37. お見舞い
公式な行事が盛況のうちに幕を閉じ、客たちが一人、また一人とレトナ城を去る中、ジェルニエ侯爵が発つ日が訪れた。リズベットはアルゼンと並んで彼を見送った。
「ただでさえ王都ではクラヴァンテ伯爵家への関心が高いというのに、今回の式典を経て、さらに拍車がかかりそうです。
王都に姿を見せられないので、皆の好奇心は募るばかりです。王都へはいつ頃お越しになる予定ですか?」
ジェルニエが別れの挨拶を交わしながら尋ねると、アルゼンが淡々と答えた。
「祖父は近いうちに一度赴くかと思いますが、我々はメロヴィッツ王国との会合の準備もございますので、当面の間は難しいかと」
「この冬に催される国王陛下の銀婚式の夜会には、出席されるのでしょう?」
「もちろんです。その重要な席を欠席するわけにはまいりません」
国王夫妻の銀婚式を祝う盛大な夜会。主要な貴族が総出で集まるその席こそ、ゲームの本編が始まる起点でもあった。
「メロヴィッツ王国との会合に関して、国としての最高方針が決まりましたら、再びお目にかかることもあるかと思います。私に手伝えることがあれば、何なりとお申し付けください」
「そうさせていただきます。いつでも気軽にお立ち寄りください」
「感謝いたします。それまでに王都へ来られることがあれば、必ずご連絡ください。今回の歓待に、ぜひとも報いたいのです」
丁重な挨拶を残し、ジェルニエの乗った馬車が内城を出ていくと、アルゼンはどこかせいせいしたような表情で振り返った。
「これでようやく、心置きなく仕事に集中できるな」
そう言うと、彼はリズベットに視線を向けた。
「今夜、温室でお茶でもどうだ?」
「忙しいとおっしゃっていたのに、大丈夫なのですか?」
「構わない。そのくらいの時間はいくらでも作れる」
*** ***
馬車の窓から遠ざかる『レトナの翼』を眺めていたエルワンが、しみじみと感嘆の声を漏らした。
「あれは何度見ても凄まじいな。まさに地上に具現化された神秘だ。存在自体が驚異的なのに、あれで数々の魔導装置を動かし、莫大な富まで生み出しているとは……。
エンジット公爵家も実に愚かだな。あんな宝を抱え込んでいながら、その価値も知らずに放置し、あのように手放してしまうとは」
「蒔いた種は自分で刈り取るものさ」
冷ややかに呟いたジェルニエは、背もたれに身を預けて目を閉じた。
エルワンはジェルニエをじっと見つめた。どこへ行こうとも、ジェルニエの周囲には常に浮名が付きまとっていた。
ジェルニエは穏やかな春風のように誰に対しても親切で紳士的だが、その実、誰一人として心を開くことも、一箇所に留まることもなかった。彼が女性たちを誘惑するのではなく、女性たちのほうが焦れて彼を放っておかないというのが本質だった。
今回もそれは同様だったが、異なっていたのは、今回のジェルニエがいかなる誘惑にも一切応じず、頑なに距離を置いていたことだった。長年彼を見てきたエルワンには、その理由が痛いほどよく分かっていた。
(よりによって、相手が……)
心配そうにジェルニエを見つめていたエルワンは、別の話題を切り出した。
「本当にアステア公爵のところに立ち寄るのか?」
「そう決めただろう。なぜ今更聞き返す?」
「大丈夫なのか? 噂では、あそこへ行けば呪いや不治の病がうつるかもしれないと言われているが……」
ジェルニエはエルワンの言葉を遮った。
「そんなことはない。アステア公爵には、夫人とまだ幼い子供が付き添っている。
常識的に考えて、公爵がその二人を危険な状況に晒すはずがないだろう? 根拠のない恐怖を煽る、陰湿な謀略にすぎん」
エルワンがジェルニエの顔色を窺いながら、慎重に言葉を繋いだ。
「どちらにせよ、アステア公爵が手遅れだというのは既成事実だろう。公式の場に姿を見せなくなって、もう9年だ。
誰もがアステア公爵の弟であるロヴァン卿が次期公爵になると見ている。下手にあの男と揉めることになりはしないか?」
「他家の内紛に首を突っ込むつもりはない。今回お伺いするのは、最低限の人間としての道義だ」
ジェルニエは目を開け、エルワンを見た。
「お前も子供の頃、アステア公爵を尊敬していただろう? あの方のようになりたいと剣術に励んでいたはずだ」
エルワンは図星を突かれたような顔で呟いた。
「……そうだったな。今でもあの方を尊敬する気持ちに変わりはない」
「ならいい。ただの見舞いだ。ここまで来て、ご挨拶もせずに通り過ぎるわけにはいかない」
*** ***
ジェルニエとエルワンを乗せた馬車は、人寂しい海岸沿いの断崖絶壁にそびえ立つ城へと到着した。規模こそ大きくないが、重厚で頑強な造りの要塞のような城であり、入り口から厳重に武装した騎士や兵士たちが物々しい警戒にあたっていた。
応接室に案内されて待つ二人の前に、30代半ばの女性と、10歳にも満たない幼い少年が姿を現した。
「お久しぶりでございます、アステア公爵夫人」
「ようこそお越しくださいました、ジェルニエ侯爵。そしてエルワン卿」
清楚で上品な佇まいのアステア公爵夫人、クロエンは二人に挨拶をすると、子供に声をかけた。
「ご挨拶なさい、ディアン。ジェルニエ侯爵様とエルワン卿よ。前にもお会いしたことがあるでしょう?」
「こんにちは」
ディアンは礼法に従って恭しく一礼したが、二人に見覚えがある様子ではなかった。母親に極めてよく似た少年の顔には、隠しきれない暗い影が差し込んでおり、その年齢にそぐわないほど早熟で冷めた印象を与えていた。
「ご子息も随分と大きくなられましたね。以前お目にかかった時は、まだ本当に小さくいらしたのに」
「先日、7歳の誕生日を迎えたばかりなのですわ」
簡単な挨拶を交わした後、クロエンは二人を公爵の寝室へと案内した。広い部屋の奥には大きなベッドがあり、その前にいくつかの椅子が並べられていた。
分厚いクッションに身体を預け、ベッドの上に座っていたアステア公爵が言葉をかけた。
「お久しぶりです、ジェルニエ侯爵。このような形での出迎えとなる非礼を、どうか容赦していただきたい」
「滅相もないことです。頻繁にお見舞いに伺えず、申し訳ありません」
「何を言う……。こうして訪ねてきてくれただけでも、ありがたいことだ」
血の気のない真っ白な顔に、両頬は痛々しいほどに扱け、指先も細く骨節が浮き出ている。憔悴しきった姿のアステア公爵は、30代半ばという年齢が信じられないほど、老人のように見えた。しかし、深く落ち窪んだ眼窩の奥にあっても、その瞳の輝きだけは、未だ衰えることなく鋭い光を放っていた。




