決別の時
家の直ぐ目の前の公園の端の桜の下にそっと腰掛ける
杖を置いて両手で触ったら幹がとても立派な事が分かった
きっと満開だと姉が教えてくれたソレはさぞかし綺麗なんだろう
四つん這いになって足元を手で探したらハート形の花びらもすぐに掴む事が出来た
美しいと皆が云うソレが自分にだけ分からない
この小さい花びらがどんな風に舞ってきたのか?
君の色が君の生きざまが届かない
静かに身を隠すように膝を抱えていたら凛と透き通る風のような声が聴こえた
「君の背を借りるね」
誰だ?
多分この樹の真後ろに誰かが来た
君と言われて自分に声をかけたのか?とドキリッとしたけれど違う様子で桜に話しかける変なやつだと分かった
暫く耳を澄ませて聴こえてきた紙に鉛筆を走らせる音
嗚呼そうか姉さんの想い人
まだ声変わりもしてないなんて俺とそんなに変わらないガキじゃないか
人混みの片隅で沢山の音に埋もれそうな鉛筆の音に俺は集中した
暫く力強くてそれでいて繊細な音に縛り付けられた様に動けなかったが姉を思い出してはっとして立ち上がった
恐る恐る向こう側に回り込んで自分の声を絞り出した
「その絵に色は塗らないの?」
しまった…こんにちはとか初めましてとか言えば良かった
思えば親しい友達なんていないから声のかけ方を間違えた
「僕は桜が大好きだから簡単には色なんてのせられないよ」
咲良が大好き…違う違う桜が大好きって云っただけだよ…落ち着け俺…相手のペースに呑まれるな
此方がドキドキしているなんて知られてはならない
自然に何気ない会話を繋げて友達になって姉さんに逢わせてやるに相応しいやつか見極めにきたんだから
「好きな色を入れたら最高に素敵な絵になるのに勿体無いじゃない…桜が好きなんでしょ?」
嗚呼…また間違えた
何で俺は上から目線で喋ってしまうのか?きっとコイツを怒らせただろうと思ったらやはり相手は多分此方を睨んでいるに違いない凄い敵意を帯びた空気を感じる
「なんで僕が桜描いてるなんて分かったの?目暗の癖に…」
目暗なんて普段も云われ慣れているし今更気に止める程の言葉ではなかった
けど目の前のコイツにだけは多分そんな事云われたくなかったのだ
鈴の鳴ったような声だと思った
きっと心も綺麗なやつなんだろうと思った
どんな桜がコイツの目に映っているのか知りたかった
たったそれだけの好奇心
姉さん残念ながら俺は多分コイツが嫌いだ
嫌いだからこんなに胸が痛いんだ
友達になんてなりたくない
悔しいので精一杯笑って嫌味を言ってやった
「えぇ確かに目は多分君より見えないけど君より桜の色が見えるからじゃない?君の視力がどのくらいだかなんて知らないけど君より見える自信があるよ?」
バシッ
黙ったまま何かを投げ付けてソイツは去って行ってしまった
俺は何もかもやりきれなくてその場に座り込んだ
こんな筈じゃなかった
どこで間違えたんだろう?
人を怒らせたのは初めてじゃないけど姉さんに合わせる顔がなくて立ち上がれないでいた
「咲良~大丈夫?」
暗闇の中で姉さんの声がする
家から出たらいけない筈の姉さんの声がすぐ近くに聴こえて手を引っ張られた
「咲良が随分遅いから迎えに来たのよ?一緒に帰りましょう?」
ほんの少しの距離だったけど繋いだ姉さんの手がとても熱くて具合は思わしくないのだと感じた
家に着いて直ぐに横になった姉さんに俺は謝るしかなかったけど姉さんはスッとスケッチブックを差し出しながら俺の頭を撫でた
「ねぇ謝らないで咲良は悪くないのだから…只あの子に…このスケッチブックを返してあげて欲しいの貴方が…私には多分返せない…か…ら…ゴホッ…ゴホッ…」
「姉さんどうしたの?苦しいの?」
返事は無かった
荒い呼吸が段々弱くなっていく音だけが聴こえてきて俺は震える事しか出来なかった
少しして帰って来た両親が慌てて町医者を呼びに行ってくれたが遅かった
姉さんは天国に行ってしまった
「咲良…あの子は今日なんで外になんか…そんな身体ではなかったのにね?」
母が泣きながら俺を抱き締めて撫でてくれて何か慰めの言葉を沢山かけてくれたが聴こえない
聴こえないよ
姉さんが外に出たのが俺のためなら姉さんを殺したのは俺じゃないか
俺がもっと早く帰って来たら良かっただけなのに
涙が止まらない
俺が変わってあげたいと云ったら母さんはもっと強く抱き締めてきて俺が泣き止むまでそのままでいてくれた
姉さんの葬儀が終わって少しして父さんは漸く腕の立つ医者を連れてきて俺の瞳は奇跡的だと言われる程に回復した
初めて見た窓の外の景色に桜のピンク色が満開に映ったが姉さんが居ない世界はまるで灰色だと思った
窓辺に置かれたスケッチブックに初めて目を通す
「コイツの世界も灰色だな」
コイツの灰色にも何か理由があったんだろうか?
今となっては分からない
それから毎年窓の外の公園の桜ばかり見ていたけどあの端の桜に人がくることはついになかった
結局スケッチブックの桜は灰色で時を止めたまま俺は12年も時を刻んでしまった
もうきっとこのスケッチブックの時は動かないのだ
過去に姉さんと一緒に置き去りにされてしまったのだろう
スケッチブックを俺に投げつけたあの少年も俺の事など忘れてしまっただろう
今日で12年目…最後にあの木の下に座って桜を観たらこのスケッチブックは姉さんの墓に供えてやろうと思う




