16. 魔導書の研究
魔法研究所では『ベルケスス博物誌』の研究が佳境を迎えていた。リズベットが解読して読み上げ、シャイナがそれを書き留め、それをもとに魔導士たちが頭を突き合わせて研究するという手はずであった。
挿絵に関しては口で説明できるものではないため、リズベットが己の目に映る形を描いて見せるほかなかった。リズベットが紙の上に奇妙な形を描き出すと、それを見ていたシャイナが目を輝かせた。
「あ、これ『美の錬金術』に出てくる魔法植物じゃない? こっちの大陸では見たことがないから手に入らないと思ってたけど、別の大陸へ行けばあるんだね。後で行ってみなくちゃ」
「これを探しに行くの?」
「うん」
うなずいたシャイナは、リズベットに体をぴったりと寄せて囁いた。
「前に『美の錬金術』で見つけた魔法の鎧の材料のひとつなの」
理由の分からないまま、リズベットも声をひそめて尋ねた。
「どうしてそんなに小声で話すの?」
シャイナは二人から離れた場所に車座になり、リズベットの解読した内容を再解釈しながら研究に没頭している魔導士たちを指差した。
『ベルケスス博物誌』を入手して以来、ギスカールやシャロナはもちろんのこと、ソネン子爵やカイフェルト男爵など、クラヴァンテ伯爵家配下の主要な魔導士たちは万事を投げ打って集まり、書の研究に取り込んでいた。
「あの智慧の宝庫から、大して重要でもないくだらないものを探したって、おじいちゃんとお母さんにすごく叱られたんだ」
そう言って納得がいかないというように肩をすくめた。
「私は今すぐ使える実用的なもののほうが好きなのにさ」
リズベットはギスカールとシャロナをちらりと盗み見て尋ねた。
「お二人は『美の錬金術』で何を探していらっしゃるの?」
「さあね。教えてくれないの。『己の課題は自ら見出すものだ』だっけ?」
そう言うと、突然クスクスと笑い出した。
「でも、『ベルケスス博物誌』で何を探しているかなら知ってるよ」
「何を探しているの?」
「ベルケススが隠したっていう『力の源泉』よ。ベルケススはあらゆる魔法に通じていたと言われてるけど、特に攻撃魔法が凄まじかったんだって。当時に彼に敵う者はいなかったと言われるほどね。
それと本人は否定してたけど、未来を見る能力があったなんて噂もあるの。
リズベットも、この本には内容以外に『何か』が隠されてるって言ってたでしょう? それを見つけ出せば、とてつもない力を手に入れることになるってわけ」
「ギスカール様やシャロナが『力』を追い求めていらっしゃったなんて知らなかったわ」
意外に思って首をかしげるリズベットを見て、シャイナがクスッと笑った。
「正確には、その力が切り拓く『可能性』だね。魔導士にとっての力っていうのは、強大な魔力や知識のことでしょう? もし強大な魔力を得られれば、『美の錬金術』から引き出せる知識の幅も今よりずっと広がるってわけ。
まあ、そういうのを抜きにしても、人間なら誰もが強大な力に惹かれるものだけどさ」
「ヴィーチェはこの本に全く興味を示さないじゃない?」
「ヴィーチェ婆は元々大抵のことに冷めてるの。まるで『すべてのことをすでに知っているからつまらない』って言いたげな態度でさ。唯一の例外がリズベットと『美の錬金術』なんだよ」
「シャイナ、あなたはどうなの?」
シャイナは照れくさそうに微笑んだ。
「私だって興味はあるよ。だけど魔導士としてはおじいちゃんのほうが私よりずっと格上だもの。秘密の開示が魔導士としての力量にかかっているなら、私よりおじいちゃんのほうが可能性があるでしょ。……そうでないとしたら」
シャイナは言葉を濁し、意味深な笑みを浮かべた。
気になったリズベットは、先を促した。
「そうでないとしたら、何なの?」
シャイナは立ち上がり、リズベットの方へと身をぐっと乗り出して、極限まで声をひそめて囁いた。
「残念だけど、私を含めてあそこにいる誰ひとりとしてダメだろうって話さ」
そう言うと何事もなかったかのように席に戻り、ニッコリと笑った。
「まあ何にせよ、研究は面白いからそれだけで充分満足だけどね。新しくて役に立つ情報もいっぱいあるし」
*** ***
アルゼンが30日を超える長期の予定でレトナ城を不在にすることになった。場合によってはそれ以上長引くかもしれないという言葉に、リズベットは心細さを覚えて尋ねた。
「今回は随分と長いのですね? それほど遠くまで出かけるのですか?」
アルゼンは小さく溜息をついた。
「島々を巡察・点検する予定もあるが、海賊どもを討伐するのが大きな目的だ」
「海賊……ですか?」
「海賊など以前から常にいたがな。だが、レトナ・シルクを売り出して以来、めっきり増えてしまった。今回一度、徹底的に一掃してこようと思っている」
「では、戦闘もあるのですね?」
心配そうに尋ねるリズベットを見て、アルゼンはクスリと笑った。
「当たり前だろう。海賊に出会ってお茶会を開くわけにもいかんしな」
おどけるように言ったアルゼンは、突如としてリズベットを強く抱きしめ、彼女の体香を深々と吸い込んだ。
「ああ、本当に行きたくないな。汗臭い奴らと船の上で一ヶ月以上も寝食を共にせねばならんのもそうだが、薄汚い海賊どもまで相手にせねばならんとは」
アルゼンらしからぬ甘えた愚痴に思わず吹き出しそうになったが、海賊との戦闘という事態を思うと心配が先立った。
「お体に気をつけてくださいね」
気遣うリズベットを、アルゼンはさらに力強く抱きしめた。
「心配いらない。海賊ごときに後れをとるような俺ではないから」




