19. 初めての市場
説明会が終わった翌日から、事態は急速に動き出した。図書館にある一般書籍は別の場所へと移され、そこは「魔法研究所」へと姿を変えた。
また、魔動炉や各種製作設備を設置するスペースを確保するため、内城にある訓練場横の騎士宿舎を空け、建物の改築が始まった。同時にその隣では、新しい建物二棟の建設も進められた。昼夜を問わず多くの人々が行き交い、休むことなく作業が進められていく。
ヴィーチェとギスカール、そしてシャロナも多忙を極めた。伯爵家の宝物庫から魔石をはじめとする必要資源を選別するほか、魔動炉やその他の設備を製作するための材料集めに奔走していた。
相対的に暇になったリズベットは、自分に必要な準備を本格的に開始した。
(芸は身を助けるって言うし。ここを出た後に食べていくなら、やっぱり前職のスキルを活かすのが一番よね?)
そう考えたリズベットは、伯爵家のお抱え魔導具製作者や職人たちを呼び寄せた。そして詳細なスケッチと説明を添えて、いくつかの道具を注文したのだ。
「まあ……。奥様、髪が……っ」
メリンダが口を開けたまま、何度も感嘆の声を漏らした。
数種類の櫛やブラシ、ドライヤーにストレートアイロン、カールアイロンが完成し、それらを使ってリズベット本人がちょうど髪を整えたところだった。
見事にうねる優美な毛先を指先で弄びながら、リズベットは満足げな顔で鏡に映る自分を見つめた。
(ふふっ、誰の腕だと思ってるの? 驚くのも無理ないわ)
「本当の魔法みたいです。その道具が、そんな魔法を起こすのですか?」
メリンダはしきりに感心しながらカールアイロンを覗き込んだ。小さな魔石が埋め込まれたそのアイロンには、魔力を注入して金属板を熱した後、一定の温度を維持する機能が備わっている。
「そうじゃないわ。これはただの道具よ。やり方を覚えれば、メリンダもこうできるようになるわよ」
「本当ですか!? ぜひ教わりたいです!」
メリンダはパッと顔を輝かせて手を叩いたが、すぐにハッとして手を下げ、申し訳なさそうに謝った。
「失礼いたしました。出過ぎた真似を……」
「いいのよ、教えてあげるわ。髪もメイクも、人にやってもらった方がより綺麗に仕上がるものだから」
「ありがとうございます!」
ぺこりと頭を下げるメリンダの傍らで、エリが控えめに尋ねた。
「奥様、私も……メリンダと一緒に教わることはできないでしょうか?」
「ええ。一緒に学びなさいな」
すると、滅多にそんな素振りを見せないジルマまでが、そっと会話に加わった。
「差し支えなければ、私もお教え願いたいのですが」
リズベットは快く承諾した。
「そうしましょう。ええと、三人分となると一つじゃ足りないわね。それぞれに一つずつ作ってもらうよう頼まなくちゃ」
「私たちの分まで!? 本当にありがとうございます!」
侍女たちは目に見えて喜んだ。
「これさえしっかり身につけておけば、どこへ行っても食いっぱぐれることはないわよ」
これは単なる自慢ではなかった。リズベット……いや、ハルナにはそれだけの自信と自負があった。
鏡に映る自分の顔をじっくり観察していたリズベットは、ふと眉間にシワを寄せた。
(やっぱり化粧品が気に入らないわ。早くファンデーションとポイントメイク用品を作らなきゃ。
それと照明も。キャンドルの黄色い火じゃ色が歪んで見えるもの。太陽光に近い光を放つ魔導具はないかしら)
そんなことを考えていたが、後ろで待機している侍女たちに気づき、彼女は鏡から視線を外して振り返った。
「さて、市場へ行ってみましょう」
リズベットはメリンダとエリを連れて、市場の見学に出かけた。先日、何も考えずに出かけた際、大商会の人々から盛大な歓迎を受けてしまったため、今日は一般人のように平凡な身なりで出かけるつもりだった。
3人の後ろには、2人の騎士が付き添っている。こればかりはジルマが絶対に譲らなかったため、仕方のないことだった。侍女たちには「レトナについて知りたいから」と言い訳をしたが、真の目的は、離婚されるにせよ逃げ出すにせよ、ここを去った後の外での暮らしを把握しておくためだった。
大きな貿易港らしく、レトナの市場は規模が大きく活気に溢れていた。潮の香りが色濃く漂う鮮魚市場には、その日に獲れたばかりの新鮮な魚介類が並び、その隣には乾物街が続いていた。
雑貨店が立ち並ぶエリアに入ったリズベットは、その中でも一際大きな店に入ってみた。香辛料や高級食材をはじめ、主に食料品を扱う店だった。
店内を見渡していると、陳列棚にある色とりどりのドロップが目に留まった。赤、黄、緑、青、オレンジ……透き通った大粒のキャンディは、まるで宝石の粒のように美しかった。
「海を越えた遥か南の国の特産品ですよ。それぞれ異なる果物で作られておりまして、味も香りも一粒ずつ違うのです」
店員の説明を聞いたリズベットは、五色のキャンディが入った袋を6つ買い、侍女たちと騎士たちに一つずつ手渡した。
「私たちにまでこのようなものを……ありがとうございます!」
皆、嬉しそうに袋を受け取った。
「これはジルマの分。メリンダが持っておいて、戻ったら渡してちょうだい」
「はい!」
リズベットは黄色いキャンディを口に含んだ。レモンのような甘酸っぱい味と香りが口いっぱいに広がる。一般的な飴とは格が違う、上品な甘みだった。
「んー、美味しい!」
「本当ですね」
メリンダとエリもキャンディを口に含んで頬張っている。しかし、2人の騎士は食べようとしなかった。
「もしかして、甘いものは苦手?」
リズベットが不思議そうに尋ねると、騎士たちは照れくさそうに笑った。
「いえ、家に子供がおりますので」
若い騎士のバートに続き、女騎士のコレットが答えた。
「私は弟が……」
リズベットは店員に声をかけ、同じものをさらに6袋追加で購入した。そして全員にもう一袋ずつ配り、騎士たちには自分の分のキャンディを一粒ずつ差し出した。
「それはご家族に。これは今、ここで一緒に食べましょう。みんなで食べたほうが美味しいじゃない?」
騎士たちの顔に、子供のような明るい笑みがこぼれた。
「いただきます!」
皆でキャンディを転がしながら、リズベットは上機嫌で店を後にした。
(やっぱり甘いものは人を幸せにするわね)
雑貨街の次は布地店や仕立て屋街まで見物しているうちに、正午を過ぎた。メリンダが事前に調べておいたレストランへとリズベットを案内した。
一目で高級だとわかるレストランだった。リズベットは侍女たちを自分と同じテーブルに座らせ、騎士たちも近くの席に座るよう促した。
「このようなことは……」
エリが困ったような表情で口ごもった。
「今はいいのよ。お忍びなんだから。この方が目立たないでしょう?」
エリをなだめたリズベットは、この店で一番美味しいというヒラメ料理とワインを人数分注文した。
バートとコレットが驚いて辞退しようとする。
「私たちにまで、そのようなお気遣いは……」
「いいのよ。この店自慢の料理だって言うんだから、みんなで楽しみましょう」
自分の金ではなく他人の金で恩を売っているようで、少し後ろめたい気もしたが、どうせもらったお小遣いだ。こういう時に使おうと心に決めていた。
(食べ物で差別されるのが一番悲しいもの。身分制社会だから城の中では仕方ないけれど、こういう時は一緒に食べなきゃね)
ファッションデザインを専攻し、デザイナーとしての実務を経て、遅まきながらヘアメイクの世界に飛び込んだハルナ。そのセンスと実力を認められ、有名な先生のもとでアシスタントとして修行を積んだ。
師匠には認められていたが、それゆえに先輩たちの嫉妬や牽制は凄まじいものだった。重要な注意事項をわざと伝えず困らせたり、自分たちだけで食事に行ったり、面倒な雑用を押し付けられるのは日常茶飯事だった。そんな経験から、ハルナはいじめや仲間外れといった行為を極端に嫌っていた。
実は、これにはもう一つの狙いもあった。 これからも度々こうして外出するつもりなので、侍女や騎士たちに、リズベットの随行を「面倒な仕事」ではなく「楽しいお出かけ」だと思ってほしかったのだ。
効果は抜群だった。美味しい料理は、その場の全員を楽しく、幸せな気分にさせた。




