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27. 高貴なる者の青(ロイヤル・サファイアブルー)

 ついに扉が開き、アルゼンが入ってきた瞬間、リズベットは頭をまっすぐに上げ、上体をわずかに()らせた傲慢(ごうまん)な姿勢で彼を迎え撃った。


 アルゼンの目が驚きに大きく見開かれた。初めて見る彼の呆然とした表情に、リズベットは今日の勝利を確信した。


 城内で起きる主要な出来事は、常にアルゼンに報告されている。今回の夜会を準備するにあたり、リズベットが何にどれほどの金を費やし、どんな材料を買い入れたかは当然知っているはずだ。 


 しかし、研究所の件は別だ。

 アルゼンへのサプライズプレゼントという名目で、全員に固く口止めをしておいた結果、彼が内幕を知らないのは明白だった。その証拠こそが、まさに今のアルゼンの表情だ。


 驚いているのか、呆気(あっけ)に取られているのか、あるいは怒っているのか判別し難いが、彼がかなり衝撃を受けたことだけは確かだった。


(今回は本当に驚いたみたいね。そりゃそうよ、誰がドレス一着に数億円も注ぎ込むなんて想像するかしら)


 勝利の陶酔感(とうすいかん)、あるいは恐怖と緊張が入り混じった感情を抑え込みながら、リズベットは傲慢(ごうまん)なポーズのままアルゼンに右手を差し出した。


「エスコートはしてくださらないの?」


「あ……」


 アルゼンは夢から覚めたかのようにハッと我に返り、リズベットの手を取った。盗み見た彼の顔は、いつの間にかいつもの冷静な無表情に戻っていた。


(やっぱり今は表に出さないのね。でも、心の中ではきっとはらわたが煮えくり返っているに違いない)


 嵐が吹き荒れるのは、夜会が終わった後だろう。それまでは、本日の夜会の女主人として己の役割を全うしなければならない。


 リズベットは覚悟を決め、静かに歩みを進めた。


       ***     ***


 ホールには数多くの出席者が夜会の始まりを待っていた。前日の幻想的な祝賀宴の話題でもちきりの中、今日はクラヴァンテ伯爵夫人がどのようなドレスをお披露目(ひろめ)するのか、期待感が最高潮に達していた。


 アイボリーの糸で精巧な幾何学(きかがく)模様を立体的に織り込んだ最高級シルクジャカードのコートに身を包んだジェルニエ侯爵は、さながら白鳥のように優雅な(たたず)まいだった。


 室内の照明が精巧なジャカード模様の結び目に沿って屈折するたび、生地自体に深みのある陰影が生まれ、重厚な立体感を作り出していた。


 ジェルニエ侯爵の周囲には、今日も群がる人々で混雑していた。誰もが王国の有名人である彼と挨拶を交わそうと躍起(やっき)になっていた。


 特に若い女性たちは、少しでも彼の目を引こうと必死な様子だった。 ジェルニエは穏やかな微笑みで応対し、誰に対しても気さくな態度で会話を交わしていた。


 ルヴェインの(かたわ)らに立つ、婿(むこ)のフィル・パランジェ子爵が苦笑いを浮かべながら(ささや)いた。


「さすがはジェルニエ侯爵、老若男女を問わず凄まじい人気ですな」


 ルヴェインは笑った。

王国随一(ずいいち)花婿(はなむこ)候補の一人だからな。若い男たちにとっては憧れの対象でもある。彼のおかげで夜会がさらに盛大になったのだから、ありがたいことだ」


 その時だった。音楽が止まり、人々の話し声がピタリと途絶えた。


 二階から階下へと続く階段を、アルゼンの手を取ったリズベットが下りてくるところだった。


 先ほどまでの(かろ)やかな喧騒(けんそう)が嘘のように静まり返り、すべての者の視線がただ一人、リズベットへと注がれた。


 リズベットのドレス。それは、単に「青い」という言葉だけでは到底説明しきれない、神秘の色彩だった。明るい日差しの下で燦爛(さんらん)(くだ)ける清らかな青い海のようでもあり、雲一つない秋の空のようでもあった。


 そうかと思えば、ある瞬間には、静まり返った静寂を宿す深い青緑の海のようにも見えた。燦然(さんぜん)と輝きながらも騒々(そうぞう)しくなく、華やかでありながらも節度ある優雅さを(たた)えていた。


 リズベットが歩みを進めるたび、刻一刻と色合いが変化し、まるで宝石を散りばめたかのように光彩が波打った。


 あちこちから驚きと好奇心に満ちた囁き声が()れた。


「まあ、なんて色かしら! 一体あれは何という色なの?」

「サファイアブルー、なのか……?」


「まさに、身に(まと)う宝石そのものですな!」

 誰かの感嘆の言葉に、人々は一様に深く同意していた。


 最も早く近づいてきたのは、ジェルニエ侯爵だった。 ジェルニエの瞳がリズベットを真っ直ぐに見つめた。彼はリズベットの手の甲に口づけを落とし、低い声で言った。


「昨夜に続き、今日もまた大いなる神秘を見せてくださる。レトナの海から女神が歩み出てこられたのかと思いました」


「お()めが過ぎますわ」

 リズベットは微笑みで応じた。


「実に驚くべき、神秘的な色合いです。これも古代の神秘を再現したものなのですか?」


「ええ。『高貴なる者の(ロイヤル・サファイアブルー)』と呼ばれるものです。ごく少数の王族と、最高位の司祭にのみ許されていた色なのです。古代魔法研究所の魔法使いの皆様と協力して再現いたしました」


 階段を下りながら、リズベットもジェルニエを見た。意識して探すまでもなく、数多の人々の中でも群を抜いて目立っていた。


(アイボリーは代表的な膨張色だから、特に男性のアウターで着こなすのは難しい色なのに……。生地の立体感を利用してシルエットを完璧に補正し、ジャカードの微細な陰影のおかげで、むしろクラシックな品格が引き立っている。

 その上、派手なアクセサリーは一切排除して、カフスボタン一つでアクセントをつけたミニマリズム。やっぱりゲームのグラフィックは、この人の魅力をすべて表現しきれていなかったのね)


 黒みがかった紺青の髪と、神秘的な灰緑色の瞳が、明るいアイボリーの色合いと対比されていっそう鮮明に際立っていた。


 リズベットの登場とともに、本格的な夜会が始まった。その幕開けを飾るのは、本日の主役である伯爵夫妻のダンスだった。アルゼンの手を取って中央に立ったリズベットは、探るように彼の顔色を窺った。


 やはり感情を読み取れない、冷徹な表情だった。リズベットを握る手の感覚も、普段と何ら変わりはなかった。


(表に出さないだろうとは予想していたけれど、本当に大した忍耐力ね)


 とにかく今は夜会を成功裏に終わらせることだけを考えようと決めたリズベットは、ダンスに集中した。幸いなことに、二人はこれまで練習してきた通り、無難にダンスを踊り終えた。


 舞曲が終わり、アルゼンとフロアを離れようとした時、ジェルニエがダンスを申し込んできた。ジェルニエの手を取って踊り始めたリズベットは、彼の洗練されたリードに感嘆した。


 アルゼンがどこか硬くオーソドックスなスタイルであるのに比べ、ジェルニエの身のこなしは穏やかな川の流れのように流麗(りゅうれい)で、そよ風のように軽やかだった。彼に導かれるまま、体が自然と動くような感覚さえ覚える。


 ゲームでもジェルニエはダンスが非常に上手いという設定があり、舞踏会でロジアーナと踊るシーンもあった。しかし、実際に手を取り合って踊る感覚は、やはり画面(がめん)()しとは比べ物にならない。


「あなたのようなお方が王都におられたというのに、なぜ私は今まで気づかなかったのでしょう?」


 ジェルニエが静かに囁いた。落ち着いた中低音の声には、深い残響が宿っていた。


「社交界にデビューしたことがございませんもの。仕方がありませんわ」


「今になってお目にかかることになるとは……口惜(くちお)しい。実にもったいないことです」


 ジェルニエの眼差しには、どこか哀愁(あいしゅう)が帯びていた。女性なら誰もが惹かれずにはいられない、甘く致命的な魅力の前に、リズベットは気を引き締めた。


(ダメよ、流されちゃ。この人は高名なプレイボーイなんだから)


「ジェルニエ侯爵閣下にお目にかかったことはございませんが、お噂はかねがね(うかが)っておりますわ。数多のレディーたちが閣下の魅力に身を焦がしたとか」


 リズベットの容赦ない直球に、ジェルニエの手が一瞬ピクリと固まった。彼は小さくため息を()らし、苦笑混じりに言った。


「夫人からそのようなお言葉をいただくことになると分かっていたならば、誰とも浮名(うきな)を流さず、修道僧のように生きるべきでしたね」


 その言葉を聞くと、おかしくもあり、呆れ返りもして、思わず笑みがこぼれた。


 ジェルニエが優しく微笑んだ。


「先ほどお目にかかった時は海の女神のようでしたが、微笑むあなたは、今しがた咲き誇った青い薔薇(ばら)のようだ」


 こんな台詞を平然と口にする男なのだ。またしても吹き出しそうになったが、リズベットは表情を引き締めてこらえた。


(なるほど、世の女性たちを虜にするわけだわ。魅力が過剰すぎるもの。絶対に隙を見せちゃダメね)


 ジェルニエに親近感と好感を抱いたのは事実だ。彼と円満な関係を維持したいという気持ちもある。世の中、一寸先はどうなるか分からないものであり、いつか彼との親交が役に立つかもしれない。


 しかし、度を越えて親しくなるのは禁物だ。例えアルゼンのもとを去るにしても、彼の名誉に泥を()るような真似はしたくない。それは、自分が守るべき最低限の礼儀だった。


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