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7. フランゼット

 愛しているからこそ、彼の不幸を願った。なのに……。


 乳母が髪を()かしてくれている間、フランゼットは沈痛な面持ちで座り込み、独り言のように呟いた。

「……私の考えが間違っていたのかしら」


「どうなさいました、お嬢様?」

 乳母のルシンダが、フランゼットの顔色を窺いながら尋ねた。


「ルシンダ、あなたの目には、伯爵夫人はどう映った?」

「美しく着飾った、高貴な貴婦人のようでございましたわ」


「アルゼン様は、贅沢(ぜいたく)をして着飾るような女の人はお嫌いなのだと思っていたけれど……」


 アルゼンの母・トリシの質素(しっそ)さとは対照的に、祖母のカトレンと伯母のアメリアは贅沢と虚飾(きょしょく)にふけっていた。アルゼンはそんな二人をひどく嫌っていたはずだ。


 ところが、今日の晩餐(ばんさん)の席で目にしたアルゼンは、華やかに装ったリズベットの(かたわ)らにいながら、嫌がるどころか不快そうな素振りさえ見せなかった。それどころか、リズベットから身だしなみの整え方を教わるべきだという大伯爵の提案に、賛成までしてみせたのだ。


「『レトナの翼』から『レトナ・シルク』に至るまで、多くのものを伯爵夫人が中心となって生み出していらっしゃいます。そうした背景があるからこそ、アルゼン様も()えていらっしゃるのではないでしょうか」


  ルシンダはフランゼットの機嫌を取ろうと、懸命に心を(くだ)いた。 騎士だった夫を若くして事故で亡くし、さらには赤子だった我が子までも病で失った後、ルシンダはフランゼットの乳母となった。幼い頃、病弱だったフランゼットをそれこそ献身的に世話し、今もなお自分自身以上に彼女のことを(いつく)しんでいるのだ。


『レトナの翼』。「神の翼」とも呼ばれるその威容は、バルマン伯爵領にまで噂が広まっていた。それを見るためだけに、わざわざレトナを訪れる者が現れるほどだった。


 家族と共に馬車に()られてくる道中、遠くから眺めた「レトナの翼」も素晴らしかったが、内城に入り間近で見た光景は、まさに壮観の一言に尽きた。神秘的な光を帯びた巨大で美しい金属の翼が大きく広がる様は、神話に登場する神獣を彷彿(ほうふつ)とさせた。


「……どうしても、そうは思えなかったの」

 フランゼットの目には、アルゼンが嫌なことを我慢しているようには見えなかった。一見すればいつも通りに見えるものの、彼の視線は頻繁(ひんぱん)にリズベットへと向けられていた。


 そしてその瞳には、温かな情愛が宿(やど)っていた。あれはトリシ以外の人間には決して見せることのない眼差(まなざ)しだった。


 ルシンダは、引き続きフランゼットの気分を晴らそうと努めた。

「伯爵夫人は、(すさ)まじい魔導師だというではありませんか。もしかすると、伯爵様に魔法でもかけて、魅了しているのかもしれませんよ」


 フランゼットもそんな噂を耳にしたことがあった。 「レトナの翼」に続き、精製水や万能(ばんのう)軟膏(なんこう)、化粧品、そして最近の「レトナ・シルク」まで。


 彼女が作り出した品々は、古代文明の遺産を継承したものだと言われている。人々はクラヴァンテ伯爵夫人を、大錬金術師であり古代魔法の継承者(けいしょうしゃ)であると見なしていた。


(……いっそ、そうであればいいのに)

 フランゼットは(みじ)めな気分を()()めながら、黙ってベッドに横たわった。


 記憶にもない幼い頃から、アルゼンは憧れの対象だった。幼稚(ようち)でいたずらっぽい自分の兄や同年代の少年たちとは違い、寡黙(かもく)で大人びた端正(たんせい)な少年。何をしても抜きん出ており、非の打ち所がない完璧な人だった。


 自然と、幼いフランゼットは「アルゼン様のお嫁さんになる」と口にするようになった。最初は笑って聞き流していた両親だったが、フランゼットが10歳になったある日、父であるバルマン伯爵は真剣な表情で釘を刺した。


「お前がアルゼンと結ばれることは、決してない。アルゼンは家門の意向により、中央の主要家門と縁談を結ぶことになる。

 今後、二度とアルゼンの妻になるなどと口にするな。さもなくば、二度とアルゼンとは会わせぬ。いいな」


 それは逆らうことのできない宣告だった。その日以来、フランゼットはアルゼンへの想いを胸の奥に隠した。


 綺麗に(あきら)められるのなら、そうしただろう。けれど、想いは抑えようとすればするほど、(つの)る一方だった。常に無表情で冷徹なアルゼンが時折見せる微笑みや気遣いが、自分への愛なのだと信じたかった。


 アルゼンが望む女性になりたかった。彼が嫌いそうなことはせず、彼が唯一愛する女性――母トリシに似ようと、たゆまぬ努力を重ねた。


 美しい服や宝石、化粧や香水などには目もくれず、ダンスや刺繍(ししゅう)、楽器といった貴族女性のたしなみではなく、馬に乗り、剣を学び、弓を引いた。


 トリシの身分が足かせとなり、中央の有力家門とアルゼンの縁談が立ち消えになるたび、微かな希望が芽生(めば)えるのを感じた。このまま時が流れれば大伯爵も諦めるかもしれない、そうすれば自分にもチャンスが巡ってくるはずだ、と。


 そんな折、エンジット公爵家の庶子(しょし)とアルゼンの婚儀が決まり、式が執り行われた。両家の深い親交ゆえに式に参列したフランゼットは、痛々しく震える可憐な花嫁の姿を見て、怒りと安堵(あんど)を同時に覚えた。


 アルゼンに対し、あのような屈辱的(くつじょくてき)な態度を見せることに(いきどお)りつつも、この結婚は不幸になるだろうという予感に、消えかけていた希望が再び燃え上がった。この結婚が破綻(はたん)を迎えた時こそ、自分に好機が訪れるのだと信じたかった。


(本当に……あの女のことを、好きなのかしら?)

 ルシンダが言うように、リズベットがクラヴァンテ家に利益をもたらすからこそ、じっと耐えているのだと思いたい。あるいは、アルゼンが何か邪悪(じゃあく)な術にかけられ、リズベットに騙されているのだと。


 弱々しく、細く、ほんの少しの風にも倒れてすぐに枯れてしまいそうな、温室育ちの花のような女。そんな女にだけはなるまいと(あらが)い続けてきた自分。そんな女にアルゼンを奪われ、耐えていける自信など、彼女にはなかった。


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