36. 新しい幕開け
踊り子たちが王都へ戻る日、挨拶のためにリズベットの前に集まった彼女たちの顔は晴れやかだった。リズベットから衣装やベールのほかに、化粧品セットや傷薬の軟膏など、豪華な贈り物を受け取っていた。さらに、公演に大満足した大伯爵からもかなりの褒賞を授かり、全員がすっかり浮き立ち、幸福感に満たされていた。
「皆さん、本当にお疲れ様でした。あなた方のおかげで、素晴らしい式典にすることができましたわ」
リズベットの言葉に、踊り子たちは深く頭を下げた。最年長の踊り子が彼女たちを代表して謝辞を述べた。
「伯爵夫人直々(じきじき)の温かいもてなしと、多大なるご指導に心より感謝申し上げます。レトナ城で過ごした時間は、生涯忘れません。
再びこのような機会がございましたら、いつでもお呼び立てください」
リズベットへの挨拶を終え、外に出て馬車に乗り込む前。オロールと同じゴールデンローズ劇団に所属する三人の踊り子が、次々とオロールを抱きしめて別れを惜しんだ。
オロールはこのままレトナに残り、新たな生活を始める決意を固めていたため、王都へは戻らない予定だった。
「今回、ご一緒できればよかったのに。劇団の皆も、きっとオロールさんのことを気にかけますわ」
「いずれ夫人にお供して王都へ行く機会があれば、挨拶に立ち寄るわ。劇団の皆によろしく伝えてね」
「絶対に立ち寄ってくださいね」
「王都に到着したらすぐに、オロールさんの妹さんのご自宅へ伺って、お手紙と近況をお伝えします」
続いて、他の劇団に所属する踊り子たちも、心のこもった別れの挨拶を交わした。数ヶ月にわたり衣食住を共にしてきた彼女たちの間には、同じように深い情が芽生えていた。
「これまで本当にありがとうございました」
「多くのことを学ばせていただきましたわ」
「どうか、お幸せに」
踊り子たちを乗せた馬車が遠ざかるのを見送っていたオロールは、馬車が完全に視野から消え去ったのを見届けてから振り返った。少しばかりの寂しさを覚えつつも、胸の奥では新たな始まりに対する高鳴りがあった。
リズベットは、踊り子たちと共に一度王都へ戻ってはどうかと勧めてくれたが、オロールは頑なに、しかし丁重に辞退した。
自分が生まれ育った場所である王都には、楽しく美しい思い出や大切な人々もいたが、同時に思い出したくもない苦痛の記憶や、二度と顔を合わせたくない人間たちも存在していた。
今、一人で王都へ戻れば、格好の好奇の目に晒されるのは火を見るより明らかだった。恩人たちに感謝を伝えたい気持ちは山々だったが、自分が最も苦しんでいた時に見捨て、あまつさえ傷や苦痛を与えた者たちまでが、見世物見たさに群がってくる状況を、一人でまともに受け止める気にはなれなかった。
幸いにも、最も大切な人物の一人であるジェルニエ侯爵には、これまでの感謝を伝え、今後の身の振り方についても知らせることができた。そのため、今すぐ王都へ赴く必要はないと考えていた。
(これからの人生は、リズベット様から新しく授かったもの。ここであの方にお仕えし、すべてを新しく始めよう)
邸内へと足を踏み入れたオロールに、侍従が近づき、アルゼンからの呼び出しを告げた。
*** ***
アルゼンの執務室へと案内される道すがら、オロールの脳裏には様々な思いが交錯していた。レトナに残り、リズベットに仕えるということは、クラヴァンテ伯爵家に身を置くことと同義でもある。
まだクラヴァンテ辺境伯とまともに言葉を交わしたことがないため、彼に関する情報は限られていた。オロールの目に映る若き伯爵は、強靭で有能、そしていささかの隙もない人物だった。
伯爵夫人であるリズベットが『神秘の創造者』であるならば、クラヴァンテ伯爵は『卓越した経営者』だった。リズベットが生み出す奇跡を、アルゼンは驚異的な商才を発揮して、巨万の富へと変換させていた。
アルゼンがリズベットをいかに慈しみ、重んじているかは、誰の目にも明白だった。城内の誰もが、伯爵のリズベットに対する至上の愛を疑わなかった。
しかし、オロールの視点からすれば、それはリズベットが秘める『測定不能な価値』ゆえである可能性も否定できなかった。
かつてオロールが眩いほどに輝いていた頃、数多の男たちが彼女に永遠の愛を誓い、その心を渇望した。己の命、果ては魂までも賭けて誓う者さえいた。
その言葉のすべてを真実だと信じていたわけではなかったが、あの事故の後、それらの誓いがあまりにもあっけなく霧散していく様を目の当たりにして以来、オロールは『愛』という言葉を信じなくなっていた。
家族でさえ彼女を金と引き換えに利用して見捨てた時、救いの手を差し伸べてくれた人々を動かしたのは、燃え盛るような愛ではなく、不条理に対する怒りと高潔な人間性だった。そうした一握りの人々がいなかったならば、オロールは悲嘆の中で世の中を呪いながら命を落としていただろう。
丁寧に一礼するオロールに着席を勧めると、アルゼンもまた彼女の向かい側に腰を下ろした。アルゼンがオロールを呼び出した用件は、彼女に邸宅と使用人、そして相当な年金を支給するというものだった。
予期せぬ破格の処遇にオロールは驚いたが、軽率に歓喜することはなかった。ジェルニエ侯爵のように、見返りを求めぬ好意を施す人間など、滅多にいるものではない。
「過分なお言葉、恐悦至極に存じます。私がクラヴァンテ伯爵家のために、何をなすべきかご指示をいただけますでしょうか」
「まずは、この夏に行われるメロヴィッツ王国との会合で披露する、公演の準備を任せたい。前回のように、リズベットと相談しながら進めてくれて構わない。
当然、その仕事に対する報酬は別途支払う。年金は、あくまでリズベットに仕えることに対する対価だからな。
準備に必要なものがあれば、財務官と相談するように。その仕事以外は、リズベットの傍であいつを支えてやってくれ」
ひと呼吸置いたアルゼンが、問いを投げかけた。
「これは純粋に、俺個人の興味からの質問なのだが……あの日、『再生の秘術』を受けた際、どのような体験をしたのか聞かせてもらえるだろうか」
あの日、オロールが経験した幻視については、すでにリズベットとヴィーチェに詳細を語ってあった。夫である伯爵ならば、リズベットから説明を聞いていてもおかしくないはずだ。
オロールがわずかに不可解そうな表情を浮かべると、アルゼンが言葉を補った。
「これまでの付き合いで分かっているだろうが、リズベットは謙遜がすぎて、自分が成し遂げたことを誇りもしなければ、詳しく説明しようともしない。
いつも自分の役割を過小評価して話す。あの『再生の秘術』についても、ただヴィーチェを手伝って書物を朗読しただけだと、大雑把にしか教えてくれなくてな」
その言葉を聞き、オロールは即座に納得した。
秘術が行われたあの日も、リズベットはそうだった。まるで誰にでもできることをしたかのように、大したことではないと片付けようとしていた。
己の塵芥ほどの成果を大いなる業績であるかのように膨らませ、他人の成果を嫉妬して引きずり下ろす者が溢れるこの世において、リズベットはあらゆる意味で規格外の人物だった。
そしてその無欲さこそが、彼女自身の意図とは裏腹に、リズベットをより一層特別な存在へと押し上げていた。
オロールは自身が経験した神秘的な体験を、包み隠さず語った。話を聞き終えたアルゼンが尋ねる。
「その話を、他の誰かにも同じようにしたことはあるか?」
「はい。むしろヴィーチェ様から、そのように広めるよう指示を受けました。そうでなければ、この秘術が真に神の許しを必要とするものであり、何人が容易に試みてはならないという戒めにならないから、と」
「一理あるな」
頷き、しばしの沈黙ののち、アルゼンが口を開いた。
「一つ、頼みたいことがあるのだが」
オロールはわずかに身を硬くし、彼の次なる言葉を待った。
「リズベットがあまり研究ばかりに没頭せず、時折楽しいことをして休めるよう、手助けしてやってほしい。
結婚してからというもの、ほとんど休みなく古代魔法を研究し、多くの大業を成し遂げてきたが……あいつは本当の休むということを知らないようだ。
これまですっと魔導士たちと主に過ごしてきたせいもあるのだろう。魔導士らは知識欲が強烈すぎて、研究こそが生活であり趣味という人種だからな。
オロール、お前がリズベットを連れ出して、買い物や観劇などの息抜きをさせ、のんびりと楽しむ時間を作ってやってほしいんだ」
アルゼンの表情は真剣そのもので、その口調からは並々ならぬ本心が伝わってきた。
「私のような者が大それた真似を、とも思いますが……尽力いたします」
オロールは微かな微笑みを湛え、恭しく答えた。
リズベットが夫であるクラヴァンテ伯爵から、受けるべき深い愛と配慮を与えられているのだと確信し、まるで我がことのように誇らしく、胸が温かくなるのを感じていた。




