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39. 道を問う

 翌朝、アルゼンの執務室には、興奮した様子の家臣たちが次々と押し寄せてきた。


「閣下! 奥様がこの度、素晴らしい織物を作られたと伺いましたが、一体どのようなものなのですか?」

「これまでにない、とんでもない品だとか!」


 アルゼンはデスクの上に置かれた「レトナ・シルク」の見本を指さした。

「噂が回るのが早いな。私も今朝受け取ったばかりだというのに」


「おお、これですか!」

 家臣たちはデスクを囲み、レトナ・シルクの見本を丹念に観察した。


昨夜リズベットが身にまとっていたパールホワイトの他に、黒、赤、黄金など、いくつかの色見本が並んでいる。


「この手触りは……一体何なのですか?」

「このようなものが存在したとは!」

「これの名は何というのですか?」


 感嘆の声を漏らす家臣たちに、アルゼンが答えた。

「リズベットは『レトナ・シルク』と名付けた」


「レトナ・シルク! 素晴らしい名前です!」

「閣下が今お召しのシャツ……もしや、それもレトナ・シルクではありませんか?」


 目ざとい一人の家臣が、アルゼンが着ているパールホワイトのシャツに気づいた。

「着心地はいかがですか?」


「ああ。軽くて柔らかく、非常にいい。着ているのを忘れるほどだ。それに……」


 アルゼンは言葉を切り、口元にかすかな笑みを浮かべた。シルクのスリップをまとっていたリズベットの姿が脳裏をよぎったのだ。


 雪で形作られたかのように冷ややかで気高く見えた姿とは裏腹に、腕の中に抱いた彼女はこの上なく温かく、柔らかかった。肌に触れるレトナ・シルクの清々しい滑らかさは、まるで彼女の肌そのもののようだった。


 その後も、織物に関する質問が次々と浴びせられた。

「染料も新しく開発されたようですが、何色ほど作られたのかご存じですか?」

「一体原料は何なのですか? 何を使えばこのような織物が作れるというのですか?」


「色はひとまずここにあるものが全てのようだ。甲殻(こうかく)スパイダーの糸を特殊な錬金液で加工して、糸を作るのだそうだ」


 アルゼンの説明を聞いた家臣たちは、会心の笑みを浮かべた。

「錬金液、ですか。それならば、その機密さえ守り抜けば完全に独占事業にできるということですね」


「甲殻スパイダーであれば、原料の確保もさほど難しくはないでしょう」

「閣下、これは間違いなく成功します!」

「すぐにでも生産施設を増築しましょう!」


 *** ***


 アルゼンの執務室がレトナ・シルクを巡って騒がしかったその頃、リズベットは重だるい体を引きずり、いつもより少し遅れて研究室へと向かっていた。


(一晩中いじめておいて、自分だけ平然と出ていくなんて。本当に元気なことね……)


 文句を言いつつも、リズベット自身も分かっていた。アルゼンとの時間が、単に嫌いではないというレベルではなく、心地よかったということを。


 ヴィーチェが言っていた通り、あるいはそれ以上に、アルゼンは頭の切れる男なのかもしれない。彼が怒らなかったのは、レトナ・シルクの潜在的な価値を見抜いたからだろう。


(商売人でもないのに、普通はあそこまで冷静になれないわよね)


 ふと、ある思いが頭をよぎる。

(いっそ、このままここで暮らしてもいいんじゃないかしら?)


 リズベットは足を止めた。 甘い悪魔のように、時折訪れる誘惑。確かに今の生活は安らかで、充実している。ここを去ってどこへ行ったとしても、今のような生活は望めないだろう。


「どうかなさいましたか、奥様?」

  エリが心配そうに尋ねてきた。


「何でもないわ。少し考え事をしていただけよ」

 再び歩き出したリズベットは、自分の指にある指輪に目を落とした。クラヴァンテ家の紋章である海龍が浮き彫りにされた、伯爵夫人の指輪。


 ゲームのシナリオ通りなら、この指輪の真の持ち主は自分ではない。この世界のどこかにいるはずの、この物語の真の主人公――ロジアーナ。あるいは、ロジアーナが他の男性と結ばれるなら、また別の誰かだろう。

 その当然の事実に、不思議と胸の奥がチクリと痛んだ。


 研究所に入ると、ヴィーチェ、ギスカール、シャロナが沈うつな面持ちで大きなテーブルを囲んでいた。虚脱感と静寂が漂う3人の魔導師の(かたわ)らで、シャイナだけがいつも通り活気ある様子だった。


 リズベットはシャイナを少し離れた場所へ呼び、小声で尋ねた。

「何かあったの?」


「各自で『美の錬金術』を読み解いた後、あんな風になっちゃったの」

「どうして?」


「何か重要な質問をしたみたいなんだけど、本に『そなたにはまだ資格がない』って文字が出たんだって」

「資格? それって何なの?」


 シャイナは肩をすくめた。

「『資格とは何か』って聞いたら、『汝自身を知れ』って返されたらしいよ」


 ギスカールやシャロナが何を知ろうとしたのかは分からないが、ヴィーチェの場合は、以前口にしていた「たった一つの質問」のことではないかと推測できた。


 リズベットは黙り込む3人を見やり、シャイナに聞いた。

「あなたは大丈夫だったの?」


「うん。私は知りたいページにちゃんと飛んでくれたよ」

「何を知りたかったの?」


「私に似合う鎧」

 そう言うと、シャイナは自分が見つけた魔法の鎧について、楽しそうに声を潜めて説明し始めた。軽鎧のように見えるが、魔法で強化されており、凄まじい耐久性と防御力を備えた美しく見事な鎧なのだという。


「ただ、手に入りにくい材料がいくつかあってね。すぐには無理だけど、いつかそれを探しに冒険に出なきゃいけなさそう」

 密やかに語るシャイナの瞳は、楽しい期待に輝いていた。


(『美の錬金術』というから、化粧品やファッションのことだけかと思っていたけれど、そうではないみたいね。そういえば医薬品の記述もあったわ)


 これまで漠然と推測していたよりも、ずっと広く深い内容がその中に記されているのかもしれないと、初めて感じた。


(私自身のことを聞けば、答えは見つかるかしら?)

 そう思うと、じっとしてはいられなかった。リズベットはシャイナとの会話を早々に切り上げ、特別閲覧室へと足を踏み入れた。


 閲覧台に置かれた『美の錬金術』の表紙に手を添えて開くと、最初のページがめくられた。青い衣をまとったメルカリアスの絵を見つめながら、リズベットは問うた。

「私は死ぬ運命なのですか?」


 メルカリアスの絵の上に、文字が再構成されて現れた。

【死すべき定めにある人間は、誰もが死ぬ】


 質問が間違っていたことに気づいたリズベットは、再び問い直した。

「私は近い将来、死ぬことになるのでしょうか?」


【未来は切り拓くもの。そなたの選択次第だ】

(私の選択? それはどういう意味? 残って死ぬか、逃げ出すかを選べということ?)


 しばらく躊躇(ちゅうちょ)した後、リズベットは喉元まで出かかっていた問いを、ようやく絞り出した。

「私が、ここで、……レトナでこれからも生きていっても、いいのでしょうか?」


【運命を(つむ)ぐ者よ、それはそなたが決めることだ】


 リズベットの目の前に、微かに光る無数の枝が伸びていくのが見えた。その中に、中心と呼べるような太い幹は見当たらない。それは、それぞれの枝からさらに別の枝が分かれていく、生い茂る茂みのようだった。


 あらかじめ決まった「正しいルート」など存在しない。無数の選択と、それに伴う無数の分岐。あるものは短く途絶え、あるものは分岐を繰り返しながら続いていく。


(進まなかったら、どうなるの?)

 一歩後ろに下がった瞬間、光の枝が一斉に消えた。再び一歩踏み出すと、枝に光が戻った。


 退くことは、死。あるいは死よりも過酷な運命。どちらにせよ、進まなければならない。その先に何が待っているか分からなくとも。


 特別閲覧室を出たリズベットは、どこか空虚な心地で、相変わらず考えに耽っている魔導師たちと同じテーブルに座った。


 リズベットにお茶を出しながら、シャイナが尋ねた。

「本から望む答えは見つかった?」

 3人の魔導師の視線がリズベットに注がれた。


 リズベットは首を振った。

「分からないわ。人生には正解がない、ということくらいかしら」


 何をどうすればいいのか、正解があるのなら知りたかった。もしかすると、本当に欲しかったのは「ここでずっと生きていてもいい」という、その言葉だったのかもしれない。


(それでも、希望はあるということよね? 私次第で、目の前には色んな道が開けているのだから……)


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