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21. アメリア叔母様

 リズベットに馬が与えられた。先日、乗馬を習いたいとアルゼンに話した際、彼は「分かった」と答えたものの、すぐには馬を用意せず乗馬の練習だけをさせていた。そして今日、ついに馬が届いたのだ。


 自分の馬を目の当たりにしたリズベットは、少なからず狼狽(ろうばい)した。たてがみはもちろん、体全体が真っ白な白馬で、ほのかに銀色の光沢を帯びた滑らかな毛並み、そして優雅で鋭敏(えいびん)な顔立ちをした、この上なく美しい馬だった。馬に詳しくないリズベットの目にも、とてつもない名馬であることは一目で分かった。


「なんて、なんて素敵な馬……!」

「奥様にとてもよくお似合いですわ!」


 侍女たちが感嘆の声を上げる中、リズベットは困惑した面持ちで馬を見つめた。

(ものすごく高そう。車に例えるなら、スーパーカー並みじゃないかしら?)


 嬉しいというよりも、負担に感じてしまった。他の物……例えば宝石やドレスなら、ここを出ていく時に置いていけば済む話だが、馬は違う。逃げ出す時には、どうしても乗って行かざるを得ないからだ。


(私が問題なんじゃなくて、この馬を取り戻すために追手を差し向けてくるんじゃないかな)


 クラヴァンテ伯爵家は質実(しつじつ)剛健(ごうけん)な家風だと聞いていたが、この男はどうしてこれほどまで羽振(はぶ)りがいいのだろうか。見かけによらず体面に執着しているのか、あるいは巨額の投資をしすぎて金銭感覚が麻痺しているのではないか……そんなとりとめのない考えが頭をよぎった。


 乗馬教官のヴァレリーに導かれるまま馬に近づき、そっと触れてみた。

「幸い、奥様によくなついているようです。一度乗ってみましょうか」


 ヴァレリーが手を差し出した。これまでの練習のおかげで、馬に乗ることにはある程度慣れている。リズベットはヴァレリーの手を借りて、馬の背に跨った。


 ヴァレリーが手綱を引き、ゆっくりと乗馬場を回る。コツコツと蹄の音を響かせて歩き出した白馬の姿に、あちこちから感嘆の声が漏れた。動作の一つひとつが節度にあふれ、優雅だった。


「乗り心地はいかがですか、奥様?」

 ヴァレリーが尋ねた。


「足取りが落ち着いていて、安定感がありますね」

「そうでしょう? 美しいだけでなく、訓練も行き届いた名馬です。伯爵がそれはもう細かく注文をつけられるもので、この子を探し出すのには相当苦労したと聞いております」


(そこらへんにいる適当な馬を一頭くれればよかったのに、わざわざ高いものを買い与えるなんて……)

 心底気に入った馬ではあるが、やはり気が重い。


「この子の名前は?」

「『パール』と申します。奥様が新しく名付けられても構いませんよ」


「似合う名前ですね。そのままパールと呼ぶことにします」


 しばらく乗馬の練習をしていると、そこにヴィーチェが現れた。

「おや、見事な馬だね」


「今日は忙しいとおっしゃっていたのに、どうしたのですか?」

「ああ、アルゼンが『リズベットを助けてやってくれ』と人を寄越したから、来たのさ」


「私を助ける? 一体何をですか?」

 リズベットは(いぶか)しみながら馬から降りた。


「ドルフン伯爵夫人が君に会いに来ているんだよ」

「ドルフン伯爵夫人?」


「アメリアのことさ」

 アメリア。かつて祖母カトレンと共に、アルゼンの母トリシを執拗にいびり抜いたというアルゼンの伯母だった。


「アルゼンではなく、私に会いにいらしたのですか?」

「そのようだよ」


 アメリアの名が出た瞬間、ジルマの表情が硬くなった。


 ヴィーチェがジルマに問いかける。

「ジルマはトリシに仕えていたんだから、アメリアのこともよく知っているだろう?」


「……ええ、よく存じております」

 感情を押し殺した、抑揚のない声がジルマの心境を物語っていた。


 今までの噂を聞いていただけに、リズベットは少なからず緊張しながら応接室へと向かった。


 アメリアは、典型的な貴族夫人の姿をしていた。華やかなドレスと宝石で着飾った彼女は、ソファに深く背を預けて傲慢(ごうまん)な態度で座っていたが、ヴィーチェの姿を見るなり驚いた顔をして、中腰で立ち上がった。


「お久しぶりですね」

 ヴィーチェは屈託なく挨拶し、リズベットの隣に座った。


「……ええ。お久しぶりですわ」

 ぎこちなく挨拶を返したアメリアは、唇をひくつかせながら、さりげなく言った。

「私はクラヴァンテ伯爵夫人に会いに来たのですが」


「分かっていますよ。私はドルフン伯爵夫人に会いに来たのです」

 ヴィーチェは食えない笑みを浮かべて切り返した。


 アメリアは仕方ないと思ったのか、おどおどとした視線をリズベットに向けた。

「元気そうね。結婚式の時に見た時は、今にも死にそうな顔をしていたけれど」


「おかげさまで、つつがなく過ごしております」


 アメリアは露骨な視線でリズベットを頭の先からつま先まで舐めるように見た。優雅に整えられた髪と薄化粧の清楚な顔立ち、そして小ぶりな耳飾りと首飾りだけを身につけている。


(伯爵家の宝石だけをつけているところを見ると、やはり実家から持ってきた宝石類は一つもないようね)


 内心でほくそ笑んだアメリアは、本題を切り出した。


「最近、クラヴァンテ伯爵家について妙な噂が流れているから、どういうことか見に来たのよ。

 新婚の伯爵が妻に溺れるあまり、分別のないほど莫大な家産を浪費しているって。このままじゃ伯爵家が破産するんじゃないかって、みんな噂しているわ。  

 来る時も見たけれど、人を大勢集めて城の中に何か作っていると大騒ぎじゃない。一体何を仕出かしているから、そんな話が出るのかしら?」


「申し訳ございません。まだ進行中の事柄ですので、私の口から軽々しく申し上げるわけには参りません」

 リズベットは、道すがらヴィーチェに聞いた通りに応対した。


 もちろん、その程度の答えでアメリアが引き下がるはずもなかった。

「結婚してまだあまり経ってもいないのに……。(とつ)ぐ時に持参金をたっぷり持ってきたのかしら?

 まさか、恐れ多くもすべて夫の金で事を起こしているわけではないわよね?」


 悪役令嬢……もとい悪役夫人らしく、じつにストレートだ。性格的には言い返してやりたいところだが、完全に間違った話でもないし、自分にも弱みがあるため反論もままならなかった。


 その時、ヴィーチェがリズベットの方に身を寄せながら、言葉を返した。


「持参金? 何を()()(ごと)を。クラヴァンテ伯爵夫人はね、王国をまるごと一つ捧げてでもお迎えすべきお方なんだよ。  

 クラヴァンテ伯爵家がどれほど割のいい取引をしたのかは、大伯爵とアルゼンが誰よりもよく分かっている。

 信じられないなら、お父様のところへ行って直接聞いてくるといい」


「……それはどういう意味ですの?」

 アメリアが何か反論しようとしたが、ヴィーチェがさらに追い打ちをかけた。


「それにあなた、もうクラヴァンテの人間じゃないでしょう?」


 アメリアの表情が凍りついた。彼女は当惑を隠せない様子で口ごもり、ようやく言葉を絞り出した。

「クラヴァンテの血を引く立場として……」


 その言葉を待っていたかのように、ヴィーチェの口角が()り上がった。

「それならなおさらだね。今、クラヴァンテ伯爵家の女主人としてこの場にいらっしゃるのは、こちらの伯爵夫人だ。私の言葉に間違いはあるかな?」


 アメリアの顔が真っ赤に染まった。怒りに震えていた彼女は、唇を噛み締めると、そのまま部屋を飛び出してしまった。


 面白そうにその背中を見送っていたヴィーチェは、侍女たちを振り返り、意気揚々と尋ねた。

「どうだい? 上手くやっただろう?」


 メリンダとエリは音を立てずに拍手を送り、ジルマは親指をグッと立てて見せた。


        ***    ***


 激昂(げっこう)してその場を去ったアメリアは、別邸にいる父ルヴェインを訪ねた。

 ルヴェインは、ヴィーチェに侮辱されたと興奮してまくしたてる娘を、黙って見つめていた。


「ヴィーチェ、あの女は一体何様のつもりなの? せいぜい少し長く生きているだけの、しがない魔法使いのくせに」


 ルヴェインが静かに言葉を(さえぎ)った。

「その『しがない魔導士』がいなければ、今お前の立場がどうなっていたと思う?

 あの時トリシがそのまま死んででもいたら、お前は死ぬまでギセンとアルゼンに許されることはなかっただろう」


 これにはアメリアも言葉を失った。


 ルヴェインの言葉は続いた。

「ヴィーチェの言葉に間違いは一つもない。リズベットはクラヴァンテ伯爵家の女主人だ。家門の伝統通り、子供を出産した後はアンサリングもすべてあの子に譲るつもりだから、そのつもりでいなさい」


 アメリアが逆上して叫んだ。

「お父様! 外で人々が今、何と囁き合っているかご存知なのですか?

 アルゼンが女に狂って家を潰そうとしていると言われていますのよ! リズベットというあの女が、邪悪な術で惑わしているのだと!」


 ルヴェインは平然とした反応だった。

「好き勝手にほざかせておけ。どうせ後になれば、すべて知ることになるのだからな」


「ですから、それは一体何なのですか!?」


 ルヴェインの表情が厳かになった。

「お前が知るべきことではない。それを知る立場にもないし、ヴィーチェの言う通り、お前はもうクラヴァンテの人間ではないのだからな」


「お父様……っ」

 アメリアの顔が青ざめ、唇が細かく震えた。それでもルヴェインは態度を和らげることはなかった。


「お前ももう孫がいる身だ、気を静めて賢明に振る舞いなさい。私がいつまでも生きているわけではないのだ。  

 リズベットは情けのある子だ。お前が折れて出れば、包容してくれるだろう」


 結局、何の収穫もなく別邸を出たアメリアは、家へ帰る馬車の中でぶるぶると震えながら鬱憤を噛み締めた。


「魔女だわ。魔女に違いないわ。自分の夫はともかく、お父様まで手なずけてしまうなんて。純真な顔をして、裏では絶対に何か邪悪な術を使っているのよ!」


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