40. 招待
大伯爵ルヴェインは、シルクシャツの滑らかな感触を指先で確かめながら、満足げな笑みを浮かべた。
「これは、誰であっても魅了されずにはいられんな」
「魔獣の糸からこれほどのものが作り出せると、一体誰が想像したでしょうか」
ルヴェインと向かい合って座るフィル・パランジェが、テーブルに置かれたシルクの生地を愛おしそうに撫でながら、信じられないといった様子で首を横に振った。
フィルは、クラヴァンテ伯爵家に長年仕える家臣の家系、パランジェ子爵家の前当主である。ルヴェインの娘でありアルゼンの叔母にあたるテルザの夫でもあり、ルヴェインにとっては義理の息子にあたった。
『レトナ・シルク』に対する市場の反応は、リズベットの予想よりもはるかに即効性があり、かつ爆発的だった。当初から大量生産を念頭に置いて魔導紡績機を大型化したものの、すぐさま増産の要求が押し寄せた。
リズベットとヴィーチェは追加の魔導装置を製作せねばならず、結局、内城の訓練場にはレトナ・シルク専用の製糸工房が建設されることになった。
「全くだ。リズベットが我が家に来て以来、まさに驚きの連続だ。
王都へ送る分の手配は済んだか?」
「はい。王家および主要な家門ごとに分類し、準備を整えております」
「王室を皮切りに、滞りなく届くように手配せよ」
「……失礼ながら、なぜ王都へ直接向かわれず、贈り物と招待状だけを送るのですか?」
フィルが不思議そうに問いかけた。
本来、ルヴェインは中央政界にパイプを作るため、一年のうちに何度も王都へ足を運んでいた。しかし、アルゼンとリズベットの結婚以降は、むしろ王都へは一切足を踏み入れていない。
ルヴェインは会心の笑みを漏らした。
「もともと、余裕のない方が動くものだ。
以前は私が彼らに会うために奔走したが、今は向こうが私に会いたくて焦れている。わざわざ自分から出向いて、彼らの好奇心を満たしてやる必要はあるまい。
さらにこのレトナ・シルクを送りつければ、もっと騒ぎになるだろう。これを一度身につければ、誰もが二度と手放せなくなるはずだからな」
「ああ、それでリズベット様も他所からの招待に一切応じていらっしゃらないのですね」
精製水や化粧品などが発売されて以来、近隣の貴族家からは連日のようにパーティーや狩猟大会の招待状が届いていた。しかし、リズベットもアルゼンも適当な理由をつけては、どこにも出席していなかった。
「アルゼンにはそう言い含めてあるが……リズベットも魔法の研究に忙しいせいか、そういった方面には関心を示さないようだな」
「リズベット様を見ていると、本当に驚かされるばかりです。これほど素晴らしいものを次々と生み出されるとは」
フィルの感嘆に、ルヴェインはふと考え込むような表情を見せた。
「凡人の範疇を遥かに超えた御仁と見るべきだろう。あの予測不能な存在であるヴィーチェが、あれほどまでに気に入っていることからもな。
もしかすると、リズベットの母方は古代の尊い血統なのかもしれん。そうでなければ、あのお方の書物をあれほど自由に解読し、使いこなすことなどできまい」
「その可能性はありますね」
頷いたパランジェは何かに思い至ったのか、ニヤリと笑った。
「ただでさえ最近のクラヴァンテ伯爵家は、水商売に薬商売で大儲けしていると噂されていますが、シルクまで加わったのですから、それこそ大騒動になりますよ」
「それだけの投資をしたのだ、末永く回収させてもらわねばな」
冗談めかして言ったルヴェインは、フィルの傍らで黙って話を聞いていたテイトン子爵に言葉を向けた。
「王都の雰囲気はどうだ?」
「精製水をはじめ、化粧品や石鹸については貴族だけでなく平民の間でも噂が広まっています。特に『レトナの翼』については、あらゆる推測が飛び交っている状況です。
リズベット様に対する好奇心も高まっており、実家であるエンジット公爵家にも関心が集まっているようです」
「マリサと言ったか? 公爵家の令嬢は今年で19歳だったな。社交界デビューも済ませていると聞いたが。リズベットには、その経験がないのだな?」
「はい。リズベット様が12歳頃から公爵家で育ったのは間違いありませんが、社交界にデビューした記録はありません。公爵家と親交のある家門でさえ、夫人の存在を知らなかったようです」
「外で産ませた子供の場合、よくある話ではあるがな」
大したことではないと流したルヴェインだったが、ふと思い出したように声を出さずに笑った。
アルゼンの縁談を進めていた当時、ルヴェインが念頭に置いていた相手は当然、マリサだった。そして実際に、それを前提に婚約の話が進んでいたのだ。
しかし途中で公爵家側から、マリサの健康上の理由を盾に、庶子を代わりに送ると通告してきた。当事者であるアルゼンは無反応だったが、ルヴェインの立場からすれば非常に不愉快な出来事だった。
それでも、他の有力家門からはアルゼンの母トリシの身分を理由に何度も縁談を断られていたため、選択の余地はなかった。ところが、その決定が思いがけない「大化け」を引くことになったのだ。
「リズベットのおかげで、我が一族の宿願も案外早く叶うかもしれんな」
*** ***
「もう、訓練場全体をレトナ・シルクの製造工場にする勢いね」
乗馬の練習を兼ねて内城を見回っていたリズベットは、騎士たちの訓練場だった場所に建設中の建物の規模を見て驚いた。
馬に乗って付き従っていたメリンダが、楽しそうに言った。
「当然ですよ。レトナ・シルクのせいで大変な騒ぎなんですもの。商人たちが少しでも多く確保しようと必死だって聞きましたわ」
「原料の供給は追いつくのかしら? 人が育てているわけじゃないのに」
「それが、あちこちで『甲殻スパイダー』の糸を買い占めているらしいですよ。だから今は冒険者だけでなく、一般の人たちまで甲殻スパイダーの糸を集めに回っているそうです」
「そうなの?」
お金になることなら、人々がなりふり構わず動くのはここでも同じなのだなと思う反面、甲殻スパイダーの立場からすれば災難だろうな、という考えがよぎった。
(甲殻スパイダーには申し訳ないわね。まさかこのせいで絶滅危惧種になったりしないわよね?)
そんな心配をしていると、エリが口を開いた。
「甲殻スパイダーを、いっそ農場のような場所で飼育しようと試みている人たちもいると聞きました。あちこちで試験中だそうです」
「へぇ、小さくても一応は魔獣なのに、そんなことが可能なのかしら?」
リズベットは懐疑的な反応を示したが、メリンダたちの考えは違った。
「お金がかかっていることですから。どうにかして方法を見つけ出すんじゃないでしょうか?」
「私もそう思います。ジェイマーさんから聞いたのですが、甲殻スパイダーのおかげで最近はテイマーたちの報酬も上がっているそうですよ」
「農場だか何だか、上手くいくといいわね。うっかり私のせいで甲殻スパイダーが絶滅でもしたら一大事だもの」
「まさか。そんなことあり得ませんわ」
メリンダは笑ったが、リズベットは真剣だった。
「メリンダが言う通り、お金になるんですもの。短い期間に乱獲すれば、そうならないとも限らないわ」
話しているうちに内城の出入り口付近に差し掛かると、リズベットは馬を止め、侍女たちに提案した。
「ずっと城の中ばかり回っているのも少し息が詰まるわ。ちょっとだけ、レトナの城の外に出てみない?」
メリンダが即座に反対した。
「いけません。準備なしに外出されるのは危険ですわ」
「遠くへは行かないわよ。城の周りを少し回るだけでいいじゃない」
少しわがままを言ってみると、エリが困ったような表情でメリンダに加勢した。
「もし奥様の御身に何かあれば、私たちは生きていられません」
慎重な性格のエリにまでそう言われては、どうしようもない。リズベットは名残惜しさを飲み込み、馬の頭を返した。




