8. ピクニック
「私は今の自分が好きです。変わりたいとは思いません」
リズベットと向かい合った席で放たれたフランゼットの断固たる意志に、ジルマやエリーといった侍女たちは困惑を隠そうと、必死に無表情を装った。
しかし、リズベットは「それもありだろう」と考えていた。今のフランゼットも決して見劣りするわけでも、見苦しいわけでもない。第一印象から活動的で芯の強い女性に見えた。誰かに勧められたからといって、すぐに自分を変えるようなタイプではないだろう。
(まだ時間はある。ゆっくり心を開いていけばいい)
そう考えたリズベットは、フランゼットが好む活動を共にすることにした。
「無理にご自分を変える必要はありません。お互いを知るためにも、別のことを一緒にしてみませんか?
フランゼット様は馬術に長けていると伺いました。私も最近乗馬を習い始めたのですが、馬に乗って内城を回ってみるのはいかがでしょう」
これ以上断っては無礼になりかねないと判断し、フランゼットはリズベットの提案を受け入れた。
乗馬服に着替えて外に出たフランゼットは、リズベットの愛馬「パール」を見て驚かされた。
真珠のような光沢を放つ、しなやかな白馬。それも牡馬ではなく牝馬だ。立派なお屋敷、あるいはそれ以上の価値がある宝石のような名馬だった。
「素晴らしい馬ですね。奥様がご自身で選ばれたのですか?」
驚きを隠せず尋ねると、リズベットは首を振った。
「いいえ、私は馬のことはよく分かりませんの。乗馬を習いたいと言ったら、アルゼンがこの馬を送ってくれたのです」
リズベットの口から自然と出るアルゼンの名に、フランゼットは無意識に反応してしまった。
「……アルゼン様を名前でお呼びなのですね?」
「あ、ええ。主人がその方がいいと言うので……」
まるで自分にアルゼンとの仲を見せつけているようで、フランゼットはカッとなったが、ここで怒るわけにはいかなかった。
(ねだったわけでもないのに、アルゼン様が自らこのような馬を買い与えたというの?)
フランゼットが知るアルゼンは、決して贅沢をする人ではない。常に節制された素朴な生活を送り、遠征時には兵士らと同じ食事を摂り、荒れた寝床も厭わない人だった。
馬に合わせて用意された鞍も、希少な魔獣の皮で作られた高価なものだった。派手な装飾こそないが、一目で上質だと分かる洗練された美しさがあった。
(そういえば、晩餐の時の食器も以前とは変わっていたわね)
玲瓏と輝く銀食器やクリスタルのグラス。そしてアルゼンが身にまとっていたシルクのシャツ。
(この女のせいで、アルゼン様が別人のように変わってしまっているのだとしたら、どうすればいいの?)
自分の知っているアルゼンが消えてしまうようで、恐ろしかった。フランゼットはリズベットの様子をそっと盗み見た。華やかで美しい顔の下に、他人を操る狡猾な本性と恐ろしい力を隠しているのかもしれない。
(この人について、もっと詳しく調べなければ。もしアルゼン様が騙されているのなら、私がお救いしなければ……)
その時からフランゼットは、リズベットに悟られないよう、彼女を注意深く観察し始めた。
乗馬教師のヴァレリーをはじめ、伯爵家の人々は誰もがリズベットを丁重に扱っていた。それは彼女を恐れているからではない。人々は親愛の情を持って接しながらも、彼女が壊れやすい貴重なガラス細工であるかのように保護しようとしていた。
アルゼンや大伯爵だけでなく、周囲の全員が魅惑の魔法にかかっているかのようだった。
「本当に見事な馬ですね。美しいだけでなく、よく鍛えられた駿馬です。思い切り走らせれば、さぞ素晴らしいでしょう」
フランゼットは本心を隠し、パールを褒めた。
リズベットは照れくさそうに答えた。
「そうですか? まだ内城の外へ乗って出たことがないので、分かりませんでしたわ」
「そうですか。馬もたまには心ゆくまで走らせてやるのが良いのです。特にこのような駿馬は」
何気ない一言だったが、リズベットが即座に反応した。
「やはり、そうですわよね?」
そして侍女たちを振り返って言った。
「前に、準備なしに内城の外へは出られないと言っていたわね? それは準備さえすれば出られるということでしょう?」
これには、メリンダもエリーも反対できなかった。
リズベットはフランゼットを見て、にっこりと微笑んだ。
「よろしければ、一緒に遠足に出かけませんか? レトナ城から少し離れた場所まで行って、涼やかな海の景色を見ながら、草の上でお昼を食べるのです」
「……良いですね」
どのみちしばらくここに滞在する身であり、リズベットを探りたいという思いもあったため、フランゼットも快諾した。
リズベットは侍女たちに命じた。
「軽い遠足だから、お弁当の準備だけでいいわよ」
*** ***
3日後。 ピクニックのために馬に乗ろうと出てきたリズベットは、自分を待つ護衛の行列を見て言葉を失った。
「何、これ? これじゃ遠足じゃないじゃない」
呆然と呟くリズベットを見て、護衛を兼ねて同行することになったシャイナが笑った。
「何を言ってるんだ? これが『伯爵夫人のピクニック』というものだよ」
伯爵家の旗を掲げた旗手を先頭に、十数名の騎士、さらには三名の魔導師までが隊列を成していた。
リズベットが思い描いていた平凡なピクニックとはかけ離れていたが、ともかく初めてレトナ城の外へ出られる、歴史的な瞬間ではあった。
リズベットは浮き立つ心で馬に跨った。旗手を先頭に、一行が走り出す。
「クランベネット伯爵夫人の お通りだ! 道をあけよ!」
旗手が大声で叫びながら進むと、道を通りかかった馬車や馬たちが止まり、脇へ退いた。
(静かに出歩けばいいものを、ここまで……。あの人はどうしてこう大騒ぎにするのかしら)
リズベットは顔が火照るのを感じながら、努めて視線を前方に向けた。遠足の話がアルゼンに報告された際、「良い場所があるから、そこへ案内させよう」と言われていたのだ。
道行く人々は帽子を脱いだり頭を下げたりして、伯爵夫人に敬意を表す一方で、好奇の眼差しで彼女の姿を盗み見ていた。
レトナの市街地を抜け、外城の門をくぐると、景色は一変した。見渡す限りの野原に広がる農地と、点在する農家。それらを目にしたリズベットの気分は一気に晴れやかになった。
(ついにレトナを抜け出して、外に出られたわ!)
フランゼットがいてくれて良かった、と思った。
(できるだけ仲良くなれるよう努力してみよう。それを口実にすれば、外遊びの機会も作れるかもしれないし)
城内の市場を回るのとは違い、城外へ出るにはどうしても理由が必要だ。友人に会いに行くと言えば、外出もしやすくなるだろう。
のどかな田園風景の中、馬たちは速度を上げて走り始めた。最初は少し緊張していたリズベットも、すぐに慣れた。風を浴びて疾走する解放感と、快感さえ覚えた。
しばらく走って到着したのは、海に面した断崖の上だった。リズベットが望んだ通り広い草地があり、崖の向こうには一面の海が広がっていた。
「こんな場所があったなんて!」
リズベットは果てしなく続く海を見て感激した。写真でしか見たことがないような壮観な景色だった。青い海が視界を埋め尽くし、遥か下の崖下では波が絶え間なく打ち寄せ、白い飛沫を上げては散っていった。
「奥様、あちらにお休みになる場所を用意しております」
崖の端で潮風を浴びながらしばらく景色を眺めた後、エリーの案内で向かったリズベットは、その規模を見て思わず溜息をついた。
そこには大型のテントが張られており、中にはテーブルや椅子がセットされていた。テントの横にはまた別のテントがあり、料理人たちが忙しく食事を準備している。その傍らでは石を積んで作ったオーブンや、大鍋がかかった炉に加え、様々なバーベキューが焼かれている最中だった。
(ピクニックじゃなくて、盛大な野外行事になっちゃってるじゃない……)
草の上でお弁当を食べるというささやかな計画は、泡となって消えた。テントの中へ案内されたリズベットは、冷たいフルーツジュースで喉を潤し、用意された水で手を洗った。
(どうしてこんなに大ごとになったのかしら。私はただ、素朴なピクニックを考えただけなのに)
心の中で愚痴をこぼしたリズベットは、フランゼットに尋ねた。
「ピクニックというのは、普通こういうものなのですか?」
「普通はここまでいたしません。意味のある家族行事や、重要な客人を招いた時なら、これほどの規模になることもありますが」
「あ、では、フランゼット様がいらっしゃるからなのですね」
フランゼットは首を振った。
「そうではないでしょう。以前、アルゼン様とお兄様と共に来た時は、もっと簡素な規模でしたから。奥様がおっしゃったような、草の上での食事程度でしたわ」
「前にここへいらしたことがあるのですか?」
「ええ、今日で4度目になるかしら」
アルゼンが「良い場所へ案内させる」と言っていたのは、本人が気に入っている場所であることは間違いなかった。
(知っている場所なら、自分が連れてきてくれたって良かったじゃない)
なぜか寂しさを感じ、そんなことを考えたリズベットは、自分自身に驚いた。
(今、何を……。アルゼンにそんなことを期待する時じゃないでしょう?)
誰かに気づかれたわけでもないのに決まり悪くなり、リズベットはぎこちなく茶を啜った。




