・他人ズ
今回長いです。
・他人ズ
「こうして話すのは初めてだな」
「あ、そう、ですね」
バイト上がりの夜。
東雲の一画、空いた席の一つに、客として座っているのは俺と、目つきが悪いこと以外は、普通の女子高生の北栄。
一年生であり、アガタと同学年であり、俺の後輩であり、愛同研部長の北斎の妹である。
「あの、えっと……」
栄は先ほどからずっと『どもり』の様な感じで話せないでいる。別のこの子が口下手という訳ではない。
初対面の姉の友人で、自分にとっては先輩、そう、特に面識のない相手に、話しかけているのだ。
学校では余所のクラスを訪ねることも、勇気が要るものである。
兄弟姉妹のいる者は、何かの用事で行かなくてはならない場合もあるが、いい顔をしてそれを行う者は、いない。
はっきりと巣箱が分けられているのだ。年の違うクラスに行くということは、基本的にストレスである。異物は自分なのだから当然である。
たまに学校の企画で、学年間の交流が催されることもあるが、だから何だという話だ。
部活は部活でまた別の容れ物だから、このストレスを軽減し得るものでもない。
アガタみたいに非日常から、化けの皮が剥がれて、距離が完全に失われているのとは違う。こっちがまともなケースなのだ。
「取り敢えず何か頼もうぜ、何がいい」
「あ、その、お構いなく……あ」
話しかけても栄は萎縮するばかりだ。
姉と違って放っておいても、勝手に動いて爆散するような気配はない。しかしこのまま付き合ってたら、時間が掛かり過ぎる。
「チャイティーとザラメガレット、後ホットココア」
「パンは出してあげなくていいの」
「夕飯前だし、止したほうがいいでしょう」
海さんに注文をすると何故か不服そうな顔をする。俺はいいんだよ俺は。それともまた珈琲を頼まなかったことが不満なのか。
しかし海さんは俺よりも大人なので、黙って代金を受け取って、トレーを寄越してくれる。飲み物二つとガレット一つを乗せたそれを持って、席に戻る。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
栄はしばらくの間、どうしたものかと迷っていたけれど、諦めたようにココアを手に取った。
人にお金を出すとか冗談じゃないけど南曰く『話を早く終わらせたければ早く始めろ』だ。
うむ、あの八方美人の言うこともその方面に関しては正し、おいなんでガレットにまで手を付けてんだよそれは俺のだよ。
お前はココアだけだよ!
「あ、なんでしょう」
「ん、いやココアじゃないほうが良かったかなって」
「大丈夫です。ご馳走になります」
危ない危ない。落ち着け俺。いいんだこれくらい、先輩の貫禄だよ。落ち着けサチコ、俺のが年上でもう夜だ。チャイティーの甘さで怒りをやり過ごせ。
「うん、ならいいんだ」
栄は俺の内心も知らずに一服すると、幾らか気持ちが落ち着いたようで、さっきまでの挙動不審ではなくなっていた。
「で、いきなりどしたの」
「あ、はい。実は姉のことで相談があって」
残るガレットを齧りながら聞く。栄は用件を切り出せるようになっていた。美味そう。
このガレットは丸いクッキー状のものなんだけど、表面にキャラメルを染みこませて、固く焼き上げた所にザラメを塗してあって、とても甘くてザクザク食べられる良品である。
ホットミルクと一緒に食べるのが一番美味いけど、今回はその選択を避けた。理由は話が長引いた場合、口が牛乳臭くなる恐れがあるからだ。
「先輩っていうと斎のほう」
「そうです」
「ロボット漫画が二作品完結して今三作目の」
「その斎です」
ダイヒューマンとギルディバインが完結し、今は漢字系の名前に宗旨替えした『羅梵莫』(らぼんば)を執筆中だ。
先輩の芸風は一貫していて、地球と人類を滅ぼして宇宙へと旅立つのが、お約束となっている。
「起きてる間は趣味の勉強と創作しかしない」
「それですそれです」
どうやら人違いではないようだな。
「最近様子がおかしくて」
「いつもおかしいけど」
「ああやっぱり、あ、じゃなくて、その、普通の人が言われる意味で」
やっぱりということは家でもそうなのか。家は名家で本当は厳しい掟とか因習に囚われていて、その反動で学校ではハっちゃけているとか、そんな設定ではないんだな。
「その、斎の元気がないっていうか、塞ぎ込んでるっていうか、上手く言えないけど悩んでいるみたいで、どうしたのかなって」
「うん、それで不安になったんだな」
「はい」
自然に「はい」と言った。
心配になったとかではなく、俺の言い方にかちんと来た様子も無い。真面目に不安になったんだな。先輩がどう思われてるのか、こっちが不安になってくる。
「でも何で俺なんだ。先輩のことで相談できそうな人なんて、沢山いるぞ」
南を初めとして、他の愛同研の連盟員の二、三年は先輩との付き合いも長く、暦とした友人である。
俺の学校での友だちが、南と先輩くらいしかいないのに対し、先輩はその十倍はいる。既卒者を含めると更に多くなるだろう。
「あ、その、家で斎がよく話すのが先輩だったんで」
「そうか」
掘り下げないでおこう。きっと藪蛇になる。しかしあいつ高校三年生にもなって、家族に学校のことを話しているのか。家族仲は悪くないんだな。
「そういえば今日の部活で、卒業なんかしたくないって言ってたかな」
「え!?」
「いや、愛同研が名残惜しいってだけだぞ」
栄の目の色が変わったので、俺は慌ててフォローを入れた。
「そうですか、斎がそんなことを」
「ていうか妹さんは何部に所属してんの。確か、結局うちには入らなかったよね」
「アガタさんと同じ美術部。あと栄でいいです」
「ん、アガタとは友だちなのか」
「部活が同じなので、彼女から先輩がここで、バイトしてることを聞いて」
あいつ美術部と兼部してんのか。しかし先輩が俺のことを、話してると言ったのに、俺のバイトの件には触れてない、無くはないけどなあ。
なんだか嘘臭いしきな臭いし面倒臭いな。
「事情は分かったけどな、先輩の性格を考えるなら、触らないほうがいいだろう」
「やはり何かご迷惑を」
迷惑な場合もあるけれど、ここでその話をすると、こいつを調子付かせることになってしまうな。
身内を良く思ってないし、その嫌いな身内に不穏な動きがあるから、落ち着かない。こういうのは俺にも経験がある。
有態に言えば、排除したくて堪らないというのが、素直な気持ちだろう。しかし先輩は俺にとってはいい人間だ。いなくなると寂しい。
「いや、いつもは延々と何らかの創作活動に精を出してるよ。お喋りはするけど、それ以外は特に関わりはない。うちはそんなのばっかりだけど」
「そうなんですか」
「オタクの集まりさ、協力が必要なとき以外は、自分のことしかしない」
嘘ではない。皆それぞれ自分の好きなことを掘り下げ続ける青少年で、部活というチームで動くことは、あまりない。
一般的に部活がカテゴリー別の箱とするなら、愛同研及び連盟している部は、広場である。
その空間の中で散り散り。最低限のルールを守って自分の居場所に落ち着く。それだけの場所なのだ。
「先輩もそうなんですか」
「俺は調整役」
嘘です。隙間産業の使いっパです。
見え張りました。そういうのは南の仕事です。
「まあそう言うと聞こえはいいけど、やりたいことや打ち込みたいことなんて無くてさ。居心地がいいから使い走りばっかりしてるよ。もう二年目」
よしよし、上手に自分を庇えたな。こんやことばっかり大人になっていく自分が悲しい。
「栄さんはなんで美術部に」
「最初はソフトボールに行こうと思ったんですけど、皆考えることは同じで。危ないなって思ったから人の少なくて、静かな部を探したら美術部だったんです」
まるで練習したみたいにスラスラ喋る。
ちなみにソフトボール部には『自分は絶対にレギュラーになれない』と分かっていて、二軍以下でダラダラすることを目的とした女子が、大量に入部する。
こいつらは活動日の被る部を兼部して、幽霊部員と化すのが常であり、運動部辺りの連中からは蛇蝎の如く嫌われている。
部活に所属することが、学校の定めた決まりではあるのだが、そのせいで蚕食される部が出るのだから、何をやってるんだという気持ちになる。
「そっか。もし興味のある集まりがあったら、他の部も覗いてみなよ」
「はい、ありがとうございます」
そこで互いに飲み物に口を付けると、不意に会話が途切れる。
栄としては俺から先輩の話を聞いて、無駄足にはならなかったと思うが、それでどうするという点については、不明なままだ。
斎は人の話を聞かないことが多い。これは俺や他の部員たちくらいの距離、放置してもいい関係ならば、気にならない。
だが家庭という共同生活の場で、そういう非協力的な態度は、絶えずストレスの蛇口を、全開にされるようなものだ。
栄の目つきと皺の背景を考えれば、姉にあまりいい感情を抱いていないようだし、この状態で家に帰せば要らんちょっかいを出して、状況を拗れさせる危険がある。
気の小さい人間というものにとって、自分の考えや心に対し、自分自身が占める割合は多く、高い。
だからって言い含めると、却ってやらなくていいことを絶対にやるような気がする。
それがこいつの爆砕するスイッチ。根拠はないが予感がする。『やるなと言われたことだけは絶対にやる奴』の臭いがしてならない。
宥め賺すにはどう言うべきか。
……。
…………。
…………よし。
「話を戻すけどな、先輩のことについては、触らないほうがいい」
「どうしてですか」
「一応自分で進学することは決めたんだ。先輩は自分で決めたことは必ずやる人だ。嫌でもやる。だからこのまま行けば、受験も卒業もするだろう。あの人がぐずってるのは、それを撤回できるような理由が欲しいだけなんだ。相手のせいにして辞められる理由探しっていうかね」
「分かります、そういう所ありますから」
人のことを言えないけど、どんだけ信用無いんだよあの人。
「だからしばらく鬱陶しくても、この件については罠みたいなものだし、触らないほうがいい。俺も下手に刺激して、先輩が留年や途中退学するなんて嫌だし」
留年の単語が出た途端、栄の表情がまた変わった。というより顔色が悪くなった。排除したいがそこまでしたいとは、思ってなかったのだろう。
本人的には先輩を打ちのめしたい気持ちが、どこかにあったのかも知れない。
ただこの機に乗じて攻撃して、しかも事無きを得たいという中途半端さが、通る訳ねえだろ。
そんなことしておきながら、無事に終わらせたいならね、最初から手を出さないのがいいんだよ。
自分に累が及ばない様に、怨みや怒りを晴らしたいのなら、心に甘えがあると言わざるを得ない。
「梅雨明けに頃にはいつもの先輩に戻ってるだろう。安心しなよ」
「そうでしょうか、あいえ、ありがとうございます」
栄はまたしばらくの間、ココアをちびちびと飲んでいたが、やがて席を立つと、挨拶を一つだけして去って行った。今日の所はこれでいいだろう。
説得するよりも、手足を竦ませたほうが、結果的に望む方向に、誘導できることもある。
でもあの様子じゃ、余計なことしでかしそうなんだよな。
「なんだか大変そうね」
俺もトレーを下げて店を出ようとすると、レジにいた海さんが声をかけてくれる。海さんは先ほど一年坊が出て行った入り口を見ながら、しみじみと呟く。
「どうして家族なのに上手くいかないのかしら」
「それを俺に言うんすか」
「あなた以外には聞けないわ」
閉じかけのドアから濡れたアスファルトの匂いが、珈琲の香りを潜り抜けて、ここまで届く。
ごもっともだな。
「……皆で生きていかないと、生きていけない訳じゃないし、皆で生きていかないと、いけない理由もないからじゃないですかね」
生存のためにただ生きる。それができればどれほど楽だろう。
「苦労を分かち合わずに済むのが、人それぞれって魔法なんすよ」
「要は愛がないのね」
海さんがさらっと厳しいことを言う。堪忍袋の緒が切れるとき、分け合うことのなかった苦楽が堰を切って火を噴く。
なんてことが果たして北姉妹、或いは北家で起きるのかは定かでないが、栄の様子を見るに、先輩の性格は家族とも噛み合ってないのではないか。
そんな疑念が頭を過る。
「じゃ、また明後日」
「ええ、じゃあね」
東雲を出れば外は雨。
店から締め出された湿気と匂いに、あっという間に取り囲まれる。
思えば俺は斎のことを殆ど知らない。いつも部活で妙なことばかりしているが、知っていることなんて、それだけだ。
今まで気にしたことはなかった。
しかし今はそれが不気味な違和感となり、内心で頭をもたげつつあるのを感じた。
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