↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その染みは、わたくしにしか落とせません  作者: 桜庭ルナ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/38

第8話 白いものが、黄ばむ

婚礼まで十日である。


 家令のボルツは、朝のうちに干し場へ回った。当日、広間と小食堂に出す白布の数を検めるためである。帳面には四十二枚と書いてある。書いたのはボルツ自身だ。


 綱に上がっていたのは、三十一枚だった。


「クレタ」


「はい」


「残りは」


「洗い直しております」


「なぜだ」


 女中頭のクレタは答えなかった。代わりに、綱の端を指した。五十を過ぎた女で、この家に二十二年いる。


 ボルツは干し場の端まで歩いた。


 白布は、三十一枚とも同じ色をしていた。


 白の中に、薄い茶が沈んでいる。一枚だけを見れば分からない。並んでいるから分かる。端から端まで、寸分違わず同じ色だった。


「日焼けか」


「いいえ」


「では水だ。井戸の底が動いたのだろう」


「水は去年と同じでございます。同じ井戸から、同じ刻に汲ませております」


「洗いようが変わったのだ」


「変えておりません。人も、石けんも、湯を替える数も。去年と同じ順でやらせております」


 ボルツは一枚を引き寄せて、指で挟んだ。乾いている。匂いはない。ただ、白くない。


「櫃のを持ってこい。去年仕舞ったものだ」


 クレタが運んできた布を、綱の布の隣に広げた。


 二枚は、違う色だった。櫃のほうは白い。並べて初めて、綱のほうが何色であるかが分かった。


「……こちらは去年の婚礼で使ったものでございます。三度洗って仕舞いました」


「同じ洗い場で洗ったのだろう」


「同じ洗い場でございます」


 ボルツは、洗い直しに回されていた十一枚のうちの一枚を持ってこさせた。その一枚には、掌ほどの脂の染みが残っていた。二度洗ってなお残っている。縁のところが、洗う前より広がっていた。


「これは、洗ったのか」


「二度洗いました」


「広がっているではないか」


「はい」


「洗って広がる道理があるか」


「道理は存じません。広がっております」


 クレタは口を結んだ。この女は分からないことを分かると言わない。ボルツはそこだけを買っている。


「洗い場の者を呼べ」


 来たのは、十六の下働きだった。テアという。前掛けの紐を両手で握って立った。


「灰の壺は、壁際だな」


「はい」


「中身はあるか」


「ございます。毎朝、足しております」


「替えているか」


「……足しております」


「替えているかと聞いている」


 娘は紐を握り直した。


「替えると申しますのは、壺の中のものを、全部お捨てするということでしょうか」


「知らんのか」


「……教わっておりません」


「誰から教わることになっていた」


 テアは口を開いて、それから閉じた。目だけがボルツを見た。


「奥様から、でございます」


「あの方の話はよせ」


「お発ちの日に、伺いかけました。灰は、と申し上げたところで、お呼びがかかりましたので」


「誰が呼んだ」


「……ボルツ様が、でございます」


「壺の灰は、いつから足しているだけだ」


「わたくしが洗い場に入りましてからでございます。春からでございます」


「春からずっとか」


「はい。前におりました者も、足しておいででした」


「その者は、誰から教わった」


「存じません」


 ボルツは干し場の柱に手を掛けた。あの日、通用門へ抜ける通路で自分が誰を呼んだのか、思い出せなかった。あの日は取り決めの写しを三通、日暮れまでに仕上げねばならなかった。人を呼んだ覚えはある。誰を呼んだかは覚えていない。


「灰を倍に足せ。今日じゅうに十一枚を洗い直せ」


「倍に、でございますか」


「白くならんのだろう。足りていないということだ」


 昼過ぎに、洗い直した十一枚が上がった。


 ボルツは干し場へ出た。


 十一枚は、朝の三十一枚より濃かった。並べると、そこだけが一段沈んで見える。四十二枚のうちの十一枚が、はっきりと別の色になった。


「クレタ」


「はい」


「これはどういうことだ」


「洗うほど濁ります」


「そんな話は聞いたことがない」


「わたくしも聞いたことがございません。ただ、朝より濁っております」


 風が出て、綱の布が一斉に鳴った。


 クレタが帳面を開いた。


「卓布は三十枚ございます。そちらも今朝、上げました」


「同じか」


「同じでございます」


「見てもいないのに分かるのか」


「同じ井戸の水で、同じ湯で洗っております」


 ボルツは干し場の反対側へ回った。長い綱に、大卓の一枚分が三十枚。端から見ると、白ではなく、薄い麦の色をしていた。


「アニエス様が、昨日ご覧になりました」


「なんと仰った」


「洗い直させなさい、と」


「洗い直したのが、これか」


「これが、洗い直したものでございます」


 ボルツは屋敷へ戻り、櫃を開けさせた。


 櫃の白布は、四隅を揃えて重ねてあった。上から三枚をめくると、下のほうは去年のままの白さだった。使わずに仕舞ってあったものだけが白い。使えば濁る。この家の布は、いつのまにかそういうことになっていた。


 ボルツは指で数え直した。二度数えても、同じ数だった。


「白布は何枚ある」


「櫃には三十七枚でございます」


 帳面には四十二枚と書いてある。差の五枚が去年のうちにどこへ流れたかを、ボルツは知っていた。布商のところで金に替わり、その金が別の頁の穴を埋めた。埋めたのはボルツの手である。


「新しく誂えると、いくらだ」


「一枚が銀貨で三枚、四十二枚では」


「もういい」


「卓布は麻の厚手でございますので、その倍でございます。十日で織り上がる店は、王都に二軒しかございません」


「二軒に当たれ」


「当たりました。婚礼の日には間に合わないと、二軒とも」


 クレタは帳面から目を上げなかった。


「旦那様のお召し物も、襟が同じ色になってまいりました。今朝、二枚とも下げております」


「洗わせろ」


「洗っております。洗ってあの色でございます」


 ボルツは窓の外を見た。干し場の綱が、まだ膨らんでいる。


 この家の布は朝と夕に動く。動かなくなれば三日で足りなくなる。誰かがそう言っていた。いつ、どこで聞いたのかは思い出せない。


「ボルツ様」


「なんだ」


「先の奥様に、お伺いを立てるということは」


「クレタ」


「アニエス様は、あの方の妹君でいらっしゃいます」


「その話はよせ」


 クレタは黙った。帳面を閉じる音がした。


 婚礼までに、広間と小食堂の卓に白い布を敷かねばならない。客は八十人を超える。当日、この色の布を敷いた卓に八十人が着く。そのことだけが、ボルツの頭にあった。


「洗い女を一人雇え。腕の良いのを」


「この時期に、腕の良い者は空いておりません」


「金を積め。銀貨で構わん」


「……承知いたしました」


「婚礼までに白くなればよい。それだけだ」


 クレタが下がったあと、ボルツはもう一度、干し場を見下ろした。


 風が来て、綱の白布が一斉に膨らんだ。三十一枚とも、同じ色をしていた。

【落ちません】


灰は入れれば良いというものではございません。替える間隔と、水の硬さと、干す前に何度すすいだか。三十一枚が揃って同じ色になりますのは、そのどれも誰も知らないからでございます。


次回、その屋敷の家令が坂を下りてまいります。札束を持って。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。