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38. サテンの夜

 それからさらに数日が経ち、モダリの仕立てた服がリズベットの手元に届いた。夕食後の入浴を済ませたリズベットは、はやる心を抑えきれずにその一着を身に(まと)った。


 それは、スリップタイプのナイトウェアとガウンだった。 肌に触れた瞬間、サテン特有の滑らかな感触が走り、リズベットは微かな戦慄(せんりつ)を覚えた。


(ああ、これよ、これなの!)

 軽やかでいて、どこかひんやりとした清涼感が優しく体を包み込む。鏡に映った自分を見ると、曲線に沿って流れるようなフィット感と、優雅なシルエットが目を引いた。


 その上に長いガウンを羽織ると、スリップとガウンの生地が重なり合い、光沢はいっそう深みを増した。光を反射する角度によって、「真珠の中の真珠」と呼びたくなるほど、霊妙(れいみょう)な輝きを放っている。


 ガウンの背中には、クラヴァンテ伯爵家の紋章が同色の糸で精巧(せいこう)刺繍(ししゅう)されており、さらなる高級感を()えていた。あまりに気品高く、美しい。このまま外へ飛び出したくなるほどだった。


(昔を思い出すわね……)

 師匠から独立し、ヘアメイクとして名を()せ、収入が増え始めた頃。ハルナが自分へのご褒美に、初めて思い切って贅沢をしたのがシルクのパジャマだった。


(あの時のパジャマも相当高かったけれど。これはそれよりも、ずっと高価でしょうね)


 リズベットは 侍女たちを振り返り、尋ねた。

「どうかしら?」


 侍女たちは口々に、驚きと感嘆の声を上げた。


「このようなお召し物は初めて拝見いたします!」

「まるで月光をまとっていらっしゃるようですわ」

「この感触、何と言い表せばいいのか……!」


 侍女たちの反応を満足げに聞きながら、リズベットはベッドの上に置かれたアルゼンのナイトウェアに目をやった。


 今回の『レトナ・シルク・プロジェクト』には、かなりの巨額が投じられている。

 魔導装置一つとっても、ヴィーチェの「大は小を兼ねる」という主張に押し切られ、魔動炉の時と同様にかなり大規模なものを作った。さらに、錬金液や染料の制作にも、高価な鉱石や魔法材料が惜しみなく使われている。


 それにもかかわらず、アルゼンはリズベットに対し、費用のことはおろか、何を作っているのかさえ一切問()(ただ)さなかった。


 ヴィーチェの話によれば、伯爵家の実務陣も『レトナの翼』の件以来、伯爵夫人のなさることならと、無条件の信頼と支援を寄せているという。


(後になれば、この価値がわかるでしょうけれど。最初はただの布切れを作るために、お金を湯水のように使ったと思われるかしら。

 何か言われたら、『この価値がわからないなら黙っていて』って、思い切り傲慢(ごうまん)に言い返してやるんだから)


「嫌われる勇気」を胸に刻み、リズベットは決戦(?)の意志を燃やした。


「アルゼンがこれを見たら、きっと驚くわよね?」

 ガウンを愛おしげに()でながら問うと、侍女たちは意味深な眼差しで深く頷いた。


 期待と緊張に胸を震わせながらアルゼンを待っていると、従者が彼の入室を告げる声が響いた。

 リズベットはスッと背筋を伸ばし、立ち上がった。 扉が開きアルゼンが入ってくると、侍女たちは礼をして素早く部屋を退室した。


 リズベットは緊張を隠し、努めて堂々とした態度で彼を見据えた。

「今度新しく作った織物ですわ。最初の作品ができたので、まずはナイトウェアと下着から作ってみました。『レトナ・シルク』と名付けたのです」


 アルゼンはいつもの淡々とした表情で、リズベットを見つめていた。


 その沈黙に気圧されそうになったリズベットは、慌ててベッドの上の服を指差した。

「あなたの分もそこにありますから、着てみてください。昼間に着るシャツも一緒に作りましたわ」


 アルゼンは無言でベッドの方へ歩み寄ると、パールホワイトのサテンガウンを手に取った。


「それはガウンですから、上に羽織るものです。まずはパジャマから着てくださいな」

 リズベットは彼の前に歩み寄り、パジャマを示した。


 すると、アルゼンはその場で躊躇(ためら)いもなく服を脱ぎ始めた。 あまりに(いさぎよ)いその動作に気恥ずかしくなったリズベットは、咄嗟(とっさ)に視線を()らした。


 服をすべて脱ぎ捨て、堂々と立つアルゼンの姿を盗み見て、彼女は唇を微かに()んだ。

(ああ、そうだわ。この人、寝る時は何も着ないタイプだった……。でも、せっかく作ったんだから、一度くらい(そで)を通してくれてもいいじゃない。

 それとも、やっぱり貴族様だから、自分の手では着ないってこと?)


 リズベットは仕方なく、彼の目の前まで行くと、パジャマのパンツを差し出し、ひらひらと振った。

「パンツは自分で穿()いてくださいね。それくらいはできるでしょう?」


 アルゼンはパンツを受け取ると、文句ひとつ言わずに脚を通した。続いて上着を着せてやる際、改めて彼の高い身長と広い肩幅を肌で感じ、胸が鳴った。

「ガウンも着てください」


 促されるまま、アルゼンは素直にガウンも羽織った。(えり)芯地(しんじ)を入れ、厚手の腰ベルトを配したサテンガウンは、重厚なシルエットを描いて彼の体に馴染(なじ)んだ。


(さあ、怒りなさいな。これを作るのにどれだけのお金が飛んでいったか、あなたなら私よりよく知っているはずでしょう?)

 内心で身構え、反論の準備を整えるリズベット。


 だがアルゼンは、不思議そうに腕を動かしたり、手で生地を()でたりしていた。

「……実に滑らかだな。原料は甲殻スパイダーの糸だと言ったか?」


 やはり、彼はリズベットが何をしていたかすべて把握していた。リズベットはとりあえず頷いた。

「ええ、そうです。それを特殊な錬金液に(ひた)し、魔導装置で処理して糸にするのですわ」


「驚いたな」

 そう(つぶや)くなり、アルゼンは今着たばかりのガウンとパジャマを、再び脱ぎ捨ててしまった。


(気に入らなかったの? それとも、やっぱり怒っている?)

 リズベットが再び身構えようとした、その刹那。 目の前に踏み込んできたアルゼンが、リズベットのガウンに手をかけた。シルクのガウンが滑り落ちるように、彼女の体を伝って床へと(こぼ)れ落ちる。


 アルゼンは片手で彼女の腰を抱き寄せ、自身の体に密着させると、もう一方の手で彼女の背から腰の曲線へと、ゆっくりと愛撫(あいぶ)するように()で下ろした。


「……このほうが、ずっと心地いい」

 アルゼンの低く(かす)れた声が、耳元で響いた。


 背筋を(つた)う滑らかな感触が、シルクのせいなのか、それとも彼の掌のせいなのか、判別がつかなくなる。電流が走るような刺激に、リズベットの体は微かに震えた。


 アルゼンが首を傾け、彼女の肩口に唇を寄せると、そこを優しく、確かめるように噛んだ。


「あっ……」

 リズベットが小さく声を漏らすと、彼女を抱く腕にさらに力がこもる。


(こんなはずじゃ、なかったのに……)

 当惑しながらも、リズベットの意識もまた、(あらが)いがたい熱の中に飲み込まれていった。


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