11. 深紅のコートの男
どうやって夜を明かしたかも分からないまま、朝が訪れた。何をどうすべきか依然として途方に暮れて迎えた朝、オロールのもとへ思いがけない訪問客がやってきた。テイトン子爵であった。
オロールと向き合って座ったテイトンは、静かな口調で用件を切り出した。
「閣下より遣わされました。お困りごとに相成らぬよう、しかるべき処置を講じるよう申し付かっております」
昨日の出来事が早くも報告されたのだと悟ったオロールは、恐る恐る尋ねた。
「リズベット様も……ご存じなのですか?」
「奥様は知らされておられません」
安堵するオロールに、テイトンが問いかけた。
「いかが処理なさることをご希望でしょうか?」
テイトンの言葉の真意を察したオロールの表情が硬く強張った。
血を分けた肉親であるという事実が呪わしく、他人以下の者たちだった。歯の根が合わぬほど憎く、虫唾が走り、どこか野垂れ死にしてくれればと願ったことすらあった。けれど……。
オロールは伏し目がちに言った。
「ただ王都へ戻り……二度と私の前に姿を現さないでいてくれれば、それだけで十分です」
「承知いたしました。穏やかに立ち去るよう取り計らいましょう」
テイトンはそう告げると、立ち上がった。
*** ***
その日の午後。
とある薄汚れた酒場のテーブルに腰掛けたサミーとジークの父子は、今後の計画を話し合っていた。
真昼だというのに、すっかり酒が回って真っ赤になったサミーがぶつぶつと文句を叩いていた。
「オロールの奴め、自分はあんなでかくて立派な屋敷に使用人まで従えて暮らしてやがるくせに、実の親にたったあれしきの小銭を握らせて追い出すだと?
顔があんなざまになったのも自業自得さ。最初から俺の言った通り、金持ちの旦那の妾にでも収まっていりゃあ、そんな苦労をすることもなかったんだ。
自分がまるで貴族の令嬢でも気取りやがって、高貴ぶってるからバチが当たったんだよ」
ジークが相槌を打った。
「まったくですよ。自分の分相応ってものを知りやがらねえ。たかが踊り子のくせに」
「今度は屋敷の近所で待ち伏せて、ガツンと捕まえて痛い目を見せてやろうか? 二度とその減らず口を叩けねえようにさ」
「それいいですね! あいつは一度思い知らされなきゃ反省しませんから」
「だが顔は叩くなよ。跡が残っちゃ目立つからな」
二人の男が下種な笑いを漏らしていると、突如として酒場の中が水を打ったように静まり返った。ひとりの男が、二人の座るテーブルに向かって歩み寄ってきたのだ。
身頃にぴったりと沿う高級な暗赤色の革コートを纏った男は、黒い帽子を目深に被っていた。男の放つ尋常ではない威圧感に、酒場にいた誰もが息をのんで静まり返った。
男は二人の座るテーブルの前で立ち止まると、無言で椅子を引き、彼らと向かい合って腰を下ろした。
宿の主人が恐る恐る近寄ってきた。
「何かご入用で……」
「酒を一杯くれ」
「へい、かしこまりました」
男の言葉を聞くや否や、主人は小走りで奥へ消え、すぐに小さく上質な錫の盃に注がれた酒を捧げ持つように運んでくると、男の前にそっと置いて引き下がった。
男は懐から小さな革袋を取り出し、父子の前へと滑らせた。
あっけにとられていたサミーは躊躇いながらもそれを拾い上げ、中身を確認した。中には、燦然と輝く金貨がかなりの数詰め込まれていた。
口をぐにゃりと歪めて男を見つめた瞬間、男が口を開いた。
「お上がお前たちについてご立腹だ。あのお方は、お前たちのごとき不快な虫ケラの件に、これ以上不快な思いをなさることを望んでおられない。
今宵のうちにレトナを去れ。そして二度とレトナの近郊に足を踏み入れるな。その汚らわしい口に、娘や妹の名を載せることも許さん」
しばし言葉を区切ると、男はコートと同色の薄手の革手袋をはめた手で、帽子の庇をわずかに持ち上げた。そして、二人の男を真っ直ぐに見据えた。
男の瞳と視線が交わった瞬間、父子は凍りついたように動けなくなった。静寂の中に凄惨な殺気を宿したその瞳は、見る者の心臓を鷲掴みにし、氷結させた。
顎を大きく広げて獲物を呑み込もうとする蛇の目のように、それは至極冷酷で、恐ろしいほどに乾ききっていた。男は低く言葉を続けた。
「この警告を破った時は、再び私とまみえることになる。肝に銘じろ。二度目の警告はない」
言い終えると、男は盃を掲げて一息に酒を飲み干し、その場に金貨を一貨ぽんと置くと、立ち上がって出て行ってしまった。
宿の主人がすかさず飛んできて金貨を拾い上げ、何度も頭を下げた。
「ありがとうございます、旦那!」
男の気配が消え去ったのを感じてようやく、サミー父子は震えながら互いの顔を見合わせた。
それは生きてきて初めて経験する、絶対的な恐怖であった。再びあの男と出会う日には、まさに虫ケラのように一瞬で淘汰されてしまうだろう。
二人はガクガクと膝を震わせながら部屋へと駆け戻った。そしてそのまま、逃げるようにレトナを立ち去った。




