106 さあ、懺悔の時間だよ
人は戦う。
でも理由がある。
時に残酷な、時に同情し、時に楽しみの為に。
でも、獣は違う。
楽しみの為じゃない、ただ生き残る為に。飢えをしのぐ為に。
ただ、傷つける為だけに動くのは人だけ。
ならば、残酷と詠われる人の性分が存在する事が。
人としての証、になるのだろうか?
106 さあ、懺悔の時間だよ
「あ、シュースイ君?」
「……ラーカイル……先生?」
引き摺られている状態だったにも関わらず、思い切り腕を動かしてみたら触手がぴんと張って引き摺られていた状態が止まったのだが。漸く起き上がっても腕に絡んだ触手はそのままで正直……粘っこい液体が滴っている状態は非常に気分がよくない。
そんな状態の時に、うっかりのほほんとした声が聞こえてくれば驚くなと言う方が無理な話であり。
「秋水様、ご無事でいらっしゃいますかっ?」
「キャシー……俺は……まあ、それなり?」
くいくいと腕に巻きついたままの触手を剥ぎ取ろうとするが、ねばねばと吸盤が許してくれない。
「申し訳ございません、秋水様……」
「まあ、一応怪我とかはな……あれぇ?」
今頃になって、頭が揺れているかの様に視界が揺れて、手足に力が入らずに冷や汗が流れて背中が熱くてじんじんとしてくる感じがしてくる秋水だったりする。
「おやおや……どうやら貧血の様ですね」
「ラーカイル様、悠長な事を仰っている場合では……と言うより、なんですかこの状態は?」
キャシーの声に周囲を見てみるが、すでに視界が水で滲んだ水性インクの様な状態になってしまっている為に見る事は出来ない……ここ暫くの経験から、この後は目の前が真っ暗になって気絶してしまう状態になるだろう。すでに呼吸困難な事態に陥ってる秋水は慣れっこで、あまり良い事ではないが実感してしまう。
視点を切り替えてみると、状況は微妙だと秋水は言ったかもしれない。
位置的に考えて地下水路のほぼ中心地には、ちょっとした空洞があり水が循環して一箇所から入ってきたら別の箇所へと流れ出る造りになっている……配置された柱はどれも大人が手を繋いで何人もいなければ周回できないほどの太さで、その一部の柱が仄かに光を放ち、そこから先ほどから地下水路をうねっている触手が何本も出ている。しかも、太さも色も千差万別で多種多様の動きをしている側には見覚えのある人物が佇んでいる。
「あれは……レイン様、でございますか?」
すでに倒れ付してしまった秋水は耳だけが辛うじて生きている状態であり、どちらかと言えば生存本能が優先されている状態な為に脳みそは上手く働かないのは普通で。故に、秋水には全く感じられなかった事がある。
秋水本人に感じられないと言う事は、ソレに対しての周囲の反応が遅れるというのも当然で。
「ほう……秋水!」
その声がどこから聞こえたのか、秋水には半分以上の意識が止まっていたから判らない。
「危な……!」
「キャシーさん!」
秋水の腕に絡んでいた触手が、何かの目的を持ってぐいっと引っ張られ。
先ほどとは比べ物にならない程の強い力で放り投げるかの様な放物線を描いて持ち上がった秋水の体から触手を引き剥がそうとドーンが飛び上がるのと、別の触手が大量に押し寄せてくるのは同時で。
その状態に巻き込まれそうになったキャシーをラーカイル医師が庇い立てをし、漸く振り返ろうとしたアインスとドーンに手を伸ばしたレンと言うのが、ほぼ瞬き一度分の間で同時進行で行われた。
「どけぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
鋼糸を束ねて長剣の状態にしたドーンが切りつけるのと、様々な触手が危機を覚えたかのようにドーンへ向かったのは同時で。
「ドーン、怪我はっ?」
一拍の間を置いて駆け寄ったレンの速度は流石と言うものだが、レンが裁いていた分の触手が向かってきたアインスに至っては悲鳴を上げる暇すらなくなっている。
「……すごく痛い」
「当たり前だろう……こんな無茶をして。
許さない……レイン!」
どれほどの速度かと言いたく成る程の速度で倒れたドーンを片腕で起こしたレンが見た時、普段着けているドーンの長衣は穴だらけ。眼鏡は吹っ飛んで隠していた姿はほとんど晒されている状態、長衣の中に着ているシャツは白だから汚れが目立つ。
もう片手は剣を握った状態で、刃が向けられている……向けられた刃の先は触手達が出てくる大元であり、その脇には一人の人物が佇んでいる……レインだ。酷薄な笑みを浮かべてこちらを見ている姿は、どこか超越している様な、それでいて三文芝居を見ている気にさせられる。
「へえ、許さないね……公爵家の力でも使うかい? 東宝の公爵家が全力で掛かってくれば戦争くらいは起こせるかも知れないね、もっとも職人都市には一人で小隊に匹敵するほどの実力を誇る職人達がいるけど」
「そんな事はどうでもいい……僕はお前を許さない、ドーンを傷つけるような奴は万死に値する」
レンの言葉が聞こえているかの様に、レンの手にした剣が仄かな光を放ちかすかな音を立てている。
刃は細かく震え、唾はカタカタと音を立てているのが見て取れて密かにラーカイルが顔色を悪くしたのをキャシーだけが見ていた。アインスは突然止まった触手達と倒れているドーンに秋水、怒りに燃えているレンのどこから何を言えば良いか判らなくて正直困っている。
「御礼は後ほど。現状の説明をお願い致します、ラーカイル様」
「……仕事熱心だね、キャシー。
つまり、私達はどうやら黒幕に最初から良い様にされかけている、と言う所かな?」
密かに眉を潜めたキャシーを見て、ラーカイルは己が随分と動揺している事を悟る。
ドーンが触手に案内させるかの様に導かれたのは、この地下水路の構造的に一度は通ると言う。ほぼ中央の水を循環させる空間で、そこに辿り着いた途端レインが正体を現したと言う……あの柱に我先に触れると中がガラス上の物質にでもなっていたのか、表面が割れて触手の群れが出てきてレイン曰く「君達を食べれば僕の兄弟も強くなるかな」などと言って襲わせてきたと言う。
「何なんですか、そのいかにも三文芝居の三流脚本家の大根芝居は……」
「五月蠅いな、君達が予定より早く着たりするから悪いんじゃないか」
キャシーの言葉を鋭く拾うあたり、耳は遠くないのだと言う事をキャシーは知る。
「貴方……一体何物なのです? 職人都市関係者である事は間違い無さそうですが?」
おたまとフライ返しは吹っ飛ばされたのか、どこからともなく菜ばしを出してキャシーは尋ねる。
「メイドの癖に知らないとはね……僕はレイニアス。この職人都市、レイニアス・シティの親方の息子さ。
そして紹介しよう……君達が怪異や触手なんて無粋な名前で呼んでいるこいつは僕の兄弟……兄にあたるのかな? 少なくとも、君達の誰よりも年上なんだから敬ってあげなよ」
「似てない兄弟ですね……分解して調べたくなるじゃないですか」
流石に見ていられないと感じたのか、ラーカイルの纏う空気と言うか雰囲気が激変する。
いつか、ドーンに「戦闘モード」と言われた事があるとラーカイルは脳裏に思う。
レンではないが、その実を言えば……ラーカイルも切れている状態だと言う事を認識するのはキャシーだけだ。
「酷い事を言うね……お前達も父さんと同じかよ」
「おしゃべりな男は嫌われるよ」
普通のパターンだと、ここで色々と悪役と言うものは内心を吐露するのが普通だ。そして話が長くなる。
が、ここに空気をぶった切る気満々な人物が一人いる……ドーンだ。
「え……えええぇっ!?」
「アインス、五月蠅い。
そして、レイニアスも五月蠅い……大方、ここにあった親方の実験施設を半分偶然発見して、これを上手く使って父親を失脚させて職人都市の実験を握りたいとか詰まんない事の為にしでかしたんだろうけど……甘いのよね、大体。レイニアス……貴方、職人都市を治めて何がしたいのよ? 計画なんてないじゃない」
長衣は穴だらけになってしまい、元々は眼鏡も予備を使っていたので外したドーンの姿は。
「そんなお子様の都合に付き合わされた人達に謝りなさい、土下座して」
腹部を痛めたのか、眼鏡も失い長衣も前を開けたドーンの姿は薄い暗闇の中にあっても光を放つが如くだ。
振り上げられた片手から伸びる細い鋼鉄の糸は、その意志に自ら従うかのようにこちらの様子を伺っていた触手達を各個撃破している……流石に痛みに耐えられないのか反対側の手は使っていないので体液が飛んでくるのは避けられない様だが、それは辛うじて引っかかっている長衣が身代わりになってくれている。
「なんだよ、それ……あんな時代遅れの奴が、いつまでも職人都市の上に立ってる方がおかしいじゃないか!」
「だから、五月蠅いって言って……ちょ、何をするつもり!」
片腕で応戦するドーンと、そのフォローをしているレン。アインスは再び動き始めた触手の対応に追われ、キャシーとラーカイル医師も戦っているがキャシーはともかく、本人曰く「全力で戦う装備じゃない」為に本来の実力が出し切れていないのは知っている者は知っていた。
「言っただろう? 君達を食べさせれば僕の兄ももう少し元気になると思うんだ……そうしたら、父さんを引きずり出す良い理由になると思わない?」
格段に戦闘力が落ちたドーンは、片手であるが故に押し寄せてくる触手とそこそこ良い戦いは出来ているが、これまでの様に一気に切り落とすというのは難しいらしい。そんなドーンを守っているレンならばどうにかできるかも知れないが、この男がドーンが危険な状態になると判っていてそんな事をするわけがない。
アインスは実力不足、キャシーは距離が離れすぎている、ラーカイル医師は本来の装備ならともかく今の状態で無理を言う事は出来ない……こんな事になる前に決着を付けようとしたドーンは、明らかに愚かだった。
「止めて!」
「さあ、兄さん……食事の時間だよ」
他の者達はそれなりに戦っている……となれば、触手が「食べる」事が出来るのは一人だけ。
ある意味、触手の様な存在にはご馳走となるのではないだろうかと思われる存在。
触手達も無限の力を持っているわけではないらしく、数は徐々に減らしているが地道な事をやっていたら間に合わないだろう事は想像に難くない。けれど手立てがない……元々、調査をして装備を整える事が前提だったのに、その装備だって色々な意味で万全ではない。
運が悪かった、その一言で済ませるにはとても。
余りにも、大きいと感じずにはいられなかった。
「しゅ……邦ちゃん、起きてぇっ!」
誰もが己の無力さに嘆きそうになり、そんな暇など無いのだと己を叱咤して。
誰もが現状を打破しなければならないと思い、けれど判らない事は沢山あって。
誰もが時間と言う敵に敗北を認め、誰もが絶望の手を取りかけた瞬間。
「に……兄さん、どうしたの!」
「……違うよ、レイニアス。ソレは貴方の兄じゃない」
地面を引き摺っていた触手達が、一斉にその動きを止めた。
まるで、先ほどの怒りに燃えたレンの剣の様に細かい振動を果たし。
「な……!」
「ソレは、かつて親方が自分自身を研究する為に培養した親方本人の体から生み出されたもの……少なくとも、親方と奥方との間に生まれた貴方とは違う。そして、もうそれですらない」
ざざざざざざざざざざざざぁっ!
まるで、上から下に砂が落ちる様な音を立てて。
まるで、そうなる事が最初から決まっていたかのように。
まるで、巻き戻された映像の様な正確さをもって吸い込まれてゆく。
「どういう事だ!」
「レイニアスは知らないだろうけど……親方は、ずっと一人きりだった。何年も何十年も、何百年も。
そうして、やっと一人ではなくなった。だけど、その間に思ったのは『どうして自分自身はこうなんだろう』って事だった。だから、調べたかった。「触手」とは言わば、親方の疑問で出来たがった生物。
でも、もうソレですらない。だって……ほ……秋水と触手は混ざり合ってしまったんだもの」
「……え?」
「もう、アレは貴方の兄でも無ければ職種でも、秋水でも……ない」
音を立てて地下水路にあった「怪異」の元、触手は。
その全てが秋水に吸収されて行くのに、そう時間はかからなくて。
そうして。
職人都市レイニアス・シティで起きていた怪異と呼ばれる現象は、その日を最期に。
終わった。
秋水さん、迷子(半分嘘)になってる間に最大の見せ場が終わってました。
残念!
しかも、わざわざクライマックスの場につれてきてくれた触手は消えうせました。ある意味非道!親切でつれてきた、と言うわけではないので別の意味では当然の事ではあります。
連作短編が出来るほど存在する裏事情ですが……今回は気が向かないので明かしません。
では、次回でとうとう最終話です。
「最終回。再起動にはまだ足りない」




