17. 王都からの客人
アルゼンがレトナを留守にしてから10日ほど過ぎた頃、王都からジェルニエ侯爵がレトナを訪問した。メロヴィッツ王国との会談にヴァルネムベルク連邦王国の第1王子レヒトが出席するという事実を伝え、そのための準備を手伝うためであった。
両国の王族が会同するだけに、晩餐会場やホールをはじめとする主要な施設や場所に王室の紋章や関連品が配置され、儀典も変える必要があった。このため宮内部の副大臣が各種の品々と人々を率いてジェルニエ侯爵に同行してきたのだった。
アルゼンが不在であるため、プロトコルや会場準備に関する宮内部副大臣との調整は大伯爵が引き受け、リズベットはジェルニエ侯爵をはじめとする客人の応対をすることになった。
レヒト王子の出席は、リズベットの心にさらなる波紋を広げた。レヒト王子こそがゲームのメインルート、すなわち真の男性主人公に該当する人物だった。
王国最高の美女と謳われた王妃の美貌をそのまま受け継いだ彼は、「麗しの王子」という異名で通る絶対的な美男子であり、規格外の戦闘能力を兼ね備えた魔剣士だった。しかし、ジェルニエの能力と同様に王子の能力も隠された設定であり、ゲーム終盤になって初めて明かされる事実だった。
(レトナ城に4人の攻略対象が全員集まるなんて、思いもよらない展開ね。ロジアーナももしかしてその場に来ることになるかしら?)
貧しい伯爵家の長女であり冒険者である彼女が、このような行事に招待される可能性は皆無だ。それでもゲームの主要人物たちが勢揃いするだけに、何らかの形でロジア―ナも登場するのではないかという気がしたのだった。
(ロジアーナがゲームと同じような人なら、友達になれるかもしれないわね……)
快活で飾らない性格のたくましい主人公ロジアーナに実際に会えたならどうだろうかという、密かな期待と胸の高鳴りが芽生えた。
*** ***
ジェルニエ侯爵と随行員たちが「ビューティーアカデミー」を訪れた。ジェルニエがビューティーアカデミーに関心を示し、訪問を希望したためだった。
単なる訪問ではなく体験を兼ねて実習対象となるものであったため、ビューティーアカデミーの誰もが大いに緊張し、準備のために慌ただしく立ち働いた。
待合室でジェルニエの隣に座ったエルワンは、あまり気乗りしない表情でジェルニエの方へ身を乗り出し、囁いた。
「わざわざ俺までこんなものを受けなきゃいけないのか?」
「一度くらい経験してみなさい。騎士だからといって野暮ったくしていろという法はないだろう?」
「ふん」
エルワンはジェルニエをちらりと見て、へそを曲げたように言った。
「誰かさんのおかげで、どうせ着飾ったところで生まれ持った素材の差は超えられないって、とっくに思い知らされたからな」
ジェルニエはニッコリと笑った。
「その誰かさんのおかげで、それくらい洗練されたのではないのかな?」
侍女の案内でジェルニエ一行がメインサロンへ足を踏み入れると、待ち構えていた者たちが一斉に頭を下げて挨拶した。
ゆっくりと空間を見渡したジェルニエがリズベットに言った。
「まさに美が育まれる揺籃のようですね。節度ある華やかさとエレガンスに満ちた空間です」
「過分なお言葉ですわ」
内心緊張していたリズベットは、誇らしい喜びを感じて微笑んだ。文化や芸術に造詣が深く、お目が高いことで知られるジェルニエから受ける賛辞は、その重みがひと味違っていた。
随行員たちはアカデミー生たちが担当するが、ジェルニエとエルワンに限ってはベティナとメリンダが受け持つことになった。エリーは万が一の状況に備えてアカデミー生たちをサポートする役割だった。
スキンケアから始まる一連の過程の間、ジェルニエはかなりの興味を示し、時折使用する道具や化粧品について質問を投げかけたりもした。
他の者たちの反応も上々だった。最初あまり乗り気でなかったエルワンは、マッサージを受けている間に体が心地よく解れ、ぐっすりと眠り込んでしまうほどだった。
(見るたびに思うけれど、魅力が過剰な人ではあるわね)
リズベットはうっかり漏れ出そうになる笑いを噛み殺した。
メインサロンにいるすべての人間、特に女性たちはジェルニエを意識せずにはいられなかった。彼の仕草、声のひとつひとつに、女性たちの視線が自然と引き寄せられていった。
(現代に生まれていたとしても、間違いなくセレブになっていたでしょうね)
ほぼ唯一の例外がベティナだった。ベティナはジェルニエに慇懃に接しながらも、適切な距離感を保ち、落ち着いて任された仕事をこなしていた。
以前からベティナが見かけより芯が強くしっかりした子だということは知っていた。だが、このような気後れするような場に初めて臨むにしては、見事な度胸と言うべきだった。
ヘアスタイリングまで全ての過程が終わった後、ジェルニエは鏡に自分を映し出しながら満足げな笑みを浮かべた。
「実に素晴らしく見事なサービスです。誰であれ一度受ければ魅了されることに違いありません」
ジェルニエの賛辞に、この時ばかりはリズベットも喜びを隠しきれなかった。己の仕事が認められたという誇らしさが押し寄せてきた。
「侯爵様からそのようにおっしゃっていただけて、本当に光栄ですわ。お気に召したようで何よりです」
ジェルニエはアカデミー生たちへ視線を向け、尋ねた。
「こちらで学びの課程を修了した後、アカデミー生たちはどのような形で活動することになるのですか?」
「自身のサロンを開いて訪問されるお客様に応対したり、出張に出向く場合もあるでしょうし、どこかに専属として雇用される場合もあるでしょうね」
「それならば、当家専属として一人雇用したいのですが、可能でしょうか?」
思いがけない提案に、リズベットは少し戸惑いつつも、一方では嬉しくもあった。
「ええ。希望者がいれば、そのようにすることもできますわ」
そう答えながらアカデミー生たちの反応を伺ったリズベットは、心の中で笑いを噛み殺した。少女たちの瞳は既に期待と興奮で煌めいていたのだ。
(希望者どころか、激しい争奪戦になりそうね)
*** ***
ビューティーアカデミーの予定が終わった後、応接室へ移動してお茶を飲む席で、ジェルニエは思いがけない頼みを口にした。クラヴァンテ辺境伯家で『ベルケスス博物誌』の原本を購入したという噂を聞いたと言い、一度その本を拝見したいというのだった。
「実は私も、あの本の原本を探していたところなのです」
『ベルケスス博物誌』は他の魔導書に内容が引用されたり、数多くの写本が存在する、こちらの大陸でもかなり知られた本だった。ベルケスス本人が執筆した原本には途方もない秘密が隠されているという噂まであるため、原本を騙る偽物が多いことでも有名だった。
ジェルニエがその本に関心を寄せた理由は、写本にあった「とある絵」のためだった。その絵を目にした瞬間、何とも説明のつかない奇妙な感覚を覚えたのだった。
『ベルケスス博物誌』は難解さで悪名高かったが、文章もさることながら、特に挿絵の場合は見る者によって異なる形状に見えるため、多様な解釈が乱立していた。
ジェルニエが見た絵も同様だった。魔法植物から魔獣、武具、用途の分からない怪しい道具など、人々が見る形状はまさに千差万別だった。
その意味を突き止めたい一心で、ベルケススが使用したあちらの大陸の魔法文字まで学習したが、これといった手がかりは得られずにいたのだった。
「侯爵様は何をご覧になられたのですか?」
リズベットの問いに、ジェルニエは曖昧な笑みを浮かべた。
「歪な形をした剣を手にした男らしき姿が見えましてね」
「剣を持った男……ですか?」
「輪郭が歪んでいて確かなことではありませんが、そのように感じられたのです。ですが私を除いては、誰もその絵からそのようなものは見出せませんでした。
ですから原本があるならば、ぜひともその絵を確認してみたいと考えておりました」
ジェルニエの話は、リズベットの好奇心を刺激するのに十分だった。
「私もその絵を一度拝見したくなりましたわ」




