双子の顔、運命の再会
水と気持ちを伝え合った翌朝、いつも通り井戸で二人は会った。今日の水は、いつもの凛々しさよりも、どこか安心した雰囲気を纏っているように見えた。
桜音は、水とこうして並んで歩けることに幸せを感じだ。だが、昨夜は葉名を侮辱するようなことを言ってしまい、水との関係の嬉しさの反面、胸が痛かった。
「あの、水さま」
「水でいいですよ」
水はニコニコしながら言う。こちらは真剣に悩んでいるというのに、まさか水は浮かれているのだろうか。
「いえ、あの……昨日、葉名の件で、酷いことを言ってしまいました」
「酷いこと?あと、水でいいですよ」
「あの……ですから、私を通して葉名を見てる、とか」
水は桜音の顔を見て「ああ」と軽く返事をする。水は前を向いた。
「いいんです。そう思わせていた私のせいでもあるんだし」
「でも……水さまにとって大切な人であることは変わりありません。申し訳ありませんでした」
「気にしないでください。それに私、その話を聞いて少し嬉しかったんですよね」
「嬉しい?何がですか」
この人は何を言っているのだろうと思い、顔を見上げる。水は悪戯っ子のように笑いながら答えた。
「お千代殿も言っていたでしょう?桜音殿が嫉妬してくれているのは本当だったんだなあって」
「なっ」
嬉しそうに笑う水を見ると、返す言葉がなかった。
「ところで、さま付やめませんか?」
「でしたら、私のことも桜音とお呼びください」
「それはできません。目上の方なので」
「……」
正しいことを言っているのは水だ。でも、せっかく恋人になったのに、とも思う。彼女は意外と頑固なところがあるのかもしれない。
「あだ名だとは思いますが、水と呼んで欲しいです」
「私がそんなことをしたら、お千代ちゃんがどんな反応をするか……考えただけでも恐ろしいです」
「面白いの間違いでは?」
「もうっ、水さまはご自分の人気に気付いてないんですっ」
二人で笑いながら、厨房まで歩く。昨日までの辛い気持ちがまるで嘘のようだった。
別れ際、水は自分の予定を桜音に伝えると持ち場へ戻ってしまった。その背中を見るのも良いなあと感じてしまう。どうやら浮かれているのは水だけではないようだ。
「あれ?今日は水様、護衛じゃないのかな?」
朝、千姫の食事を運びに部屋にやって来たお千代は、並んで歩く桜音に聞く。
「うん。今日は用事があって城下町へ行くみたい」
「ええ〜?私たちは街へ降りるのを控えるように言われてるのにぃ?」
「まあまあ。水さまはお仕事で行ってるんだから」
「それはそうだけど」とお千代がブツブツ言っているのを、桜音はクスッと笑って見守る。
水本人から、今日は城下町へ降りると桜音は聞いているが、何の用であるのかは分からない。
お千代と一緒に、いつもと変わらない一日が始まろうとしていた。
水は、豊臣の見回り衆の武士と共に城下町へ降りていた。且元に、リクがいた薬屋を見てくるよう指示されたからだ。
水が豊臣家に仕えていることは、おそらくリクに見破られている。こちら側とて、徳川側が秘密裏に潜伏しているのを見過ごすわけにはいかないため、定期的に監視が必要と且元は判断したのだ。
「それにしても、すごい偶然があるものだな。修行を共にした者と再会するとは」
「そうなのでしょうか。この戦国の世なら、不思議な巡り合わせもあるのだと思います。私たちは、一種の傭兵のようなものですし」
「まあそれもそうか」
二人は軽く会話をしながら、例の薬屋へ足を進めた。
「店を閉めた?」
二人で薬屋へ足を運んだが、すでに薬屋はなくなっていた。建物自体は残っているものの、看板はなくなり、店内は藻抜けの殻になっていた。隣の店の店主に、何か知らないか聞いてみた。
「おじいさん、この店はいつ閉じたんでしょう」
「はて、いつ頃じゃったかな」
「例えば、この前の祭りのすぐ後とか」
「ああ」
店主は、ポンと拳で掌を叩いた。
「かなりすぐじゃったよ。翌日とはいかんが、その2日後くらいにはなくなっとったんじゃないかのう。なんせ、挨拶もなかったもんじゃからなぁ。知らぬ間じゃったよ」
水たちは店主に礼を言うと、二手に分かれることにした。相方は街の中を、水は店の中を確認することになった。
中には何も残っていなかった。何かの薬や紙切れくらい残しても良いものをと思う。
リクは一体どうなったのだろう。リクが徳川家の忠実な忍びであれば、水のことは報告されていると考えた方が良い。そして、こうして自分が街に降りて来ている時点で、誰かに付けられてもおかしくはない。
ーーそう、先ほどから、誰かに見張られている。徳川家の密偵か誰かが、この店内を確認しに来たに違いないだろう。
水は店を出て、その者の気配を探る。どうやら、店の入り口から左側の建物との間に身を潜めているらしい。水は笠を深く被り直し、深呼吸した。そして一気に足を踏み込んだ。
灰色の羽織に身を包み、頭まで覆っている。首巻で口元は見えない。体型は羽織に纏われて分からないが、身長は水よりも少し低そうだ。その影は走って逃げ出した。水はそれを追いかけた。
少し走ればすぐに街の外れだ。田舎になり、人の数も減る。足は水の方が速い。水は、踏み込んでその影の背中を蹴飛ばした。影は体勢を崩したが、上手く受け身を取った。そしてこちらへ体を向ける。その反動で頭巾が外れて顔を拝むことができた。
蹴った感覚から、男ではなさそうだった。この瞬間、水の嫌な予感は的中したーー。
「お前は……!」
水は息を飲んだ。頭巾の下から覗かせた顔は、水を睨む桜音の顔ーーいいや、葉名であった。
葉名は心の中でリクを罵倒した。あの男、この女に情けをかけたようだ。豊臣家の忍びに正体を悟られたかもしれないと徳川秀忠に報告をあげたのだ。水という優秀な女であることを隠したのは、他ならぬリクの私情だろう。
そんなことより、背中が痛む。この女、相変わらず容赦がない。まさかこちらが女だとは思っていなかったのだろうか。自分の顔を見て心底驚いているのは正直いい気味だった。背中の痛みの代償にしては少し安いか。
「……はっ、そんな顔すんだ、あんた。たまげたって様子だね」
水は、葉名の姿を見たまま、動きが止まってしまっていた。葉名は立ち上がり、水と距離をとって話した。
「なんであんた、街に降りてんのさ。城に仕えてるんじゃないのかい」
「……ここは豊臣領だ。なんで徳川の忍びがここにいる」
「へえ、私が徳川に買われてことは知ってんだね」
そう、この、心地の良い声。女にしては高すぎず、低すぎない声を久しぶりに聞いた。心地はいいが、相変わらず癪に障る。
「リクのおかげで、この辺りに徳川配下の忍びが店を構えてるってバレたもんだから。安心しなよ、全員引き上げたさ」
「じゃあなんで、お前は今日、ここにいるんだ」
「残りの証拠がないか確認してこいって言われたんだよ。私はこっちの街に来たことがないからね。なのにあの店、あんたがいた」
水はいつも葉名の邪魔をする。女の忍びとしての修行中に実力は追い抜かれ、自分よりも先に忍びとして買われた。
一度、この女の命を助けてやったといういうのにーー。
一度だって、葉名は水を好きになれなかった。今だってこの女が大嫌いでたまらない。
「邪魔なんだよ」
せっかくの機会だ。ここで消えてもらおう。葉名は打刀を手に地面を蹴った。
葉名が打刀に手を伸ばして水に駆け寄った。水もそれに対する形で長脇差を手に取る。
刃がぶつかる鈍い音が響く。交える刃から、葉名の嫌悪が流れてくるようだった。
葉名にここまで嫌われていたとは驚きだった。昔から負けず嫌いで水のことを良く思っていないのは薄々感じてはいた。
それでも、年齢を重ね、時間をおいたのだから、少しくらい敵意を抑えてくれてもいいのではないかーーいいや、最近桜音と一緒にいたせいなのか。同じ顔にこうして敵意を剥き出しにされるのはどうも堪える。
葉名は水に躊躇いなく刃を突きつけてくる。やはり、打刀の扱いは長けている。おそらく源治くらいの才能があるだろう。このまま対戦してもいいが、相手は桜音の妹だ。出来れば葉名とは戦いたくない。
地面を蹴ると乾いた砂が巻き上がる。葉名はまたこちらへ攻めてきた。
水は、反撃はせず全て流すことに徹した。葉名の蹴りが入りそうになったとて、四肢は水の方が長い。水は、恵まれた体型からいつも勝っていた。その勝敗は今日も同じだ。長脇差が打刀よりも刃の長さが短い分、自身の体型や俊敏さを生かすことができた。
葉名の表情が、さらに機嫌が悪いものに変わっていく。それを見ると、自分まで気が滅入りそうだった。
葉名は一度攻撃をやめる。水は構えを崩さないまま葉名を見た。
「ったく……やっぱりムカつくよ、あんたは」
葉名は呟いた。水に聞かせるつもりはないのだろうが、その言葉はしっかりと水の耳に届いた。今の葉名の様子を見る限り、桜音のことは知らないようだ。自分の双子の姉の存在を知れば、葉名ならば知りたがるだろうと水は思った。
「お役人さーん!こっちだ!」
声が聞こえた。葉名との再会に気を取られていた。戦闘を見た誰かが、町奉行の人に言伝したらしい。複数人がこちらの方へ駆けてくる足音が聞こえる。水と葉名は見つめ合ったままだった。
葉名は舌打ちをして、刀を鞘に収めた。
「ちっ……。あんたのことは、上へ伝えるよ」
「勝手にしろ、それがお前の仕事だろう」
「……次に会った時は、ただじゃおかないからな」
葉名は頭巾を被り直し、水に背を向けて走りだした。水も笠を整え、その場を離れた。
葉名が負けず嫌いであることは知っていたが、あそこまで敵視されるとは思わなかった。これが豊臣家と徳川家に分かれてしまった自分たちの運命なのだろうか。
どうしてこんなことになったのだろう。水は葉名のことを、恨めしくも憎くも、嫌いだとも、一度も思ったことがなかったのにーー。




