・サチコ対南 後編
今回長いです。
・サチコ対南 後編
※このお話は引き続き三人称視点でお送りします。
訓練を何度も積み重ねてきた者の動きは、一つ一つが洗練されている。間違えるということがなく、加速が力任せでない。
流れるような動きは自然で、ムラがない。それが洗練されているということ。
受けるも攻めるも南の動きは滑らかだった。筋量が不足しておらず、慣れていない素人のような、直線的な断続や、動作の継ぎ目もない。
加えて地頭の良さ。人体の構造を覚え、それぞれの姿勢から繰り出せる動きを、流派や競技を抜きにして考える。人体という分母から明らかにした、手段という引き出し。
当然、対峙した相手の構えから出せる攻撃を悟る。後は反応が遅れなければ、食らう要素は一つもない。はずだった。
「また当てた!」
「うーん、骨太」
目の前の相手は大きかった。
体の大きさ、腕の長さ、何よりも度胸というものがあった。心臓が大きいのである。
何度も当てて見せた、優に三十発。打って来たのを切り落とし、捌き、いなして、受けて、突く。しかし相手は、サチコは同じ事を繰り返すのだ。
切り落とし、捌き、いなし、受けて、二度目の突きに合わせ、そっくり先ほどの自分と同じことをする。真似されている。
分かっているからこそ、南も突きに合わせて、また反撃の用意をする。
「でも食らいすぎだな」
「段々とレートが開いてきちゃったぞ」
サチコも通じないと分かっているから真似の最後を餌にする。とはいえ芸がある訳ではないから、力尽くで強引に攻める。
殴られればやせ我慢して手を出し、触れれば胴着を掴んで、力尽くで体勢を崩しては、長い腕を伸ばして打ち込む。
サチコが一度南を殴るのに、最低でも一度は反撃を食らう。最低でも。だから真似をすると、南の攻防の組み立て次第では、更に被弾をすることになる。
「三発くらって一発返してたのが、五発に一発って感じになってきたな」
「あんなに顔打たれて、まだ鼻血も出て無いのって、正直おかしくない」
南はサチコの体を何度か打った。
拳が軽い訳ではなく、手応えもあった。
しかしサチコの動きは鈍らず、それどころか、疲労と損耗が増す毎に、冴え渡っていく。漫然と力尽きるまで、叩き続けるのは不味い。
そう判断できる程に、サチコの粘りには底が見えなかった。
「温まるまでが遅いんだよな、サチコは」
「大女だから」
「いや。相手にどこまで本気を出していいのか、力の差を探るんだ。相手のほうが強い程、それが分かったときの、サチコの動きは良くなる。勝てないと分かったときか、死ぬかもと思ったらあいつは全力を出す」
北斎は隣でサチコが全力を出すケースの、後者の条件を知っている人物を見て引いた。
こいつらは放課後に何をやっているんだろうという疑問が生じた瞬間である。
「それとあいつは、自分の失敗に気付くのが、異常に早い。減点方式というか、自分がしくじってから殴られるまでに対する、気持ちの切り替えとか判断がとても優れている。相手の手が読めなくても、自分の失敗は殴られる前に分かるから、見えてない攻撃も心理的な部分までは、食い込まないんだ」
淡々と解説をする運動部部長はサチコを見た。彼女にとってサチコは、自分と戦ってくれる数少ない人間の一人だ。
金銭を要求するが金額に見合ったサービス、つまり試合をしてくれるという点で、信頼している。
「南は何処で覚えてきたのか、随分と型が様になっている。しかも種類が豊富だ。明らかに流派が一つだけじゃない。放っておけばたぶん、別の格闘技の構えが飛び出すぞ、見ろ」
サチコは繰り出した張り手を全て防がれ、返しに猛然と打ち込んでくる南に対し、踏み込みの瞬間を合わせてけたぐりを浴びせた。
勢いを止められた南が半歩下がり、天地に開けた両腕を胸の前に揃えた。脇を締め、足を肩幅ほど開く、オーソドックスなファイティングポーズである。
「あの状態で似て非なる構えが、右利きと左利きも含めて何種類もある」
「それで」
「出せる動きも同じ。構えは修めるほどに選択肢という山を高く、美しく、豊かにする」
それまではサチコが攻めていたが、今度の攻勢は南から始まった。
「おっとボクシングを思わせるワンツー、サチコ受けながら、丁寧に打ち返しますが当たりません。一方でみなみんの突きが当たります。痛そうです」
先ほどまでの構え、鉤爪のような指でサチコの腕の肉を抉るように啄ばみ、貫くように引っ掻いた左拳が今度は円を描き、サチコの攻めを受け止め、右の手刀で叩き、突く。
「あ、チョップだ。あれって見た目は大したことなさそうだよね、本当に痛いのかっっつ!」
運動部部長の手刀が無言のままに斎の肋骨を叩く。骨を揺るがす恐怖の痛みに、眼鏡の奥の瞳が揺れる。
サチコも同様に肉の薄い部分を攻められ、苛立ちを募らせていた。ダメージが蓄積されていく。
『痛い』という言葉が、頭から離れなくなっていく。南にはサチコの意識を刈り取るような技はなかった。
失神が無いなら、残すは降参か痛みによる戦闘不能である。痛くて動けない。こんなに原始的で、時代を問わない敗北はない。
故に痛みの蓄積は有効のはずだった。しかし。
「あっげほん、えっほ。うんん! サチコが連打を浴びせている! 一発も当たってないけど、何度もガードをさせている! 今まで避けられることが多かったのに!」
「サチコは疲れを選んだ。このままだと痛みで動けなくなるから、南をバテさせることを選んだんだ。自分の体力に賭けたと言ってもいい」
サチコには南を失神させるだけの力はあった。しかしそれを狙えるほど、技量の差は小さくない。
既にもう数えるのが馬鹿らしいほど殴られている。
この世界に戻りたての頃のサチコなら、一撃で気を失っていても、おかしくはなかった。それが今は何度返り討ちにされても、向っていく。
左と右と手と足、それらを全て、南の左腕に集中させる。真似を止め、掠れば恩の字とばかりに、何度も攻め立てて腕を休ませない。
深入りを拒み距離を取ろうとする南を、上体の大きさと腕の長さが逃がさない。手負い獣の如き執拗さ。南へ向かおうとする意思が、サチコを衝き動かす。
突きが腕によって防がれ胴着の上を逸れていけば、すかさず残りの手で、防いだばかりの手を殴る。何度肘に防がれ、その都度返り討ちに遭っても、サチコは手を止めない。
その応酬が変化を齎すのには、さして時間はかからなかった。
――はあー、はあー。
「サチコが息切れ」
「南も大分汗かいたな」
サチコは息を切らせながらも、依然捨て身の執着を続けた。
南も右手を防御に回すようになり、展開はいよいよ泥試合の様相を呈してきた。
「サチコが止まるか南が止まるか」
「そういえば、二人とも投げたり絞めたりしないね。サチコに至ってはみなみんの顔も殴らないし、手加減し合ってるのかな、遠慮っていうか」
「そうじゃない。あれがあの二人の真剣勝負なんだ」
斎は運動部部長を見た。二人の女子の、打撃ばかりの戦いを、誇らしげに眺めている。
「戦いはただ戦えばいいというモノじゃない。命を賭けるばかりが真剣勝負じゃない。それを知らない奴が弱肉強食だの適者生存だのと、デタラメを言うんだ。色んな全力があるんだよ」
運動部部長は、戦いに何故喜びを感じるのか、その意味を噛み締めるように言う。
「戦いだってさ、相手あっての文化なんだよ。あいつらは自分の相手と分かり合ってるんだ。この試合は、そういうものなんだよ」
「そういうものなの」
「そういうもんだよ」
斎は納得が行かなかったが、現にサチコも南も不平など言わない。
これが納得のいく戦いなのだろうかと、斎は不思議でならなかった。
「……この先どうなるかな」
「直にお互い、我慢ができなくなるさ」
運動部部長、風祭がそういうと、柔道場にどよめきが起こる。
サチコは上体を崩し、ここに来て初めて苦悶の表情を浮かべた。苦し紛れに伸ばした拳も弾かれた。だが南は左腕を動かせず、続く前蹴りを受けてしまう。
平静を装っていた表情からは、とうとう痛恨の色が溢れ出す。
二人の苦痛はそれぞれ限界に達し、ほぼ同時に拮抗が崩れた。しかし。
『勝った!』
二人が渾身の叫びを上げる。
ヘッドギアを脱ぎ捨てると、弾かれたように、間を詰める。
「おっとお!?」
南の大きく振り被った拳はサチコの顎に綺麗に吸い込まれ、続け様に飛び込み、回した胴は蹴りを放とうとする。
しかし逆に尻を思い切り蹴り飛ばされて、後ろへと転がってしまう。
しかしサチコも堪らず足をもつれさせ転倒。先ほどまで張り詰めていた、力対技とでもいうべき空気は、一瞬でどこかへと行ってしまった。
南は大量の汗をかきながら顔を真っ赤にしている。
サチコは痛みから脂汗をかき、息を荒げている。
両者揃って立ち上がると深呼吸をし、示し合わせたかの如く試合を再開した。
そこからはもうただのケンカだった。
古臭く、男臭く、女臭い、加減と終わりの見えない感情の殴り合い、打つけ合い、擦り付け合い。
「あっはっはっはっはっはっはっは!!」
風祭はメッキの剥がれた泥仕合に馬鹿笑いして。
「もっとこう感動的な決着が欲しかったんだけどさ」
斎は友人二人を、呆れたように見ていた。
南もサチコも自分の中にあった目標、即ち痛みで動きを止める、疲れで受けられなくする、等を達成することに意地になっていたらしく、その目標を成し遂げたら勝ちと、目的が摩り替わっていたのであった。
故に二人は自分のたちに課していた、特定の攻撃をしないというルールを同時に破り出した。それからはもう酷いもので。
サチコは鼻血を吹き、南は両方の頬が脹れ、両者共に髪の毛を掴んだせいで見ているほうが悲鳴を上げるほど毛が抜けて、道着もどんどん脱げ、およそ如何なる地平の権威や祝福さえも、届かぬような有様となっていった。
『そういうもの』とはどういうものだったのだろう、今や関節技も投げ技も解禁され、小学生の猿みたいな鳴き声を繰り返すばかり。
勝ったのは自分なのに相手がそれを認めないという事実誤認を起こした両者の機嫌は見る見るうちに悪くなり何時果てるとも知れない諍いを続けている。
勝負を挑んでみたかっただの、相手の挑戦に応えてやりたいだのという、彼女たちの気高い理念は脆くも崩れ去った。他ならぬ彼女たち自身の手によって。
戦いの最後は、首を絞めながら、持ち上げようとしたサチコと、その両乳房を服の上から、爪が少し刺さるほどの力で掴み、堪えようとする南との我慢比べとなった。
あと一歩の所ではあったが、サチコは更に膝蹴りを胸に食らい、いよいよ中身が潰れ外身が千切れそうな痛みに手を離してしまった。その際倒れ込んだサチコの上に南が馬乗りになる。
ほとんどの半裸の女子の上に跨る半裸の女子。野生に立ち返ったような南が、もう一度同じ攻めを繰り返したとき、サチコは遂に降参した。
「そこまで! 勝者南!」
サチコ(21)対南(18)の戦いは、南の勝利で終わったのであった。こうして特に因縁もないのに挑んでみたサチコの挑戦は、幕を降ろしたのである。
「勝った……」
「負けた……」
それぞれの想いを胸に、二人の女子は柔道場の床、試合場の地べたに寝転がっていた。
交わす言葉もない。全力を出し合った結果、ただそれがあるだけだった。周りの目に反して、二人の心は晴れやかだった。
「うーん、思ってたんと違う」
「とりあえずお前ら汚いからさ、柔道部のシャワー室行ってこいよ」
『あ、はい』
風祭に言われ、のそりと起き上がった彼女たちは、服を着直すと、のそのそと柔道場を出て行った。
今ここに一つの戦いが終わった。特に理由もなく始まった戦いは、遂に終わりを告げたのであった。
「よし、じゃあ掃除すっぞー、とりまバケツと雑巾、持ってきて。斎も手伝ってね」
「なんで私があいつらの後片付けしないといかんの」
「いいだろそれくらい。私もやるんだからさ」
運動部の面々はてきぱきと掃除用具を持ってきて、清掃の準備をし始め、風祭は大型の扇風機を壁のコンセントに繋げた。
「もっと、もっとこう、殺伐としていても、格好いい瞬間を見たかったんだよな」
「そこはほら、漫画の中でさ、やったらいいじゃん」
運動部部長の放った一言に斎は、頭の中で美化した二人の戦いを思い起こした。こっちのほうが遥かにいいなという悲しい感想が、危うく口を突いて出そうになる。
サチコたち二人は成長した。
この戦いもまたその一つなのだ。
斎は自分にそう言い聞かせると、釈然としない気持ちではあったが、それ以上考えることもなく、バケツの水で雑巾を絞り、試合場に飛び散った、サチコと南の血と汗と涙を拭い去るのであった。
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