刻白
「ごめん、待ったかい?」
「いえ、私も今来たところです」
待ち合わせ場所に先に来ていたアイリスが、柔らかく笑った。
「それじゃ、行こうか」
彼女の笑顔を真正面から受け止められなくて、僕はわき上がる恥ずかしさを隠すように彼女に背を向けた。
今日は、元の世界でいう土曜日に当たる日。いつもは休みがないほどの仕事に奔走している僕にとっては、随分と久しぶりな丸一日の休日だ。
とは言っても、仕事がないわけではない。一国の中枢に身を置いている以上、際限なく終わりなく仕事が次から次へと増え続ける。
理屈で言えば、休まずにそれこそ不眠不休で作業に没頭するのがベストなんだと思う。僕一人では首が回らなくなるのは目に見えているけれど、そこは誰かに手伝ってもらえば済む話だしね。ただ、オーバーランクである僕にしかできない仕事も多々あるので、僕が抜けるわけにはいかない。
理屈では正しいと分かっている。でも、僕だって人間だ。機械のように黙々と作業できないし、息抜きだってしたい。
だから、今日の僕は仕事を投げ出してアイリスと遊びに来ていた。要は、サボったのである。
「それにしても、この間と期間が短いのによく休みがとれましたね」
「うん。シヴァさんには足を向けて眠れないかな」
僕の仕事は、同じオーバーランクであるシヴァさんに集まっているだろうからね。
「ふうん。レイトの役に立ててよかったです」
僕の考えに気付いていないアイリスが、なぜか安心したように呟いた。
「そうだ。聞いてなかったけど、結局僕たちはどこに行くんだい?」
後ろめたい僕としてはあまりこの話題を広げたくなかったので、唐突ながらも話を変えることにした。
「レイト、アナタは私をどこに連れていくつもりだったの?」
僕の言葉にそれだけ呆れたのか、アイリスが眉間に指を置きながらため息をついていた。
「適当に歩いていれば運よく到着すると思っていたんだよ」
「そんな適当にしていたら、迷子になってしまいます」
迷子になったことないんだけどなあ。
僕はアイリスに反論しようとして、意味がないことなのでやめた。
僕は、シオンの言う主人公補正なのか知らないけれど、今まで一度も道に迷ったことがない。
気が付いたら、目的地に着いているんだよねー。
「私が行きたいのは、王都でも有名なケーキ、屋さん……」
アイリスが突然足を止め、驚いた様子で一点の建物に集中していた。
「どうしたんだい?」
まさか、そのケーキ屋さんに到着でもしたのかな?
さすがにそれはないか、と僕は一人で少しだけ苦笑いした。
「ケーキ屋さんに着いちゃった」
小説は現実よりも奇なり。
僕の脳裏によぎったのは、そんな単語だった。
「そう言えば」
「うん? どうしたの、レイト」
目的のケーキ屋さんに着き席を案内され注文も終えた僕は、注文した品が届くのをウキウキしながら待っているアイリスに声をかけた。
アイリスは、可愛らしく首を傾げて僕の発言の先を促す。
それはケーキなんかよりもよっぽど甘く、美味しそうだった。
「ア、アイリス、今日は武器を見に行かなくてもいいのかい? 僕はまだ、時間があるんだけれど」
シオンと君がデートしていた時は行っていたよね。
「今日はいいです。先週ノエルと見に行きましたから」
なんで、僕を呼んでくれなかったんだ。
仕方ないじゃないか。その日の僕は仕事でいなかったんだ。
嫉妬深い僕の黒い心が顔をのぞかせ、その後に出てきた理性が即座に論破した。
遊びたいと彼女が思ったところで僕は仕事で時間を割けなかったのだから、やきもちなんて身勝手すぎる。
「でも、せっかくレイトが時間を取ってくれたんですから、もっと一緒にいたいです」
「えっ?」
「だって、最近遊べてないですからね」
アイリスの発言に胸が高まったのもつかの間、僕は一気に冷静になった。
そうだよね。アイリスはシオンに思いを寄せていたのだから、僕には友達以上の気持ちを抱いているわけがないよね。
「お待たせしました。イチゴショートケーキと紅茶でございます」
「うわぁ~」
アイリスが感嘆の声を漏らした。
彼女の前には、ゲレンデのように真っ白なクリームでコーティングされた三角形に、目を引き付ける赤いいちご。
それは、日ごろ甘いモノを食べない僕の素人目から見ても、美味しいであろうことがすぐ分かるほどのショートケーキだった。
アイリスが待ちきれないと言った様子でフォークを片手に舌舐めずりして、逆手に持っていたフォークを白く塗られたスポンジに突き立て、そして口まで運んだ。
「本当に、美味しそうに食べるよね。アイリスは」
僕は関心しながら、アイリスの食べっぷりを眺めていた。
彼女は食べることに夢中になっていて僕の言葉は無視されてしまったけれど、予想の範囲内ではあったのでほんの少しの傷で済んだ。
僕は一人微笑みながら、紅茶を口に含んだ。へえ。予想していたよりもおいしい。
僕は微笑みながら、アイリスは一心不乱に、それぞれが注文した料理を食べ、飲むだけで会話もない静かな時間が流れた。
いつまでも、こんな時間が続けばいいのに。
僕は幸せに感じるこの瞬間が永遠となることを望んだ。
そんなことは、絶対にないのに。
茜が西の空を、藍が東の空を混ざりあいながら染める時間。
僕とアイリスは手を伸ばせば届きそうで、逆に言えば手を伸ばさなければ届かない間を空けて、晩餐の準備の匂いが鼻腔をくすぐる道で帰路についていた。
二人の隙間にあるのは、パンパンに膨らんだいくつもの紙袋。中には、デザートを食べ終えた彼女の提案によって買われた衣服が詰め込まれている。
「……」
「……」
二人に会話はなく、ただかかとが地面を叩く音だけが響いていた。
理由は分かっている。僕と彼女は疲れているのだ。
声を出すのも億劫になるほど疲れているけれど、それは僕たちの仲が悪いなんてことではなく、むしろそれほど遊んだからに他ならない。
それに、僕はゆったりと流れる今の時間を居心地が悪いなんて思っていない。
パズルの最後のピースをはめた時のようで、不思議とこの静かな時間がしっくりきていた。
彼女も、僕と同じ感覚になっていればいいな。
「ーーあのさ」
儚い希望を頭を振って外に出し、僕はゆったりと流れる静かで幸せな時間を自分から壊した。
「はい? どうしました?」
僕が急に声をかけたにも関わらず、アイリスは驚いた様子もなく小首を傾げた。
「えっと」
声が出ない。
まるで発声方法を忘れてしまったかのように、僕の喉は凍りついていた。
理由は明白。心臓が鼓動することを忘れてしまったのかと錯覚するほどの恐怖が、僕を支配しているからだ。
いきなりどうしたのか、と言われるかもしれない。
頭でも打ったか、とバカにされるかもしれない。
目の前に立つ彼女も、話を切り出したくせに一向に口を開かない僕に対して、徐々に不審の色を混ぜていた。
誰だってそうだ。立場が違えば僕だってそう思う。
僕は自嘲の念を込めて、笑顔を作った。
それは、今までの思い出を壊すかもしれなかった。
今日みたいに、一緒にケーキを食べたり買い物したりしたことはもちろん、今まで様々な出来事を彼女とともに過ごしてきた。
生徒会室で勉強を教えあったこと。彼女が作ってくれた料理を残さず食べたこと。誘拐された彼女を助けたこと。
シオンやカレンともまだ仲が良かった時の思い出もたくさんある。
サバイバルにトーナレント。テスト勉強に、魔神との決戦。シオンとデートしている君を後ろからついて行ったこともあった。
いい記憶ばかりではないけれど、僕にとってはどれも欠けることのない大切な思い出ばかりだ。
しかし今、僕の喉を通過しようとしている言葉は、それら掛け替えのない大切な時間を歪ませてしまう。
分かっていたのに、覚悟を決めていたのに、まだ足りていなかった。その結果、一人で苦悩しているんだ。
それでも、僕には言わなければならないことがある。
「僕はーー」
今言わなければ、永遠に機会を失ってしまう気がする。否、実際に失う。
戦争という現象が、すぐそこまで来ている。
僕は勇者として、無敗の剣帝として、みんなを先導しなければならない。そこに、僕の拒否権はない。
僕の話を待っている彼女とも今まで以上に会えなくなるし、話すチャンスはもっと減るだろう。
ーーだから。
「僕は、アイリスが好きだ」
この気持ちを、君に伝えるんだ。
「……レイトーー」
「返事はいらない。まだシオンのことを想っているのは知っているから。ただ、君を想っている人がいることを伝えておきたかったんだ」
僕は夕日の影響で真っ赤になったアイリスに、矢継ぎ早に言葉を重ねた。
困っている彼女を助けたかったんだ。と言っても、説得力はないだろう。
僕は逃げたんだ。現実から、彼女から、そして自分の想いからも。
「今日は楽しかったよ。じゃあね」
僕は自分を光に変える魔法を使って、流星のように一瞬でその場を後にした。
もう会うことはないはずだ。
無敗の剣帝は、これから各国を回る。集め、束ね、魔族と全面戦争に備えるために。
学校には行けなくなるし、当然寮にも戻れない。
彼女との繋がりも切れることだろう。
会えなくなる以上、彼女にとっての僕という存在が少しずつ風化していくに違いない。
だから、返事を聞くこともないのだ。
「レイト、どうして私を選んだの?」
様々な感情がごちゃまぜになって泣き出しそうなアイリスの声が、誰もいない夕暮れの中を虚しく震わせた。




