4. プロジェクトの始まり
リズベットは「嫌われる勇気プロジェクト」の計画を本格的に練り始めた。アルゼンが言っていたパーティーは、2回にわたって盛大に催される予定だ。
初日は、大伯爵ルヴェインの70歳を祝う席。夕食会の形式で庭園にて開かれるという。初春の肌寒い時期に、あえて夜の屋外で行う理由は、参列者に「レトナの翼」の威光を誇示するためだった。
(魔法で結界を張って、屋外行事をするなんて。さすが魔法の世界だわ)
二日目のパーティーは、アルゼンとリズベットの結婚一周年を記念するもの。伯爵夫妻、正確にはリズベットを社交界に正式にお披露目する場だった。
リズベットはこの二つのパーティーを利用して、力の限り贅を尽くし、アルゼンを呆れさせてやるつもりだった。
(その第一弾がこれ。『高貴なる者の青』の再現よ)
『美の錬金術』の1ページ目。メルカリアスが身にまとっている輝かしい青色の衣装を見つめ、リズベットは深呼吸をして唱えた。
「『高貴なる者の青』を見せてください」
ページがめくれ、その製造法が展開される。
『高貴なる者の青』は、古代魔導文明においても格別に高貴な地位にある者――すなわち、ごく少数の王族や最高位の司祭のみが許された特別な色だった。
「燦然たるブルー」とも形容されるこの色の原料は、サファイアだ。宝石、それも安物ではなく、色鮮やかで美しい上級のサファイアを粉砕し、高度な錬金術で処理して作るこの色こそ、衣服で具現化できる極上の贅沢だった。ざっと換算しても、数億円は下らない予算が必要になるだろう。
(これほどの贅沢をすれば、いくらアルゼンでも見過ごすことはできないはずよ)
現世では夢にも見なかった凄まじい浪費に心臓が高鳴る。しかし、これくらいはしなければアルゼンを刺激することはできないと、彼女は心を鬼にした。
*** ***
研究所でギスカールら魔導士にこのアイディアを話すと、3人の反応は三様だった。
「『高貴なる者の青』ですか。まさに奥様にふさわしい色だと思います」
「実際に完成したらどうなるのか、楽しみですね」
ギスカールとシャロナが期待を口にする一方で、シャイナはリズベットの意図を正確に射抜く一言を投げた。
「これこそ錬金術でできる至高の道楽ね」
図星を突かれたリズベットは気まずさを隠し、3人に念を押した。
「『高貴なる者の青』については、外部には秘密にしてくださいね。アルゼンをあっと驚かせたいんです」
シャイナが首を傾げた。
「材料だけでも大金が動くのに、伯爵様に隠し通せるかしら?」
「支出の報告は行くでしょうけど、それで何を作るかは言わなければわからないもの。もし誰かに聞かれたら、私が口止めしたと言ってちょうだい」
アルゼンに秘密にする理由は、もちろん単なるサプライズではない。
(何も知らないところに不意打ちを食らうのが、一番効くんだから。思いも寄らないことをされてこそ驚くし、同時に腹も立つはずよ)
まだアルゼンが怒った姿を見たことがないため、いくらかの恐怖心もあった。だが、どんなに怒っても決して暴力に訴える人ではないという確信はあった。
(「嫌われる勇気」に加えて「鉄面皮」を被れば、突破できない難関なんてないわ)
そう自分に言い聞かせていると、シャロナが尋ねた。
「二日目はこれを準備するとして、初日の屋外行事では何をされるおつもりですか?」
「初日はおじい様が主役ですから、70歳のお誕生日を祝う特別なイベントを企画しようと思っています」
これもまた「嫌われる勇気プロジェクト」の一環だった。大伯爵のためという名目で特別な出し物を企画し、そこにも莫大な費用を投じる計画だ。連打で贅沢のパレードを繰り広げれば、いかにアルゼンといえど、黙ってはいられないだろう。
「どんなことをするつもりなの?」
「まだ確実には決めていないけれど、音楽と踊り、そしてファッションを融合させた公演のようなものができないかと考えています。今回新しく作る『レトナ・シルク』で幻想的な衣装を作って、踊り子たちを月夜の妖精のように見せようかと」
「わあ、それ素敵そう!」
シャイナが目を輝かせて手を叩いた。
リズベットはシャロナに尋ねた。
「新しいシルクは、いつ頃に完成品が出来そうですか?」
「試作品はすでにいくつか出来ております。完全に再現できてから奥様にお見せしようと思っていました。
なにぶん薄く繊細な織物ですので、熟練の職人たちも慣れるまでには時間がかかりそうです」
「まだ時間は十分にありますから、あまり根を詰めすぎないでくださいね」
現在再現している織物は、地球でいうところの「シルクシフォン」や「シルクオーガンジー」、「ハブタイ」、「シルクジョーゼット」などだった。どれも極めて薄く繊細なシルクで、それぞれ質感や透明度、弾性が異なるものだ。
(サテンだけでも地球のシルクより軽くて繊細なのに、これらはそれ以上でしょうね)
何種類ものシルクを使い、踊り子たちの衣装をデザインすることを考えると、少し気分が高揚した。ファッションデザインを夢中で勉強していた頃に戻ったような感覚だった。
「来春のパーティー、本当に楽しみだわ。きっと凄いことになりそう。私に手伝えることがあったら言ってね」
シャイナの声に、リズベットは束の間の興奮から現実へと引き戻された。
「そうするわ。公演の内容についても、良いアイディアがあればお願い。イメージはあるけれど、まだ具体的なことは何も決まっていないの」
「私が役に立てるかわからないけど、思いついたら言うね」
シャイナは楽しそうに喋り続けた。
「ヴィーチェ婆っちゃんが、リズベットに会ってから人生が楽しくなったって言ってたけど、本当にそう。レトナ城が前よりずっと明るくて楽しい場所になった気がするわ」
*** ***
その日の予定を終えて研究所を出て、自室に戻りながらリズベットは物思いに沈んだ。
(来年の春……。今こうして準備しているけれど、その時も私はここにいられるのかしら?)
リズベットの秘密が、いつ、どのような形で暴露されるかは知る由もない。秘密を知る誰かの密告かもしれないし、密かに広まる噂の形かもしれない。
「レトナの翼」、精製水、化粧品、そしてレトナ・シルクまで。ギスカールとの偶然の出会いと「チート能力」が相乗効果を起こし、当初の予想よりも事が大きくなりすぎてしまった。自分について知る人が増えるほど、危険も増していく。
(何もしないで息を潜めていれば安全、というわけでもない。できることをやるのが正解よ)
起きていないことに戦々恐々(せんせんきょうきょう)としても、何も好転はしない。いつ最悪の状況が訪れてもいいように想定し、備えておくしかないのだ。
リズベットは、左手の小指にある、ヴィーチェからもらった指輪をそっと撫でた。
初めてこの世界で目を覚ましたあの日に比べれば、状況はずっと良くなっている。アイテムボックスには非常用資金とコスメセット、各種ヘアケア用品がある。そしてコレットという信頼できる協力者もできた。
(まずはパルツワンへ渡って、安全な場所に落ち着きさえすれば、生活はどうにでもなるわ)
ここで出会った人たちと別れるのは胸が痛む。それでも、生きていくと決めた以上、前へ進まなければならない。




