日常
雲ひとつない晴天の朝。
「おはようございます!」
「うん、おはよう」
横を走り抜けていく後輩であろう男子生徒に挨拶を返しながら、僕は校門を抜けた。
校門から見える生徒の数はまばらだ。まだ授業までかなりの余裕があるから、当然と言えばそれまでではあるのだが。
さっき僕の背を追い抜いていった彼のように朝練で部活に参加するような生徒しかいないこんなにも早い時間に、僕が登校しているのには理由がある。
ます一つ目に、僕がヒマだったからだ。朝は個人的な特訓をしているために、時間の余裕が有り余っている。
だが、さすがにヒマだから、という理由だけでわざわざ早めに登校するわけがない。それなら、特訓の時間を伸ばして調整すればいいだけだ。
僕が今、自分の下駄箱から上履きを取り出しているのには、もうひとつの理由がある。
今日は溜まりに溜まった仕事を片づけろ、と担任の教師、モノク先生から呼び出されたからだ。
仕事を怠けていたわけではない。ただ、物騒になっていく情勢下に僕の仕事の量も増える一方で、正直言って学校に行ける時間すら減らさなければならなくなっているだけだ。
僕がシオンの言う主人公という立場でなかったら、きっと同級生たちは僕のことを忘れていただろう。
僕は自身が広げていた考えをバカバカしいと心の内で切り捨てて、生徒会室と書かれた部屋のドアノブに手をかける。
「珍しいですね、レイトが学校に来るなんて」
生徒の姿もまばらなこの時間だ。生徒会室も無人だと思っていただけに、部屋に入ってすぐに声をかけられて驚いた。
僕は内心広がる動揺を笑顔で隠す。無敗の剣帝が学んだ数少ない処世術だ。
「早いね。アイリス」
「誰かさんが学校に来ないからよ」
部屋の先客だったアイリスは、僕の思惑をすべて読み取ったかのように柔らかく笑った。彼女には敵わない。
「悪いとは思っているよ、学生の本分を放ったらかしにしているんだからね」
「それだけですか?」
「それだけかな。アイリスには毎日会っているから、さびしいとは思わないし」
「面白いですね」
僕は本心から言ったつもりなのだが、彼女はクスリと微笑むだけだ。
きっと冗談だと思っているに違いない。が、ここで本気だ、なんて言っても恥ずかしいだけだ。
この気持ちに、今はふたをすることにしよう。
「アイリスは、何をしているんだい?」
「ん? 別に大したことじゃないですよ」
アイリスが傍らに重ねられていた書類に手を伸ばして、目を通しながら言った。
全然大したことなさそうだから聞いたんだけどな。
机だけでなく、アイリスの両サイドには決済、未決済と書かれた段ボールがそれぞれふた箱ずつ積まれていた。中に入っているのは、束となった書類の山だ。
きっと、これらすべてが生徒会に寄せられた仕事だ。生徒会長である僕が不在の間に溜まりに溜まったであろう書類の整理を、彼女がしているのだと推測するには十分な判断材料になる。
「僕も手伝うよ」
「はい、助かります」
僕は未決済と書かれた段ボールをひと箱とアイリスの前にある書類の山を手に、生徒会長の席に座って作業を開始した。
「今日は仕事がないのか?」
「うん、あってもサボるけどね」
西の空から光が差し込む廊下を、僕は段ボールを抱えながら進む。
「サボるなんて、ダメですよ。そんなことじゃ」
隣で僕と同じように段ボールを抱えているのは、アイリスとノエルだ。
「サボる、といっても、今日はもともと休みなんだけどね」
山積みとなっていた仕事の山は朝だけで終わるはずもなく、授業中も教室に持ち帰って、放課後に生徒会室にこもって、今日一日書類と格闘していた。
アイリスはさすがに授業中は真面目に先生の話を聞いていたけれど、僕が授業の合間に仕事をしている様子を見て、放課後はノエルも手伝ってくれたんだ。
それでも、かなりの時間を取られたんだけどね。
「「「失礼します」」」
僕たちは片づけた仕事を報告するために、職員室を訪ねた。
両手がふさがっていたから足で戸を開けさせてもらったけど、多分問題はないよね。
僕は自分に言い訳をしながら、生徒会執行部の顧問であるモノク先生の机に持っていた段ボールを置いた。
「おいおい、まさかこれ全部終わらせたんじゃねーだろうな」
「終わらせましたよ。どうも急いでいるようでしたので」
「確かに急がしたが、いくらお前といえど終わらんと思ってたんだよ」
「そうですね、僕一人だったら終わらなかったと思います」
モノク先生は、僕の言葉から段ボールを回して肩を回したりと各々で疲れをほぐしているアイリスとノエルがいる理由に気付いたようだ。
「お前らみたいな優等生が揃えば、そりゃ終わるわな。ったく、メンドクセェ。仕事を増やしやがって」
モノク先生が隠そうともせずに大きく舌打ちをしてから、段ボールの中にある書類を適当に一枚取り出した。
「ああ、ホントに終わってやがる。お前らはもう帰っていいぞ」
モノク先生はため息をつきながら、僕たちに帰るように促した。
「「「失礼しました」」」
僕らは頭を下げ、職員室を後にした。
さて、これからどうしようか。
僕は下駄箱から出した靴に履き替えながら、これからの予定を立てるために考える。
今日はもう用事がない。
生徒会としての仕事はたった今終わったばかりだし、無敗の剣帝の仕事も今日は休みだ。
最近はずっと忙しき働きぱなしだったので時間に余裕がある時は何をしていたか忘れてしまった僕は、暇のつぶし方もいちいち考えなければならない。
やっぱり、特訓かなあ。
「レイトは、これから予定があるんですか?」
僕が脳内で議題を片づけると同時に、腰の後ろで組んだ手で持つカバンをしっぽのように揺らすアイリスが僕の前で軽やかに振り返った。
「いや、しなければならないことはないよ」
「したほうがいいことは?」
「あるにはあるけど、しなくても問題ないよ」
今から行った数時間で、劇的な変化があるはずない。すぐに変われるというのなら、毎日根気よく続けない。
僕は笑顔の裏に自嘲するかのような気持ちを込めて答えた。
僕の答えにアイリスは満足げに頷く。
なんだろうか。彼女はいったい何を考えているんだろう。
僕はアイリスの思惑が読めず、少しだけ困惑した。
彼女のことだ。無理難題を押し付けてくるようなことはないと思う、思いたい。これがシオンなら、僕はきっと覚悟を決めて、辞世の句でも考えていただろうけど。
僕は自然にシオンがいた時を思い出していて、自分で少し嫌な気分になった。
昔は友人だったとはいえ、今は人類すべての敵となっている彼のことを思い浮かべていたのだから。
「どうしました?」
「ああ、別にどうもないよ」
心配そうに顔を覗き込んできたアイリスから少し離れ、僕は上気した顔を隠すために明後日の方向を向く。
びっくりした。考え事をしていたから、彼女が近づいていることに気付かなかった。
危なかった。無防備に首をかしげているものだから、油断していれば理性が崩壊していた。
ノエルがいるというのに襲ってしまっては、きっと僕はミンチと化していただろう。いやいや、まず襲う時点でダメだ。
僕は充分に熱を持っている思考回路を覚ますように、寒さに震えるようにかぶりを振った。
「そうですか? ならいいんです。それで、私たちもレイトの仕事を手伝いましたし、何かお礼はないんですか?」
「パフェを奢るだけでいいぞ」
「そうですね。私もノエルに賛同です」
アイリスとノエルは、二人だけでどこの店に行くかを話し合い始めた。
二人が奢れと言っているが、お金を持っていないわけではない。
彼女たちは仮にも貴族とそれに仕える従者だ。持っている全財産を使ってパフェを食べようとすれば、きっと何日もパフェだけを食べていかないといけなくなるぐらいの量が買える。
そんな彼女たちが僕の財布の中に狙いをつけている理由はただ一つ、要はこれから一緒に食べに行かないか、と誘っているのだ。
僕はどこに行くかを考えているアイリスとノエルの話に混ざろうとして、やめた。
「――ごめん、ちょっとカバンを持ってて」
持っていたカバンをノエルに押し付け、僕は目についた場所へと走り出した。驚きながらも咄嗟にカバンを持ってくれたノエルに感謝だ。
「君たち、何をしてるのかな?」
声をかけられてこちらに振り向いたのは、数人の男と彼らに囲まれた一人の女性。主人公がフラグを立てるに最適な条件、状況だ。
男たちはそれぞれ僕を邪魔もの扱いしたり正体を訪ねたりしてくる。共通して存在しているのは、突然現れた僕への敵意だ。
「そこの女性が困っているようだけど、君たちは知り合いなのかな?」
僕はあの偽善者とは違う。むやみやたらに暴力に頼らない。
敵意を一身に集めながら質問した僕への答えは、男たちの嘲笑と女性の否定だった。
「そう。知り合いじゃないのなら、彼女を解放してあげなよ」
僕は笑顔でそう言った。笑顔、といってもアイリスたちのような知り合いに向ける穏やかなものではない。敵を前にした時のように、相手をバカにしたような見下した笑みだ。
そんな笑顔を向けられた男たちは、当然のことながら顔を真っ赤にする。僕も彼らの立場なら頭にくると思うから、彼らの反応は何にも間違ってないと断言しよう。
しびれを切らした男が僕を排除しようと動くのを確認してから、僕は手を抜いて彼らと遊んであげたのだった。




