匠は少年たちに「散りなさい」と言い付けると、葉名だけを呼び寄せた。
「葉名、この子は水だ。女の子同士だから、仲良くしてあげなさい」
「はい、師匠」
「水、この子は葉名だ。今日から一緒に暮らすんだ。仲良くするんだよ」
「……」
それが、水との出会いだった。水はずっと師匠の影に隠れて、話そうとしない。どうやら、誰に対しても警戒しているようだ。ここには‘複雑な境遇を抱えた子供たち’が集まっているが、その中でも水は特殊に見えた。鶴牙に聞けば、住んでいた村が野盗に襲われ、水自身は人身売買に掛けられるところだったらしい。
さらに、水は異国人との混血だった。だからこそ、この戦国の世では生きにくいだろうと連れてこられた。
「きっと、怖い経験をしたんだろう。優しくしてあげるんだよ」
「分かりました」
そう言ってみたものの、今まで人に優しくしてきたこともなく、男たちの中で生活してきた葉名は、水への接し方がいまいち分からなかった。初めのうちは、水は師匠について生活していたが、食事の席は葉名の隣に座ることになった。
水は食事の量が誰より少なかった。葉名の半分も食べないので、さすがに心配してしまったのだ。これが、初めて水に世話を焼いた記憶だ。
「水、もっと食べなきゃ駄目だよ。ほら、私のぶんもあげるから食べな」
「……ありがとう」
それが、水が初めて葉名に言った言葉だ。見かけ通り、可愛い声だった。ここにきて数日、無口を貫いてきた水が、自分に口を聞いてくれたので嬉しかった。
「……別に」
それから、孤独感は少しだけ和らいだ。甘味が好きらしいので、団子や干し芋があるときは、必ず水に分けてやった。
葉名がそうやって接していくうちに、水は少しずつ、ここの皆に馴染み出した。
「いいかい水、ここで暮らす皆は、自分で生きていけるように訓練をするんだ。まずは、掃除や洗濯、調理だ。しばらく、葉名と一緒にやりなさい」
「……はい」
葉名は、水に全てを教えてやった。水の汲み方、薪割り、風呂の炊き方。そして洗濯をする場所、調理も教えてやった。
「葉名はなんでも知ってるんだね」
「はあ?ここで暮らしてるんだから、知ってて普通」
水は覚えが早く、調理以外はすぐにできるようになった。
だが、水は朝が弱いのか、朝早い当番に当たったときは、葉名が起こしていた。
「水!起きろ!朝だよ!」
「んー……、眠い……」
「当番だろ!起きな!」
それも正直、面倒だった。
「水の洗濯は上手いよな~!葉名よりも綺麗にできてたぞ!」
水の面倒を見ているのは葉名だというのに、リクや他の少年たちがこうして茶化すようになった。水が可愛い顔をしているから、気を引きたいんだろう。
「でも、私は葉名に教えてもらったようにやったから、葉名が上手っていうことだよ」
その度に、水は葉名を庇っていた。水は素直すぎる。人の言うことをすぐに真に受ける。それでいて頭の回転は早いから、少年たちにすぐ言い返して黙らせていた。その時初めて、心の奥がザワっとしたのだ。
水が忍びとしての訓練に参加するようになったのはいいものの、最初は体力作りからだった。少しだけ葉名と体術の練習をしてみても、葉名の蹴りを受けるだけでよろめいていた。食が細いし、好戦的ではない性格のせいだろう。
正直、葉名の練習相手にはならない。それで、イライラすることもあった。
そう、葉名は、ずっと強くなりたかった。女らしくないと言われても良い。この戦国の世で生き残るために、強くなるために生きている。だから、水の練習に付き合っていると、自分の訓練ができない。
「あんた、向いてないんじゃない?」
一向に上達しない水に嫌気がさした日に、転んだ水に言い放った。水は悔しがる素振りも見せることなく、立ち上がって膝を叩いて土埃を払った。
「……分かってんの?私の時間、無駄にしてるって」
何も言わない水に腹が立ち、言葉を突きつけた。水は、傷付いたのか「ごめんなさい」と小さい声で言って、その日の練習を切り上げた。やっと、自分の練習ができる。少しだけ気持ちはスッキリした。
本当は、水が一人で体力作りや練習をしているのも知っていた。言い返せば良いのに。でも、水はそういう性格ではない。だから、水に対して意地悪をしてやりたかったのだ。
ーーそれが2年前だ。今、葉名は水に蹴飛ばされ、膝をついている。あの日、水を叱った日から、鶴牙の言うことを凄まじい速さで吸収していった。一人で走って転んで、膝を擦りむいて寝室に帰ってきたこともあった。傷を放ったらかしにするので、手当をしてやったこともある。
葉名が水を意識している間に、水は葉名の実力に追いついた。いいや、もう既に抜かされてしまった。
「大丈夫?」
水は、葉名が膝をついたら必ずを手を差し伸べた。体術の訓練中、初めて水に膝をつかされた時は、水は困ってしまった。そして、葉名を気遣って手を伸ばしてくれた。驚いていたのは水だけではなく、自分もだった。あんなに弱かった水に、倒されるなんて。
当初は、差し伸べられた手を握り返していたが、最近はその手を取っていない。なんと言うか、悔しくて手を取れなかった。
「大丈夫、立てるし」
「そう」
水の手を握り返さないのはいつものことなので、なんとも思っていないだろう。初めてその助けを断った時は、さすがに動揺していた。
水は悪気のある少女ではない。それでも、何かいつも葉名の癪に触るようになったのはいつからだろう。それがもう、思い出せない。
容姿が美しいから、才能があるから、だからと言って私を馬鹿にするな。私の方が一つ年上なんだぞーー。
葉名は歯を噛み締めて水を睨んだ。
「お前また水に負けてたなあ~!」
「うるっさい!あんたには関係ないだろ!」
夕餉を食べながら、リクが葉名を揶揄った。リクはいつも調子のいいことばかり言う。自分には意地悪ばかりなのに、水には優しく接する。リクだけじゃなく、他の少年たちもそうだった。
水の生い立ちが可哀想だからって、皆、水を特別扱いし過ぎじゃないか。
葉名は大袈裟にため息を吐いて、味噌汁を駆け込んだ。早く食事を終わらせて、この場を離れたかった。
「でも、葉名は私より剣の筋が良いんだよ」
「お、水。お前は見る目があるな。葉名の剣筋はピカイチだ」
水がリクに言って葉名を庇う。それなのに、鶴牙は葉名ではなくて水を褒めた。やはり皆水が好きなんだと思うと、どんどん自分が惨めに思えた。
翌朝、鶴牙は葉名と水、それから15歳になる六郎に声を掛けた。
「今日はお寺に行くから、食事が終わったら準備をしなさい。水、笠も忘れないように」
「はい、師匠」
鶴牙は、たびたび子供たちを寺に連れて行く。昔、鶴牙がお世話になったらしく、寺の手伝いをしたり、挨拶に訪れたりしていた。それに、理由は他にもある。
「次は、六郎兄ちゃんか」
「もう15歳だもんな〜」とリクがぼやく。鶴牙の前では絶対に言わない台詞だったが、暗黙の了解で皆気付いていた。寺に顔を出しに行く理由は、手伝いだけではないのだ。
葉名は、小袖に身を通し、外出の準備をする。葉名は水と同室で生活しているので、目の端に水が映った。
水は見た目のせいでしっかり者に見えるが、不器用だ。髪の毛を団子にまとめたいそうだが、上手くできずにモタモタしている。外出前はいつもそうだ。
「ったく、貸しな」
葉名は水の手から髪紐を奪った。水は大人しく座って、葉名に従う。
水の髪は極端に細い。異国の血のせいか、葉名の髪よりも柔らかく、あまり梳きすぎると痛むらしかった。だから、きつく縛り過ぎないほうが良い。
「ほら、できたよ」
「ありがとう、葉名」
水は無邪気な笑顔で葉名に言う。格子から差し込む太陽の光のせいで、水の髪が煌めいた。
綺麗、だとは思いたくない。
「……良い加減、自分でできるようになんなよ」
ぶっきらぼうに言えば、水は気まずそうに頷いた。いつまで自分に世話を焼かせる気なのだ。
葉名は、鶴牙、水、そして六郎とともに山を降りる。その前に、鶴牙は水が被る笠を、もっと深くなるよう下ろした。鶴牙は、外出するときは必ず水に笠を被せる。肌が弱いわけでもないのに、水ばかり過保護にしていて、それも癪に触った。
寺に着くと、皆で寺の住職に挨拶をする。今日、寺には複数の武士と見られる男たちがいた。その内の一人が、水をまじまじと見る。
「鶴牙、その娘、珍しい髪の色じゃないか」
「ええ、まあ。まだ修行中ですがね。体術が得意なんです。水、ご挨拶だ」
「はい。水と申します。よろしくお願い申し上げます」
別の男も口を出した。
「ほう、これはかなり上玉だな」
「といっても、まだ12歳ですがね」
「なんと」
水はなぜか、年齢が葉名よりも上に見られることが多い。それも異国の血のせいなのだろうか。体型も、少しづつ変化してきている。胸の膨らみも、すでに水のほうがあった。
「葉名、水。中でお手伝いしてきなさい」
「……はい」
「はい」
皆が水を見る。そして葉名は水の世話係のようだ。この寺で修行する尼も「別嬪さんだね」と水に声を掛ける。皆が水に目を奪われて、誰一人として、自分を見てくれなかった。
葉名は、水と共に、本堂の掃除を手伝った。その間、水が外の様子を覗いていた。
「こら、掃除しなって」
「葉名、六郎兄さん……」
「……ああ」
六郎が、どこかの武士の後ろについて歩いて去っていっているところだった。さっき、外で見た限りだと、六郎がどこの武家に付いて行ったのかは分からない。水は、六郎の姿が見えなくなるまで、その場から離れなかった。
これが現状だ。鶴牙師匠の元で育った子供たちは、各地に忍びとして送られているのだ。
葉名は、見送る側にばかりなるのは嫌だった。
葉名もいつか、一人前の忍びとして、鶴牙の元を出たいと思っている。できれば、未来に希望が持てる徳川側が良い。忍びは男ばかりだが、女である自分にしか出来ないことだってあるはずだ。そうすれば、価値のある人間だと周りに認められる。だから、同じ女である水には負けるわけにはいかないのだ。
抜かされてたまるものか。水に抜かされているようでは、今どこかで生きているであろう、双子の姉を打ち負かすこともできないではないかーー。




