復讐
暗く、ジメジメとした場所だった。
光の差さないこの場所は、地面が岩盤であるのも相まって草木の一本も生えていない不毛地帯だ。場所自体は開けている。だから、開けているのに湿気がこもる暗がりな場所というのはどこか不思議な雰囲気を持っていた。
「こんな場所があったんだね」
僕は大きく息を吸い込みながら、一人呟いていた。
ここに溜まるのは湿気だけではないのだろう。重苦しい空気が辺りを支配していて、息が詰まるような場所だ。
早く仕事を終わらせよう。
僕は考えながら、歩を進める。
どうして嫌々な気分でこの場所を歩いているかと言うと、僕の、もっと拡大解釈にすれば魔族なんかよりもよっぽど人類の敵になりえる存在がこの近くに潜伏しているという情報を掴んだからだ。
だけど、それだけだと僕がこの場を歩いている理由にはなっても、一人でいる理由にはならない。加えて、その敵に僕以上の気持ちを持っている二人がこの場にいない理由にも。
でも難しく考える必要はない。僕が一人でいるのは、情報に確証がないからに他ならないからだ。
情報の精査をする人手が今の状況ではないので、彼女たち二人には別にあった目撃情報の元に確認してもらいに行っている
僕としてはあまりいい顔が出来る状況ではない。当然だ、相手は僕と同格の人を倒せるだけの力を持つ相手なんだ。二人に任せるのはあまりにも危険すぎる。
二人のあまりの剣幕に押し切られたけど、僕としては不安で仕方なかった。
「早く、戻らないとね」
僕の足はどんどんと早くなっていた。
早く帰るために、万が一に備えて加勢に行けるように。
いっそのこと、僕が当たりを引いてしまえば全部いらない心配になるのに。
「フフッ。次は、誰にしましょうか?」
するとかすかに届く、誰に向けられたものでもないであろう独り言。
よかった。どうやら情報は当たりだったようだ。
僕はほっと一息をついて、一人で何か作業をしている女性に声をかける。
「さあね。次は君がなればいいんじゃないかな」
僕の気配に気付いていなかったのだろう。驚いた様子で彼女はこちらへと振り返った。
「やっぱり君だったんだね」
彼女がはたして同じ人間なのか、僕には判別できなかった。
左半分がただれた顔。ギロリと睨みつけている両目は真っ赤に充血するどころか出血すらしており、見る者に恐怖と嫌悪感を与える。
暗がりでよく見えないが、きっと身体のところどころにも同じような傷があるのだろう。
やけどでもしたのだろうか。それともそれだけの憎悪を心の内に秘めているとでも言うのか。
「さあ、覚悟はいいかな?」
それでも、僕には僕の理由がある。
ギャリィンと音を響かせて僕は腰に差していた剣を抜いて、もはや異形となり果ててしまった彼女に僕の魂の一部を向ける。
「おやぁ?」
声もかすれているのは喉が焼かれているからなのか、歪な声音が僕に飛ぶ。
「おやおやぁ。アナタはリョウ様に負けるのを恐れてヤマト帝国の勧誘を蹴り続けた臆病者の勇者ではありませんかぁ」
「誰が誰に負けるのを恐れていたって?」
僕はつい言い返していた。
彼女の言葉は僕には聞き捨てならなかった。あの偽物よりも下に見た挙句に、僕が決着を恐れていただって? それは冗談だったとしても笑えない。
「だってそうでしょぉ? リョウ様はあの国で一番の実力者。誰も勝てる人などいなかったんですからぁ」
「へぇ。じゃああの国のレベルは思っていたよりも低かったんだね」
僕は思わずムキになっていた。あの偽物に勝てないと言われるのが、自分で考えているよりもずっと許せなかったんだ。
僕は知らなかった。リョウが最終的にシオンの技を使いこなせるまでに成長していることに。僕よりも数段上の彼が、リョウの技量を認めていたことを。
知らないからこそ、僕は安易に彼女の地雷を踏んだ。
「そうですねぇ。たった一人に負けたぐらいですしぃ」
ぞわり、と背中をざらざらの舌で撫でられたような感触が僕を襲う。
「本当にぃ、あんな情けない国にいたことが恥ずかしいですよぉ」
「そう、だろうね。あの国にいなければ、君の大切な人も亡くならずに済んだのに」
「えぇ。まったく」
トスカの言葉が終わる前に、僕は大きく後ろに飛び下がった。
そして、つい先ほどまで僕が立っていた場所にクレーターが出来たのは、刹那ほどの時間もなかった。
「本当、その通りですよぉ。まぁ、リョウ様の決めたことを悪く言うつもりはないですけどぉ」
「クッ!」
僕は地面に足がついた瞬間に力を込め、もう一度宙を舞う。
僕が着地した場所にどんどんとクレーターが出来ていく。少しでも足を止めれば、僕は地面と同化していたことだろう。
しかし僕は直感に従ってただ足を動かしたことにより、音すらない猛攻の一陣を避けきった。
「そもそもぉ。あのクソヤロウがいなければ魔族なんてリョウ様が倒していたのにぃ」
久しぶりの感覚だった。
僕を襲うこの感情は恐怖。魔神の時以来の感覚に、僕の頬を一滴の汗が流れる。
――なんだこの人は。
僕は粟立つ腕を押さえて、トスカを観察する。
「無理だよ。ヤマト帝国があのまま進んだところで、結果は変わらない」
「あぁ?」
「君が心の底から憎んでいる彼は、今魔族の味方をしているからね」
本当は機密事項なんだけど、僕がこの人を倒さなければならない以上、そんなことは些細な問題だ。
あわよくば、僕がもし負けたとしてもこれ以上の被害を出さないようにしなければならない。そっちの方がよっぽど優先順位が高いに決まっているんだ。
「……なるほどぉ。臆病者の癖に、口だけは一人前なんですねぇ」
彼女を中心に黒い嵐が吹き荒れ、小さな傷が彼女に出来ていく。もしかしたら、あのただれた肌もこの瘴気が原因なのかもしれない。
「凄いね。それを独学で、しかも一人で制御するなんて」
僕の前髪は風に吹かれて暴れ、少々うっとうしい。だから気にしないためにも、率直な感想を述べた。
僕の言葉にウソはない。
トスカが現在解放している禍々しい瘴気の量は、常人はおろか僕やカレンと言った世界最高峰の実力を持つ生物でも制御出来る代物ではない。おそらくそれだけの恨みがシオンにあるのだろうけど、その所業は生物としての範疇を超える行為だった。
「フフッ、リョウ様のご意思を叶えるためならこのぐらい、大したことじゃないですよぉ」
そう言って笑う彼女の表情は少し辛そうだった。無理をしているのがありありと分かる。
「うん、そうか。仕方ないね」
僕はもう、彼女の姿を見たくなかった。
己の復讐のために自らを壊していく彼女の姿が、どうしてか自分と重なったから。
想像もしたくないがアイリスを失った場合、僕も彼女と似たような姿になると予感してしまったから。
「残念だけど、君は救われない」
「失礼なぁ。あのクソヤロウの首さえ獲れば、それだけで救われますよぉ」
「それは無理だよ。シオンを倒そうとするのなら、人間を辞めるだけじゃ足りない」
彼は神でさえも退けたんだ。神を超える存在じゃないと、彼には傷一つ付かないだろう。
「なんでそんなこと言うんですかぁ。殺したくなりますよぉ」
でもトスカは僕の親切な忠告を挑発と受け取ったようだ。
一層と激しい瘴気が僕を仕留めんと向けられる。
しかし僕も今度は引かず、真正面から瘴気の渦を見据えていた。
「僕の大切な人を泣かしたんだ。その報いはしっかりと償ってもらう」
君がどれだけ辛い目にあったのか、それは僕には分からない。君の中でどれだけあのニセモノが大きな存在だったのか、僕には理解出来ることなどない。
でも、君だけが悲劇のヒロインじゃないんだ。
君にとってシオンがどれだけ憎いのかは知らないけど、僕たちからすれば君は、君にとってのシオンぐらい憎い。
君がしたのは、それだけの罪なんだ。
「君を救うためにも、僕が引導を渡してあげるよ」
僕は三度足に力を込めて飛ぶ。
今度は逃げるためではない。この自分のことしか考えていない、哀れな復讐者を止めるために。
僕は握っていた剣を全力で振り下ろした。




