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9. 望月の幽霊

 間もなく食事が運ばれてきた。新鮮なサラダに始まり、焼き立てのパン、子豚や(かも)、海鳥のローストに魚の蒸し物まで、多種多様な料理が並んだ。


「こんなにたくさんの料理、誰が食べるの? たくさん余ってしまいそうだわ」


 リズベットの心配を耳にしたシャイナが、呆れたように言った。

「他にも人がたくさんいるじゃない。私たちが食べた後、あそこで待っている人たちがみんなで食べるのよ」


「あ……そうなのね。それなら良かった」

 安心した様子のリズベットを見て、シャイナは首を傾げた。


「リズベットって、時々すごくちぐはぐなところがあるよね。驚くほど物知りかと思えば、こういう日常的なことには(うと)かったりして」


 リズベットが思い描いていた「素朴な食事」とは程遠いものだったが、野外ということもあってか、新鮮で特別な気分を味わえた。馬を走らせた後で空腹だったこともあり、食欲がそそられた。


 満足のいく食事を終えたリズベットは、シャイナ、フランゼットと並んで周囲を散策した。フランゼットは、シャイナが背負っている大剣に興味を示した。


「シャイナ様は、少し前まで冒険者をされていたと(うかが)いました。剣と魔法を共に操るとか。その大剣も、魔法の力で振るっていらっしゃるのですか?」


 初めて会った時、フランゼットはシャイナのことを「お洒落(しゃれ)好きの可愛らしい少女」だと思っていた。しかし、自身の護衛騎士から、シャイナが名の知れた冒険者であり、珍しいタイプの魔剣士であると聞いて、かなり驚かされた。


「魔力を込められる武器ではありますが、魔法武器ではありませんよ。振り回すのは純粋に筋力の領域です。一度、持ってみますか?」


 シャイナはこうした状況に慣れているのか、あっさりと大剣を解き、地面に突き立てた。


 フランゼットは大剣に歩み寄り、両手で柄を握りしめて持ち上げようとした。しかし、大剣はほんのわずかに震えただけだった。顔が真っ赤になるほど力を込めて、ようやく数センチ浮かせることができたものの、今にも取り落としそうなほど(あや)うかった。


 シャイナが素早く柄を受け取り、再び背中に背負い直す。


「凄まじい重さですね。知らずに受け取ろうとしたら大変なことになりそうです」

 フランゼットは(しび)れた腕をさすりながら感嘆した。


「見た目だけで判断して襲ってくる奴らを、初太刀(はつたち)粉砕(ふんさい)するのにぴったりなんです」

 シャイナは得意げに笑った。


「伯爵夫人の護衛のために、冒険者を引退されたのですか?」

「いえ、そういうわけじゃありません。今日は友人として護衛を兼ねて来ましたが、冒険者を暫定(ざんてい)的に引退したのは、家業である古代魔法の研究に専念するためです。

 伯爵夫人から古代の知恵と神秘を伝授していただいているんですよ。いわば、私の師匠ですね」


「師匠だなんて、とんでもないわ」

 リズベットが顔を赤らめて反論したが、シャイナは真面目な顔で語気を強めた。


「当然、師匠ですよ。伯爵夫人は私だけでなく、おじい様や母、ヴィーチェさんまで、皆を導いてくださる神秘の伝承者なのですから」


 そう言うと、シャイナは誇らしげにリズベットの腕に抱きついた。

「それに、私自身を好きになれるようにしてくれました。リズベット様が私を友人として扱ってくれることが、本当に嬉しくてたまらないんです」


 リズベットは、このとんでもない誤解をどう解けばいいのか分からず、困惑の溜息(ためいき)を飲み込んだ。


 その後もとりとめない話をしながら歩いていると、大小の岩が()()うように集まった場所でリズベットが足を止めた。


 岩の隙間(すきま)に、緑色の(つぼみ)をつけた野草が目に留まったのだ。一見すれば何の変哲(へんてつ)もない雑草にしか見えないはずなのに、妙に()きつけられた。


(どこかで見たことがあるような……?)

 そんなはずはないと思いつつも、この草を間違いなく知っているような気がした。


「何をそんなに見ているんだ?」

 隣に来たシャイナが草を覗き込み、声を上げた。

「おや? これは『望月(もちづき)の幽霊』じゃない?ここにもあったんだね」


「『望月の幽霊』?」

「そう。ナザタン荒野の近くの村で見たことがあるけど、あそこの人たちはそう呼んでいたよ。

 昼間に見ると()えない雑草だけど、夜、それも満月の夜には一変するの。月の夜にだけ花を咲かせて、淡く光を放つ。それはもうすごく美しいよ」


 しかし、その名の通り、この野花には悲しくもおぞましい物語が伝わっていた。

 昔々、ある村に美しい娘がいた。近隣に噂が広まるほどの美貌(びぼう)だった。ある満月の夜、この花が咲き乱れる野原で、娘は一人の若く端正な男と出会い、恋に落ちた。男は隣国の王子だった。


 王子は自分の国へ戻って準備を整え、迎えに来ると約束して去っていった。娘はそれから毎日、その場所で王子を待ち続けた。


 しかし、約束の日を過ぎても王子は戻らず、彼が他国の王女と結婚したという知らせが届いた。絶望した娘は、王子と初めて出会った場所で自ら命を断った。


 この花が光り始めたのは、それからだった。そして、この花が咲く時期の満月の夜になると、娘の幽霊が現れては、通りかかる若い男を誘惑してどこかへ連れ去ってしまうという話が広まり始めた。


 それは男への復讐(ふくしゅう)だとも、あるいは今も王子を待ち続けていて、若い男を王子だと思い込んで連れて行くのだとも伝えられていた。


 話を聞いたリズベットは、この野花がゲームの中に登場した『妖精の涙』であることに気づいた。


「私の知っている話とは少し違うわね。私の知っている名前は『妖精の涙』よ。あらすじは似ているけれど、もっと悲しくて切ない物語だわ」

「へぇ、そっちはどんな話なんだい?」


 リズベットがゲームで聞いた物語を語って聞かせると、シャイナは頷いた。

「確かに、リズベットの話の方がロマンチックだね」


 リズベットは侍女たちを振り返って言った。

「次の満月はいつかしら? これが咲くところを見に来たいのだけれど」


 すると、メリンダとエリーが同時に叫んだ。

「絶対になりません!」


「どうして? ほんの少し、花を見るだけよ?」


「このような人里(ひとざと)離れた辺境の地は危険です。夜には魔獣が現れるかもしれませんし、不審な連中が徘徊(はいかい)している可能性もあります。このような場所で緊急事態が発生すれば、応援を呼ぶことも困難です」

 メリンダが早口で反対の言葉を浴びせた。


「でも、ほんの少しの時間なのに……」

 諦めきれずにリズベットが未練を見せると、シャイナが割って入り、リズベットの耳元で(ささや)いた。

「……リズベット、ちょっと話がある」


 少し離れた場所へリズベットを連れて行ったシャイナは、なぜ夜の外出が許されないのかを丁寧に説明した。


「夜間の警護は、昼間とは次元が全く違うの。何がどこから飛び出してくるか予測も難しいし、視界が狭まる分、苦労は数倍になる。 おまけにここは民家からも遠いし、すぐ横は海に面した絶壁(ぜっぺき)よ。夜は特に危ない」


 シャイナは続けた。

「リズベットが最後まで見たいと強情(ごうじょう)()れば、あの人たちは従わざるを得ない。けれど、それは彼らに過度な負担と命の危険を強いることになるんだよ」


 冒険者であるシャイナにそうまで言われては、これ以上わがままは言えなかった。

「……分かったわ」


 ゲームのエンディングで見たあの花を実際に目にしたらどんな気分だろうかと、ひどく気になったが、自分の好奇心のために多くの人々を苦しめるわけにはいかなかった。


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