10. 髪のお手入れ
(また話が大きくなっちゃったわね。どうしてこの人が絡むと、いつもこうなるのかしら)
リズベットは、自分の部屋に集まった面々を見て困惑していた。 発端は昨日の夕食の席。ふとした拍子に、アルゼンの髪が以前より伸びていることに気づいたのがきっかけだった。
「髪、ずいぶん伸びたみたいですね。伸ばすことにしたんですか?」
「いや、最近は気にかけることが多くて忘れていただけだ。明日にも切ることにしよう」
その言葉を聞いた瞬間、考えるより先に言葉が口をついて出た。
「私がやりましょうか?」
「ん?」
言ってから、しまったと思った。アルゼンのいかにも「軍人」といった風情の、色気のないヘアスタイルが以前から気に入らなかったのが、思わず本音として出てしまったのだ。
「髪のお手入れ。私がやってみるのはどうかな、と思いまして」
口に出してしまったものは仕方ない。断られたらそれまでだ。そう思って提案してみたのだが……。
「わかった。なら、頼む」
アルゼンはあっさりと受け入れた。
その結果が、現在の状況である。リズベットの侍女たちや、アルゼンの側近であるテイトン子爵とルパートはまだしも、シャイナやフランゼットまでがこの場に集まっていた。図らずも、リズベット本人も意図しない事態へと発展してしまったのだ。
(どうしてこうなっちゃったの? かといって、今さら出て行ってとも言えないし……)
一見するといつもの無表情だが、アルゼンが密かに不満と気恥ずかしさを隠し持っているのがリズベットの目には見て取れた。それでも彼が特に何も言わずにいてくれるのを頼りに、リズベットはそのまま作業を進めることにした。
人々の視線が集中する中、シザーケースを腰に巻いたリズベットがアルゼンの背後に立った。ベッティナが巻いてくれたカットクロスを纏って座っているアルゼンを見ると、少し笑いそうになった。 この大柄でカリスマ溢れる男が、大勢の前でおとなしく自分の前に座っている姿が、どこか可愛らしく感じられたからだ。
(アルゼンの髪に触れるのは初めてね)
リズベットは一度深呼吸をし、毛流れや質感を確認すると、素早い手つきでダッカールを使ってブロッキングを行い、カットを開始した。
普段なら授業を兼ねて侍女たちに説明しながら見せるところだが、相手がアルゼンではそうもいかず、黙々とカットに集中した。
(これだけ整った顔立ちをしてるのに、毎日毎日おしゃれっ気のない軍人カットのままにしておくなんて。もったいなすぎるわ!)
用途に合わせてハサミを使い分け、淀みない手つきでカットを進めていくリズベットに、周囲の人々は感心したように見入っていた。 リズベットは真剣な表情でアルゼンの前髪を整えると、最後に指先で軽く髪を散らした。その瞬間、洗練されたニュアンスが加わり、乙女ゲームのメインキャラクターのような魅力が爆発した。
(ふふん。やっぱり私の腕は錆びついてないわね)
満足げな笑みを浮かべるリズベット。見守っていた一同からも、感嘆の吐息が漏れた。
カットが終わっても、リズベットは何か少し物足りなさを感じ、習慣のようにメイクボックスから道具を取り出した。
「日焼け止めは塗りましたか?」
「いや、まだだ」
「じゃあ、私が塗ってあげますから、じっとしていてくださいね」
リズベットはアルゼンの眉を少し整え、その顔に日焼け止めを塗り始めた。日中の明るい光の下、こんなに間近で彼の顔を見つめるのは初めてだった。普段なら緊張するシチュエーションだが、仕事だと思えば何てことはない。
(外での活動が多いのに、肌が綺麗で質もいいわね。やっぱり生まれ持った美形の特典かしら? 特に大きく手を加える必要もなさそう。……よし、これで終わり)
リズベットが顔から手を離して下がろうとした、その瞬間だった。 突然、アルゼンがリズベットの腰を掴んで自分の方へと引き寄せ、不意打ちのキスをしたのだ。
この突発的な状況に、当事者のリズベットはもちろん、部屋にいた全員が目を見開いた。驚きで目を丸くしているリズベットを見て、アルゼンは口角をわずかに上げた。
一瞬の困惑した沈黙の後、リズベットは必死に動揺を隠しながら、アルゼンの背後へと下がった。アルゼンは平然とした顔で鏡に映る自分をちらりと見ると、席を立った。
「悪くない。では、私はこれで失礼する」
そしてフランゼットに軽く目配せをして、部屋を出て行った。
唖然としているリズベットに、シャイナが近づいてきて意地悪そうにからかった。
「さすが、アツアツの新婚さんね。伯爵様があんな行動をされるなんて初めて見たわ」
メリンダもクスクスと笑いながら、そっと言葉を添える。
「私たちもです」
どう反応していいかわからず、リズベットは黙ってベッティナの介助を受けながら、腰のシザーケースを外した。まさかアルゼンが、他人の前でそんな突発的な行動に出るなんて夢にも思わなかった。 けれど、それが嫌ではなかった。戸惑いながらも心臓がどきどきと鳴り、妙に気分が浮き立っていた。




