4. 野遊会
出発当日。
馬車に乗り込もうと城へ下りていったリズベットは、6頭の馬が引く堅牢な武装馬車と、騎士団さながらの厳重な護衛の行列を目にして、アルゼンに不満げに尋ねた。
「危険な場所に行くわけでもないし、隣の領地に招待されて行くだけなのに、ここまで大げさにする必要があるのかしら?」
アルゼンは断固とした口調で答えた。
「必要があるからそうしている」
アルゼンの態度を見るに、これ以上何を言っても無駄なようだった。
「行ってきますね」
挨拶をして背を向けようとしたリズベットの頬に、アルゼンが素早くキスを落とした。
(これって……日常的な挨拶、よね?)
リズベットは少なからず呆然としたまま馬車に乗り込んだ。馬車の中にはシャイナと3人の侍女が同乗していた。
「リズベットのおかげで、6頭立ての馬車にまで乗れるなんてね。すっかり贅沢をさせてもらっちゃったわ」
シャイナは面白そうに笑った。
リズベットは本で読んだ内容を思い出し、少し首を傾げてエリーに尋ねた。
「確か、通常の伯爵家の馬車は4頭立てまでだと知っているのだけれど……クラヴァンテ家では6頭立ての馬車を使っているわよね。これで問題ないのかしら?」
この世界での生活が長くなり、次第に慣れてきたせいか、以前は気づかなかった細かな決まりごとが見え始めていた。
「はい、奥様。通常の伯爵であれば4頭立てですが、我がクラヴァンテ家は二つの国にまたがる国境防衛を担う『変更伯』――すなわち侯爵家と同等の格式を持つ家柄にございます。ですので、6頭立ては当家に許された当然の格式なのでございます」
エリーが落ち着いた声で説明した。
(そうか、ここは普通の伯爵家じゃないんだ。私、かなりの大貴族のところに嫁いでしまったんだわね。
そういう事情なら馬車はともかく……それにしても、いくら何でもこの護衛の規模はやりすぎじゃないかしら? これだけ大勢の人たちの食事や寝床はどうするつもりなの?)
どうしても心配になったリズベットは、再びエリーにこっそりと尋ねた。
「こんなに大勢で押し寄せたら、バルマン辺境伯家にご迷惑をおかけしてしまうんじゃないかしら。皆さんの宿舎や食事はどうなっているの?」
「ご心配には及びません。食料やテントなど、野営の準備はすべてこちらで万全に整えておりますので、バルマン辺境伯家に一切のご負担をおかけすることはございません」
「普通、これほどの規模で移動するものなの?」
「いいえ、滅多にございません。奥様はそれほどまでに特別で、重要な御方ですから」
どういう意味かしらとエリーを見つめると、代わりにシャイナが答えた。
「リズベットは、もう少し自分の立場を自覚したほうがいいわ。あなたがこれまで成し遂げてきたことを考えてみて。
リズベットの身を狙う者がいたとしても、ちっとも不思議じゃないのよ。他国や敵対する貴族家かもしれないし、身代金目的の不逞の輩かもしれない。この程度の警護は当然よ」
「それは私一人がやったことじゃないわ。私の役割は、どこまでも読み解くことなんだもの」
「何を言っているの? 単に読むだけでなく、解説までしてくれているじゃない。その上、重要な秘術を執り行うときは聖職者の役割まで果たしているわ。
そもそも、リズベットがいなければ、これらすべての出来事は始まりすらしていなかったのよ」
シャイナが力を込めて言うので、リズベットは困惑して口を閉ざした。この類の会話をするたびに、自分に対する過大評価を正すどころか、ますます誤解が深まっていくような気がしてならなかった。
案の定、侍女たちは目を輝かせ、尊敬と畏敬の念が入り混じった眼差しでリズベットを見つめていた。
(だからといって、ただ黙って聞き流すわけにもいかないし……本当に困っちゃうわね……)
馬車は道中、トリシの暮らす邸宅へと立ち寄った。リズベットが仕立てて贈った新しいドレスに身を包んだトリシは、晴れやかな笑みを浮かべてリズベットを出迎えてくれた。
「ドレスをありがとう。おかげで、すっかり春の気分を満喫させてもらっているわ」
「お気に召していただけて良かったです」
「あちらへ伺うのは随分と久しぶりだけれど、あなたと一緒に赴くことができて本当に嬉しいわ」
夫であるギセンが亡くなって以来、社交の場へ出ることをほとんど控えていたトリシにとって、これもまた久しぶりの遠出だった。
「お久しぶりです、トリシ様」
シャイナが元気よく挨拶をした。
「シャイナの姿を見ると、昔を思い出すわね。以前はシャロナと一緒に赴いたものだわ」
「今回は護衛も兼ねてご一緒させていただきます!」
「シャイナが護衛をしてくれるなんて、心強いこと」
トリシは愛おしそうに微笑んだ。過去に子供を死産して以来、二度と子供を授かることができなかったトリシは、シャイナの子供たちをまるで我が子のように可愛がり、気にかけていたのだった。
重厚な馬車と騎士団の行列へトリシの視線が向くと、なんだか申し訳ない気持ちになったリズベットが、言い訳のように口を開いた。
「少し護衛が多いですよね? アルゼンがお義母様をお連れするからと、かなり気を揉んだみたいで……」
するとトリシは真剣な面持ちになって告げた。
「あなたの立場を考えれば、この程度の警護は当然のことよ、リズベット。決して負担に思ってはだめ。貴女はラヴェンナにとって、それほどまでに重要な存在なのですから」
そして、リズベットを優しく抱きしめながら付け加えた。
「もちろん、それ以上に、アルゼンと私にとって何物にも代えがたい大切な人よ。あなたの安全は何よりも最優先されるべき問題なのですから」
トリシの言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。リズベットは明朗な声で言った。
「お義母様とお花見だなんて、本当に楽しみです。さあ、早く出発しましょう!」
*** ***
3日目の午後、馬車はバルマン辺境伯家の別荘へと到着した。見渡す限りの平野が広がるラヴェンナとは異なり、山地が多い土地柄の通り、別荘が佇む場所は山並みへと差し掛かる地域だった。
別荘に到着する前から、淡いピンク色の花を満開に咲かせた木々が視界に飛び込んできた。その光景は、桜が一斉に咲き誇る日本の春の景色のようだった。それを見るだけで、自然と胸が躍った。
「わあ、お義母様、あれを見てください! なんて綺麗な……!」
リズベットが窓の外を指さして歓声をあげると、トリシもまた感嘆の声を漏らした。
「本当に見事ね。バルマン辺境伯夫人が手紙で、今年は例年になく見事に咲き誇って美しいだろうと自慢していらしたけれど、まさにその通りだわ」
別荘の建物の前に馬車が停まると、バルマン辺境伯夫人エルザと二人の娘ジョゼナとフランゼット、そして息子の妻であるアンヌが外に出て出迎えてくれた。
「ようこそおいでくださいました。長旅、本当にお疲れ様でした」
エルザが満面の笑みで温かく迎えてくれた。
「道中に窓から拝見いたしましたが、本当に見事に咲き誇っていましたわ」
トリシが挨拶を返すと、エルザは満足そうに頷いた。
「そうでしょう? 今がちょうど見頃の盛りなのですもの。明後日の野遊会の日は、さらに素晴らしい景色になりますわよ。さあ、どうぞ中へお入りください」
*** ***
野遊会の朝。
この日のために用意したドレスに身を包み、先に自身のメイクを終えたリズベットは、トリシのメイクも手ずから仕上げていった。
「本当に、まるで魔法のようだわ。あなたの手に触れられるだけで、10歳以上も若返って美しくなれる気がするの」
トリシの顔に、華やかな笑みがこぼれた。
「お義母様が元からお美しいからですよ」
リズベットはトリシと親しげに腕を組み、仲良く外へと向かった。
リズベットのドレスは淡いミントグリーンにアイボリーのレースをあしらったもの。一方のトリシは、銀色の光沢を帯びた淡い紫色のシルクブロケードに、シャンパンゴールドの繊細なレースを重ねたドレスを纏っていた。
「お二人とも、なんてお美しいのかしら! 春の香りが漂ってくるようですわ」
シャイナが明るい声をかけた。
「シャイナもとても可愛いわよ。まるで春の蝶のようだわ」
「ふふっ、本当に綺麗な色でしょう? レトナに戻ったら、これを着て遊びに出かけるつもりなんです!」
シャイナは嬉そうに、その場でくるりと一回転してみせた。シャイナのドレスは、爽やかなレモンイエローの生地にコーラルピンクのリボンを合わせ、ハツラツとした愛らしさを存分に引き立てていた。
リズベットから新しいドレスを贈られた侍女たちも、すっかり浮き立った様子でその後に続いた。
白に近い淡いピンク色の花々が枝いっぱいに咲き乱れる果樹園の風景は、春の息吹に満ち溢れていた。その中を、色とりどりのドレスを纏った女性たちが行き交う姿は、蝶の群れが舞い踊っているかのようだった。
純白の絹のテーブルクロスが掛けられたテーブルには、お茶やフルーツジュース、ワインと共に、数々の華やかな料理が並べられている。傍らでは、楽師たちが穏やかで優雅な旋律を奏でていた。
(これが、貴婦人たちのお花見なのね……)
ふと、桜の季節になると近くの公園や川沿いへ出かけ、木の下にブルーシートを敷いて、親しい仲間とお弁当やビールを楽しんでいた頃の記憶が蘇った。
(あの頃は、花より人の方が多いような混雑ぶりだったっけ。……あーあ、木の下に気楽に腰掛けて、冷たい缶ビールをくっと一杯煽りたいなぁ……)
見上げれば、桜によく似た小さな花たちが枝を埋め尽くし、頭上を覆っている。瑞々しく柔らかな薄緑の若葉が花々と調和し、日本の桜とはまた一味違う、清々(すがすが)しい情緒を醸し出していた。
この世界にやってきて以来、一日一日を生き抜くことに必死で、かつて暮らしていた世界を思い返すことはほとんどなかった。いや、もしかしたら、意識的に考えないように蓋をしていたのかもしれない。
恋しい人々の顔、見慣れた景色が、映画のワンシーンのように脳裏を駆け巡っていく。
そうして過去の記憶に浸っていると、隣に歩み寄ってきたシャイナが、リズベットの手をきゅっと握って引っ張った。
「こっちに来て、リズベット! あっちに、ものすごく見事な木があるのよ!」




