31. 可愛い生き物
翌朝、早い時間にヴィーチェがリズベットの部屋を訪ねてきた。医者として彼女の状態を細かく診察したヴィーチェは、診断を下した。
「リズベットが思っていた通り、水あたりのようだね。薬を処方しておくから、それを飲んで二日ほどは何もせず、ゆっくり休むんだ。
見たところ、環境の変化だけでなく疲労も溜まっているみたいだよ」
「疲労? 特に無理をした覚えはないけれど……」
「これまでの緊張が続いていたせいだろうね」
ヴィーチェはリズベットの隣のスペースをちらりと見て尋ねた。
「アルゼンは? 一緒にいたんじゃないのかい?」
「何でも口にしたって怒られて……昨夜、自分の部屋に戻りました。今日から外に出て、数日は戻らないそうです」
ヴィーチェは一瞬、考え込むような表情を見せたが、すぐに明るく言った。
「腹痛はすぐに良くなるよ。後でまた寄るから、この二日間は余計なことは考えず、眠って休むことだ」
部屋を出る間際、ふと思い出したようにヴィーチェが振り返った。
「ああ、そうだ。リズベット、可愛いものは好きかな?」
「可愛いもの? ええ、大好きです」
「ふふっ、それは良かった。明後日、研究所に来たら『可愛い生き物』を見せてあげるよ」
「可愛い生き物、ですか?」
「うん、可愛い生き物だ。楽しみにしておいで」
リズベットに手を振って部屋を出たヴィーチェは、扉をちらりと振り返って独り言を漏らした。
「……夜明け前から人を寄こして驚かせておいて、本人はそばにいないのか? すっかり大人になったと思っていたが、まだまだガキだな」
*** ***
ヴィーチェの言葉通り二日間しっかり休んだ朝。リズベットは例の「可愛い生き物」への好奇心から、足早に研究所へと向かった。
(ワンちゃん? 猫ちゃん? それとも綺麗な鳥かしら。……まさかヘビとかトカゲじゃないわよね?)
ヴィーチェに尋ねてもうまくはぐらかされてしまい、気になって仕方がなかったのだ。
(できれば犬や猫みたいに、モフモフして癒やされる子だといいな)
前世では実家で犬を飼っていたこともあり、自分でもペットを飼うのが夢だった。しかし、仕事が忙しく家を空ける時間が長かったため、責任を持って世話をする自信がなく、踏み切れずにいたのだ。
期待を胸に研究所に入ったリズベットだったが、ヴィーチェの手には何も握られておらず、辺りを見回して「可愛い生き物」を探した。だが、どこにも犬や猫の姿はない。
すると、何とも言えない表情で立っていたヴィーチェが、一人の少女を紹介した。
「ギスカールの長孫、シャイナだよ。シャロナの長女だね」
「初めまして。シャイナと申します」
少女がぺこりと頭を下げた。
「シャロナさんの娘さん……たしか、冒険者をしているとお聞きしたような?」
リズベットは首をかしげた。冒険者にしては、あまりにも幼く華奢に見えたからだ。
(……でも、メイクと服装がちょっと……)
リズベットの目には、シャイナの幼い顔立ちに似合わない濃すぎるメイクと、背伸びをした大人びた服装がひどく「ちぐはぐ」に映った。子供が無理をして大人の真似をしているようにしか見えない。
(年齢に合わせたスタイルにすれば、もっとずっと可愛くなるのに)
シャイナは小柄だが、プロポーションが良く、大きな瞳にすっと通った鼻筋、小さく形の良い唇を持った整った顔立ちをしていた。
ヴィーチェは苦々しい表情でシャイナを見ると、深い溜息をついた。
「悪いね、リズベット。可愛い生き物を紹介するつもりだったのに、こんな有様になっていて」
「え? じゃあ、『可愛い生き物』っていうのは……」
「このガキのことさ。黙っていれば可愛いのに、わざわざ自分の顔を台無しにして。おまけにメイクも下手くそなくせに、人の言うことは聞かないし」
愚痴をこぼすヴィーチェに、シャイナがむっとして抗議した。
「ガキだなんて! 私だって、もう20歳ですよ!」
聞いていたリズベットは、驚きを顔に出さないよう必死に平静を装い、視線を逸らした。20歳といえば、自分と同じ年齢ではないか。
「似合ってもいない化粧をして、変な服を着るからだろうが」
「皆に子供扱いされるのが嫌なんだから、仕方ないでしょ! これも全部、ヴィーチェばあさんの呪いのせいなんだからっ!」
「『婆さん』だと? そう呼ぶなと言っただろう?」
ヴィーチェはシャイナの片頬をぐいと引っ張った。
「それに呪いとは何だ。あれはあくまで医学的知識に基づいた予測だと言っただろう!」
頬を抓られたまま、シャイナも負けじと食ってかかる。
「昔、婆さんが指差したところまでしか成長しなかったじゃない! それを呪いと言わず何て言うのよ!」
「また婆さんと言ったな。ヴィーチェさんと呼べ。
……大体、お前が伸びなかったのは私のせいじゃない。生まれつき小さいだけだろう?」
ヴィーチェは、今度はシャイナの両頬を伸ばしながら、意地悪くからかった。
見かねた母のシャロナが二人をたしなめる。
「二人とも、いい加減になさい! 奥様の前で何をしているの?」
ようやくヴィーチェが手を放すと、シャイナはふんすふんすと鼻を鳴らしてヴィーチェを睨みつけた。
ヴィーチェは手をポンポンと払うと、シャイナが背中に背負っている大剣を指して説明した。
「これでも大剣使いの戦士なんだ。爆裂魔法の腕も一流でね。いわゆる魔剣士というやつさ」
柄が長く刃の厚い大剣は、彼女の身長よりも大きく、斜めに背負った状態でも地面につきそうだった。
剣と魔法を同時に操る魔剣士という言葉に、リズベットはシャイナを見直した。彼女の知る限り、魔剣士は非常に稀有な存在だ。
「冒険者は引退させて、こっちに呼び寄せたんだ。家門の研究を継がせなきゃならないからね。魔導師としても筋がいいから、教えがいがあると思うよ」
「教えるだなんて。私はただ文字を伝えているだけですから」
すると、シャイナが真面目な顔をして言った。
「何をおっしゃるのですか。奥様は魔導文明の神聖文字を導かれる、神秘の伝承者だと伺っております。これからよろしくお願いいたします」
リズベットはシャイナの過大評価に気恥ずかしくなり、内心でため息をついた。
(実際には、生き残るのには何の役にも立たない能力なんだけど。何が良いのかしら……)
ヴィーチェがシャイナに指示を出した。
「大剣はここに置いておきなよ。この中でそんな重いものを持ち歩く必要はないだろう?」
「わかったわ」
シャイナは背負っていた大剣を片手でひょいと持ち上げ、大きなテーブルの上に置いた。
(片手で……。見かけより軽いのかな?)
その様子を驚いて見つめるリズベットに気づき、ヴィーチェがニヤリと笑って大剣を指差した。
「一度、持ってみるかい?」
好奇心に駆られたリズベットは、大剣の柄を両手で握って持ち上げようとした。
(お、重い……っ!)
それはまるで巨大な鉄の塊のようで、微動だにする気配すらない。ヴィーチェが説明を補う。
「こいつが軽々と扱っているから、中が空洞の見かけ倒しだと思われがちだが、見ての通り正真正銘の本物さ。まともに受ければ大抵の武器は粉々になるだろうね」
リズベットはふうふうと息を整えながら、大剣から手を離して尋ねた。
「これほど重いものを、どうやって扱っているんですか?」
「シャイナには『力の加護』があるんだよ。父親側の家系にたまに現れるそうでね。この大剣も家に伝わるものなんだ」
「凄いですね……」
リズベットは内心で羨ましく思いながらシャイナを見た。
(どうせチート能力をくれるなら、ああいうのが良かったわ。こんな軟弱な体に、本を読むだけの才能だなんて)
*** ***
シャイナに『美の錬金術』を読み解く資格があるか試験し、問題ないことを確認した後、リズベットはヴィーチェ、ギスカール、そしてシャロナ・シャイナ親子に神聖文字を教え始めた。
4人の習得速度は驚異的だった。先に学び始めた3人は間もなくマスターする勢いであり、シャイナもそう時間はかからないだろう。
講義が終わった後、リズベットはシャイナを個別に誘った。応接室で二人きりになると、リズベットは勇気を出して切り出した。
「もし失礼でなければ……私の友達になっていただけませんか? ここに来てからまだ友人と呼べる方がいなくて、少し寂しかったんです」
意外な言葉だったのか、シャイナの大きな瞳がさらに見開かれた。
「私が……奥様の、お友達、ですか? とんでもございません」
リズベットは切実に訴えた。
「シャイナさんのどこがとんでもないのですか? おじい様もお母様も素晴らしい魔導師で、シャイナさん自身も立派な冒険者ではありませんか。
シャイナさんが私を友人として受け入れてくれたら、本当に嬉しいです」
「でも、そんな……」
困った様子で言葉を濁すシャイナを見て、リズベットは寂しげに目を伏せた。
「やはり、私のような温室の花みたいな人間では、シャイナさんの目には適わないのかしら」
シャイナは慌てて首を振った。
「そんな! むしろ私のほうが、奥様に見合う人間ではないだけで……」
そして決心したように深呼吸をすると、こう言った。
「いいですよ。私たち、友達になりましょう。ただ、もし私が失礼なことを言ったりしたりしたら、その都度教えてくださいね」
「それはお互い様よ。これからは、名前で呼んでくれたら嬉しいわ」
シャイナの可愛らしい唇がためらいがちに動いた後、恥ずかしそうにリズベットの名前を呼んだ。
「……うん。リズベット」
その姿があまりにも愛らしく、リズベットの口元には自然と笑みがこぼれた。
「よろしくね、シャイナ」
真っ直ぐでさっぱりとした性格のシャイナに好感を抱くと同時に、彼女から学びたいことも多かった。
シャイナはつい先日まで冒険者だったのだから、外の世界に詳しく、生活力も高いはずだ。もしかしたら彼女を通じて、信頼できる人物を紹介してもらえるかもしれない。
リズベットの中には、そんな期待も芽生えていた。




