⑧
次の日、ほとんどない荷造りをしていると珍しくエミリアがティメアのもとに現れた。
「魔法研究所に……結婚するって……ここを離れる? 本当なの?」
彼女は少し怒りが孕んだ表情でこちらを見ている。
なぜエミリアを怒らせてしまったのか理解することはできない。
普通ならば目障りなティメアが消えて喜ぶのではないだろうか。
鼻息荒くこちらに近づいて、ティメアの胸元を掴んだ。
鼻先が触れてしまいそうな距離、それでも抵抗することはない。されるがままだ。
「今すぐ……断りなさいよ」
「…………え?」
「──断りなさいって言っているのよ! 勝手にここを出ていくなんて許せないわ!」
どうやらティメアが結婚してベリルバード公爵家を出ていくことが気に入らないようだ。
(どうして……?)
彼女はティメアを隣に置いておくことに強いこだわりを見せる。
そこまでして自分と比較相手が欲しいのか、自分が愛されていると自覚したいだけなのか。
考えることすらめんどくさくなってしまった。
いつもは『はい』しか言わないティメアだが、今回は父の決定だ。
「ベリルバード公爵に明日には発つように言われています」
「……っ、一緒に来なさいよ!」
「……はい」
エミリアに腕を引かれて、すぐに父のもとに向かう。
窓ガラスに映る自分は流れに逆らえない人形のようだ。
ただそこにあるだけ。手元に残すのも捨てるのも持ち主次第。
エミリアはただ自分の人形を手放すのが嫌になっただけなのかもしれない。
「お父様、どうして勝手に決めてしまうの!?」
「エミリア……!?」
「この子はずっとずっとここにいるべきよ! わたくしのものなのにっ」
「国の決定だ。どうすることもできない」
「わたくしは次期王妃なのよ!? そんな法案、認めないわ!」
「そいつはベリルバード公爵家の汚点。よくよく考えたらこうなるのが一番正しいことなんだ」
「だから公爵邸からら出していないじゃない! このわたくしがここにいるべきだって言っているでしょう!? なんでわからないの!?」
「ベリルバード公爵家を守るためだ」
目の前で二人が言い争っているのをただ黙って見つめていた。
〝お前〟〝この子〟〝そいつ〟
ティメアという名前はもうないようなものだ。
「エミリア、もう少し次期王妃という自覚を……」
「もうっ、どいつもこいつも大っ嫌い! 嫌い、嫌いきらいっ!」
エミリアが地団駄を踏むと、その場が石のように固まっていく。
暴れて手が花瓶に触れただけで、そこが石になってしまった。
父が悲鳴を上げると、母が慌てて部屋に駆け込んでくる。
エミリアから離れつつ、必死に彼女を宥めていた。
(エミリアは光魔法しか使えないんじゃないの?)
エミリアと目があった瞬間、彼女の白目の部分が血のように真っ赤になっていると気づいた。
そのまま目元は地割れのようにヒビが入ってしまう。
「エ、エミリア……もうやめるんだ!」
「何よ……これくらいすぐに治るわ」
「もう〝アレ〟を使わないと約束しただろう!?」
「嫌よ! わたくしだけの特別の力だもの」
彼女の薄ピンクの唇が弧を描く。
エミリアが自分の目元を手のひらで覆うと目に白さが戻る。
ライトピンクの瞳は宝石のように透き通っていて美しい。
何が起こったのかわからかいティメアとは違い、両親はエミリアがこうなった理由がわかっているようだ。
それからエミリアと両親の言い争いは続いた。
彼らもここまでティメアに執着する理由がわからないようだ。
「わかったわかった! どうにかして〝あの本〟を手に入れる。それでいいだろう?」
「──本当ッ!?」
「あなたっ、それだけは……!」
父の腕を母が掴んだ。そしてゆっくりと首を横に振る。
額を汗ばんでおり、緊迫した空気はここまで伝わってきた。
どうやら〝あの本〟というのはエミリアが欲していたもののようだ。
そしてそれはいいものではないようだ。
「そう、なら仕方ないわね」
「…………」
「これであの女を出し抜けるわ」
彼女の頬は高揚しているようだ。
成り行きを見守っていたティメアの前にコツコツと鳴るヒールの音。
「ところで、あなたはわたくしがいない世界で生きていけるの?」
「…………」
こちらを覗き込むエミリア。
彼女の問いかけに基本的に否定は許されていない。
エミリアはティメアがこの返答に否定することを求めているのだろう。
いつものように首を横に振ることはなかった。かといって頷くこともない。わずかな抵抗。
それをエミリアも感じ取ったのだろう。
ここでは困惑と緊張が織り混ざっている。
けれど、やっとここから解放されるという安心感のほうが大きいかもしれない。
エミリアが気に入らない返事をすれば罰せられてしまう。
ひどいめに遭う侍女や令嬢たちを何人も見ていた。
「……ふーん、そう」
真顔に戻ってエミリアは体を起こす。
それから間髪入れずにティメアの前髪を掴んで引き寄せた。
「……ッ!?」
「あなたはわたくしから離れても平気なのね。わたくしは……っ」
ライトピンクの瞳が赤色に鈍く光る。
その恐怖に動けないでいるティメアの耳元でエミリアの唇が寄る。
「わたくしが〝必要〟だと早く言いなさいよ!」




