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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
学祭奔走編
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・学祭奔走編 本編

今回長めです。

・学祭奔走編 本編


 ※引き続き三人称視点でお送りします。


 男は走っていた。いつ頃からと問われれば、昼頃からである。午前中に米神高等学校を訪れたこの男は、この学校の卒業生であった。


 何処にでもいる普通の男。自分好みで役に立ち話が合う、そういう同性とツルみ、馬鹿として行き続け、道理や礼節と無縁の暮らしを送り、就職活動で野放図に伸ばし続けた自尊心を、社会常識によって草刈りされた社会人、それが彼だった。


 そんな彼には人と異なる点が一つあった。


 ファッション感覚で、運動部に所属していたこと。違う。その辺に痰唾を吐き捨てること。違う。倫理観が女子大生並みに乏しいこと。違う。人一倍頭の悪い男であること。違う。


 山だ。男には山登り、正確には山菜採りの、趣味があるということだった。


 無料で手に入り(と男は思っている)、栄養が豊富なものもあり、調理次第では美味しい。人に売れることもある。


 そういう経済的な実利と、人とちょっと違うことをしているという、満足感を得られるこの行為を、男は気にいっていた。


 市販で見かけない食用のキノコや山菜は素直に美味であり、それを友人に勧めて、嫌々食べた連中が驚く顔を見たら、もう病みつきになっていた。

 

 それは毒が無く食える物であるという、安堵の驚きであり、また食べたいという感想では、決してないのだが、彼には分からなかった。


 だからそれ以降、誰も彼の相伴に預かろうとはしなかったことも、彼の目には、周りがビビっているのだと映るだけだった。


 男の中では、素人判断で摘んだその辺の草やキノコを食わせることは、善行だった。現実で再翻訳を施すと蛮勇とか迷惑といった言葉にしかならないが。


 そんな彼は母校の学園祭に、毎年山菜を届けに来ている。当然ながら誰も食べずに、捨てているのだが、彼は知らない。知らせていれば、その時点で終わっていた話なのに。


 ともあれ彼は事前に入手していた、学園祭のパンフレットを見て、お世話になった当時の担任に挨拶をした後、顔の引き攣りを笑顔と都合よく勘違いし、山菜とキノコ類を渡した。

 

 色の明るい露骨に有毒な種類は含まれていないが、市販のものに似ている、生食厳禁のものばかりが含まれていた。

 

 現代人の俄知識の中でも怖ろしいのは『これさえ覚えておけばいい』というものがあることで、例えばこの場合なら『火を通せばキノコ類は有毒の物を除き食べられる』というのがそれに当たる。


 キノコを生で食べないという、一般常識があるのは良いが、火を通せば食べられるという、尾ヒレが付いているのが恐ろしい。


 煮ても焼いても加熱が甘ければ中るし死に至ることさえある。そもそも熱で分解されない毒もある。


 要点をまとめれば、人は要点しか見ない。そうして肉付けされたものが削ぎ落とされ、薄く、軽く、浅くなっていく。

 

 男も昔はきちんと図鑑や有識者同伴で採取していたことが、その内勝手に自信がついて、自分一人でやるようになり、奇跡的に今日まで犠牲者を出さなかったことが、悲劇となってしまった。


 死んだほうがいい人間は早めに死んだほうがいいという何よりの証拠である。


 そうして誰もが多くを忘れた頃に、ヒヤリハットの網を抜け、犠牲者を出すというのが、よくある問題発生の流れの一つである。


 米神高等学校はその点、毎年やって来るこの男のために要点が形骸化しなかった。それ自体は良かったのだが、また別の問題が起きてしまう。


 男は担任の教室がやっている飲食店に行き、自分の差し入れた物が渡され、調理されるのを待っていた。後輩たちにちやほやされる自分が、現実になるのを今か今かと待っていた。


 しかしというか、当然ながら担任は来ない。万が一を考えて職員室を離れず、男が帰るのまでやり過ごすつもりであった。賢明だった。


 しかし一行に教室へやって来ない担任に、業を煮やした男が、様子見という名の催促に来てしまう。


 担任は内心で相当に焦った。男はいい年をして山に出入りするような輩だったので、体だけは丈夫で大きかったのだ。


 威圧に負けて渋々キノコを持って職員室を出たが、頭の中はこれをどうやって処分するかで、一杯一杯であった。


 自分のクラスから食中毒や死人が出たら、人生は終わりだ。それも自分一人ではなく、大勢の生徒や保護者の分も。


 彼は自然体を装いながら、携帯電話を取りだして、メールをチェックしたり、他の生徒に言いがかりのような注意までした。


 男は元生徒、現生徒ではない。生徒ではないから、彼らは普段生徒たちにしているような、強気な態度を取れない。上から強く出られないのだ。


 相手を下に見ないと何もできないのが、一般的な教師であり生徒なのだから、これも無理からぬことではあった。

 

 牛歩さえ許されず、その癖相手を強く拒むことも、キノコを処分することもできずに、歩みを進めるしかない。元担任の苦悩も知らず、男は満足げだった。

 

 時刻は昼を少し過ぎた辺り。


 ピークでは無かったが、まだまだ客足はある時間。こんなときにこんな物を差し入れしては、犠牲を免れない。もうどうしようもない。

 

 最早ここまでなのかと元担任が諦めかけたその時、奇跡は起きた。


 その奇跡は黒猫の姿をしていた。

 

 首輪をしていないことから、野良猫であることが分かる。しかしこの学校に通う者ならば、この猫が誰の飼い猫なのか、知らぬ者は少ない。

 

 一部からは札付き扱いされている、とある女生徒に連れ添うこの猫は、自由に学校内を闊歩し、趣味人の集まりとされる部活に、入り浸っている。

 

 時に授業にも参加し、校内の治安維持に一役買っているので、小動物が嫌いな人間以外からは、とても気に入られている。

 

 天啓のようなものが元担任の脳裏に閃いた。というより何かに操られるように、足元に擦り寄ってきた猫に対して、身を屈めていた。

 

 手には男から受け取ったキノコや山菜が入った袋。猫は鼻をひくつかせつつ、それに頭を寄せると、見事に食い付いた。


 男二人があっと声を上げたときには、猫はもう袋を奪い、走り去っていた。

 

 元担任は猫の尊い犠牲に感謝し、もしも死体が見つかることがあれば、塚を立ててやろうと神に感謝しながら、十字を切った。彼は仏教徒であった。

 

 慌てたのは男である。野良猫の分際でキノコを食うのだろうか。動物は食事の良し悪しが分かるという。良い物を食べたがるのは自然なことだ。


 スーパーにて格安で購入した、オーストラリア産と書かれていた鶏肉を茹でて出した所、野良猫はおろか鴉でさえ食べなかったという話がある。野生に生きる動物は、人間よりも知覚が優れている。


 で、あるならば、食べられるキノコを猫が奪いにかかっても無理は無い。


 男は怒りの裏側に、自分が採ってきた物の品質が、動物によって証明されたという、勝利にも似た喜びを感じていた。


 という訳で、男は猫を追いかけて、こんな時間まで学校を駆け回っていた。途中何度か見失うこともあったが、猫も遊びと思っているのか、その都度に男の前へ姿を現した。


 学食付近で見失った際、誘き寄せる為にから揚げを買っておいたのは、男にしては比較的マシな発想だったが、あからさまに不味そうなそれには、案の定猫は興味を示さなかった。


 肉も大きいとはいえ品質も定かでない衣たっぷりのギトギトした物体を食べたがる生物はいない。


 鴉やドブネズミでさえ仲間と分け合うことだろう。そんなものを嬉々として食べる人間がいたら、その人は味覚が相当貧しい人種だろう。


 何にせよ、男がキノコを取り戻した頃には、時刻は既に午後三時を回った頃だった。最早人の姿も校内から減り、生徒たちもホームルームに出るため、教室に戻っていく。

 

 すっかり途方に暮れた男は、キノコを自分で食すことを考えた。考えたがやはり他の人に食べて欲しい。この諦めの悪さと情熱が、長所にならないのが人間の不思議である。


 どうしたものかと悩んでいると、教室に戻らず落ち込んでいる男子生徒がいた。どちらかというと発達障害ではなく、単に知能が低いだけという印象を、見る者に抱かせる顔だった。


 口が裂けているのかという程のニヤケ面の跡が痛々しく、笑い皺から見える本来の表情も今は鳴りを潜めている。顔が閉じているという表現が似合うような、苛立ちを示す眉間の深い皺、すぼまった口。


 男子生徒のクラスの出し物は飲食店で、うどん屋であった。この生徒は具材の購入をすっぽかすどころか金を使い込み、一日で学校から居場所を無くした愚か者だった。


 敷居を上げ過ぎたことで教室に戻れなくなり、その結果ここでじっとしていたのだ。


 男は生徒に声を掛け、事情を聞いた。彼は体育会系特有の無責任な励ましをした。生徒は首を振った。


 後夜祭でも素うどんを出すことになる。椎茸やらしめじやらの菌類は急いで買ったが、それでも駄目なのだと。


 誰だって駄目だと思う所だが、男には違った。天啓のようなものが脳裏に閃いた。


 人は自分に都合の悪い事を押し退けるとき、人間よりも大きな存在を錯覚するが、それは自分の責任から目を背け、外に問題を持ち出したことで、自分というものを手放した自分を客観視した際に起こす、勘違いである。


 だが彼にとって、は真実以外に有り得なかったのである。後夜祭のことを思い出した現在、最早他の道は潰えてしまった。


 男は生徒に持ち腐れたキノコを渡して励ました。OBである自分の名前を出しながら謝り、これを渡せば少しくらいは周りの態度も良くなるはずだと、過大極まる自己評価を前提に。


 男のことなんて生徒は誰も知らないし、美味かろうが珍しかろうがキノコで被っている。せめて後夜祭という短い時間に、十分な量の別の具とか、気の利いた物なら話は別だったが。


 そう、つまり、話は別にならないのである。


 弱り切った生徒の目には、得体の知れない男が山師ではなく、仙人のように見えたことだろう。力強く袋を握り、教室への帰路に着く。


 男は満足げにその後ろ姿を見送ると、自身もまた校舎を出るべく背を向けた。先ほどまでの焦りは消え、その心は晴れやかだった。


 良いことをした後は気持ちが良くなるもので、まるで今日の災難が、天からの導きであるかのように感じられた。


 教室ではホームルームが始まり、このまま下校の時間になれば、生徒たちだけの時間が始まる。


 男の胸には、自分の土産が一人の生徒を救ったのだという、誇らしさがあった。


 かくして、あたかも万事解決のような『てい』で、災難は引き継がれた。

 

 時刻は四時。

 後夜祭が始まろうとしていた。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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