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23. 終幕の予兆

 建物を後にしたジェルニエが、真昼の日差しの下へと足を踏み出した、まさにその時だった。


「やれやれ、何とも見ていられん情けなさだな」


 建物の陰から、キシャルが飄々(ひょうひょう)とした足取りで歩み出てきた。瞳と髪の色は先ほどと同じであったが、肌の色は健康的な褐色へと変化していた。


「何をしている?」


 ジェルニエが驚いて問いかけると、キシャルはニヤリと笑った。


「ふふっ。今回はこの地の暮らしをゆるりと楽しんでみようと思うてな。貴様という人間が存外面白そうに見えたのだ。これまで我をあのような形で拒み、このようにぞんざいに扱う人間など貴様が初めてだからな」


「妙に(かん)に障る口調だな」


 冷ややかに睨みつけるジェルニエに対し、キシャルは目を細めた。


「今もそうではないか。貴様はまだこの我の真価を分かっておらぬようだが、遠からず我がどれほど偉大な存在であるかを思い知るであろう」


「そんな日は来ない」


 そっけなく返したジェルニエは、地面にくっきりと伸びるキシャルの影と、その足元に踏みしめられた草の葉を見やり、仕方がないとばかりに短く溜息をついた。


「いいだろう。ただし条件がある。人間の作法に従い、人間らしく振る舞え。そうするならば、私の客分として滞在させてやろう」


「造作もない。ベルケススの時代にも、しばしばそうして練り歩いたものだ」


「まず、その『貴様』という物言いをやめろ。人前ではせめて『お前』か私の名前で呼ぶんだな」


「ちっ、細かい奴め。……分かった、お前で妥協してやろう」


「それから、上に何か羽織ったらどうだ? この地において、そうやって上半身を(さら)して歩くのは肉体労働や鍛錬の時くらいのものだ」


「このまま歩いて何が悪いというのだ?」


「私の荷物持ち扱いされたいというのなら、好きにするがいい」


 その言葉を聞くや否や、キシャルは憤慨した。

「荷物持ちだと!? そのような屈辱、断じて受け入れられん!」


 瞬く間に袖のない白いシャツ姿へと変わったキシャルを一瞥し、ジェルニエは再び歩みを進めた。キシャルはジェルニエの隣にぴったりと寄り添いながら口を開いた。


「先ほどの御方……リズベット様と申したか? 惚れておるのであろう? なぜ告白しようとして途中でやめたのだ?」


「あの方には夫がいる」


「そうなのか? あの御方の記憶には立ち入ることが叶わんゆえ、知らんかったわ」


 耳のあたりをぽりぽりと掻いたキシャルは、不思議そうに首を傾げた。


「だが、それが何だというのだ? 真に好いて焦がれておるのなら、奪い取ってしまえばよかろうに」


 ジェルニエは足を止め、キシャルを射抜くように睨み据えた。


「二度とそのような言葉を口にしたら、契約は即座に破棄だ。適当な本か絵画に貴様を押し込み、誰にも見つけられぬよう封印してやる」


 そう言い捨てて大股で歩み去るジェルニエの背中を、キシャルは不満げに見つめながら愚痴をこぼした。


「何だというのだ。せっかく気を利かせて味方をしてやったというのに、あの物言いは……。

 くそっ、無性に(しゃく)に障るというのに、なぜか嫌悪しきれんとは。見ておれ、必ずや我を認めさせてみせるぞ」


 そう呟きながら、小走りでジェルニエの後に続いた。


「おい、どこへ一人で行くのだ? ここを案内してくれぬのか!」


         ***       ***


 部屋へ戻ったリズベットは、先ほど起きた出来事を一つひとつ反芻(はんすう)していた。


 異世界へ転移したことで得たチート能力だと思っていた数々の能力が、リズベット本人のものであったかもしれないという事実から、リズベットの母親、ジェルニエ、そしてキシャルに至るまで――。


 一度に押し寄せてきた膨大な情報に、頭の中は混濁していた。これまでは、異世界からやってきた己の魂が、突然リズベットの肉体の中に入り込んだのだとばかり思い込んでいた。


 しかし、もしかすると最初から自分こそがリズベットであり、望まぬ結婚を控えた絶望的な極限状況の中で、「ハルナ」としての記憶と人格が呼び覚まされただけなのではないかという思いが脳裏をよぎった。


(リズベットの記憶が無意識の奥底へ沈んでしまっていたのは、彼女の味わった苦痛と絶望があまりにも大きすぎたからなのかしら……?)


 何を以てしても断定はできなかった。


 ジェルニエのトラウマも、キシャルとの邂逅も、すべて原作ゲームでは知り得なかった事柄ばかりだ。


 しかし、ただ一つ確かなことは、キシャルの語った「最終決戦」がゲーム内に存在するイベントであるという点だった。世界を破滅へと追いやる元凶である「魔王」との決戦こそが、ゲーム終盤の最大のクライマックスだった。


 メインヒーローである第1王子ルートはもちろん、ジェルニエやラカスにおいても、ロジアーナが誰と共に戦いに臨むかという差異があるだけで、魔王の出現そのものは共通していた。


(アルゼンのほうはプレイしたことがなかったけれど、最終決戦のカットシーンではいつも鎧を纏った姿で登場していたわね)


 アルゼンの気質を考えても、魔王の出現という未曾有の事態を前にして手をこまねいて見ているはずがない。


 これが現実に起きる出来事なのだとすれば、誰かに伝えるべきなのか、それとも胸に秘めておくべきなのか、判断がつかなかった。その上、ゲームの仕様上、銀婚式から正確にどれほどの年月を経て発生する事件なのかが定かでないことも頭を悩ませた。


 もつれた糸のように、様々な思考が優先順位もつかぬまま目まぐるしく交錯した。


「うう……このままじゃ駄目ね。まずは目の前のことから考えなきゃ」


 そう心を定め、リズベットは再び思考を整理した。


(まずは目前の問題に集中しましょう。ゲームの幕開けは国王夫妻の銀婚式であり、魔王の出現はどうあれそれからずっと後の話なのだから、まだ時間はあるわ)


 ふと、キシャルの空間から抜け出す直前にジェルニエが自分を強く抱きしめてきたことを思い出し、頬がカッと熱くなった。


(あれは一体何だったのかしら? まさか……そんなはずないわよね。ただの感謝の印よ)


 心のどこかで、それが愛の告白にも似た想いであると直感していながらも、リズベットは懸命にそれを打ち消した。ジェルニエとの関係がぎこちないものになることだけは避けたかったのだ。


 気心の知れた友人のような関係は無理だとしても、せめて今のように気兼ねなく会話を交わせる間柄ではあり続けたい。だからこそ、ジェルニエが先ほどのように何事もなかったかのように振る舞うのであれば、自分もまた気づかないふりを貫こうと心に決めた。


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