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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
進路相談編
188/518

・他人ズ

今回長いです。

・他人ズ



「こうして話すのは初めてだな」

「あ、そう、ですね」


 バイト上がりの夜。


 東雲の一画、空いた席の一つに、客として座っているのは俺と、目つきが悪いこと以外は、普通の女子高生の北栄。


 一年生であり、アガタと同学年であり、俺の後輩であり、愛同研部長の北斎の妹である。


「あの、えっと……」


 栄は先ほどからずっと『どもり』の様な感じで話せないでいる。別のこの子が口下手という訳ではない。


 初対面の姉の友人で、自分にとっては先輩、そう、特に面識のない相手に、話しかけているのだ。


 学校では余所のクラスを訪ねることも、勇気が要るものである。


 兄弟姉妹のいる者は、何かの用事で行かなくてはならない場合もあるが、いい顔をしてそれを行う者は、いない。


 はっきりと巣箱が分けられているのだ。年の違うクラスに行くということは、基本的にストレスである。異物は自分なのだから当然である。


 たまに学校の企画で、学年間の交流が催されることもあるが、だから何だという話だ。


 部活は部活でまた別の容れ物だから、このストレスを軽減し得るものでもない。


 アガタみたいに非日常から、化けの皮が剥がれて、距離が完全に失われているのとは違う。こっちがまともなケースなのだ。


「取り敢えず何か頼もうぜ、何がいい」

「あ、その、お構いなく……あ」


 話しかけても栄は萎縮するばかりだ。


 姉と違って放っておいても、勝手に動いて爆散するような気配はない。しかしこのまま付き合ってたら、時間が掛かり過ぎる。


「チャイティーとザラメガレット、後ホットココア」

「パンは出してあげなくていいの」

「夕飯前だし、止したほうがいいでしょう」


 海さんに注文をすると何故か不服そうな顔をする。俺はいいんだよ俺は。それともまた珈琲を頼まなかったことが不満なのか。


 しかし海さんは俺よりも大人なので、黙って代金を受け取って、トレーを寄越してくれる。飲み物二つとガレット一つを乗せたそれを持って、席に戻る。


「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 栄はしばらくの間、どうしたものかと迷っていたけれど、諦めたようにココアを手に取った。


 人にお金を出すとか冗談じゃないけど南曰く『話を早く終わらせたければ早く始めろ』だ。


 うむ、あの八方美人の言うこともその方面に関しては正し、おいなんでガレットにまで手を付けてんだよそれは俺のだよ。


 お前はココアだけだよ!


「あ、なんでしょう」

「ん、いやココアじゃないほうが良かったかなって」

「大丈夫です。ご馳走になります」


 危ない危ない。落ち着け俺。いいんだこれくらい、先輩の貫禄だよ。落ち着けサチコ、俺のが年上でもう夜だ。チャイティーの甘さで怒りをやり過ごせ。


「うん、ならいいんだ」


 栄は俺の内心も知らずに一服すると、幾らか気持ちが落ち着いたようで、さっきまでの挙動不審ではなくなっていた。


「で、いきなりどしたの」

「あ、はい。実は姉のことで相談があって」


 残るガレットを齧りながら聞く。栄は用件を切り出せるようになっていた。美味そう。


 このガレットは丸いクッキー状のものなんだけど、表面にキャラメルを染みこませて、固く焼き上げた所にザラメを塗してあって、とても甘くてザクザク食べられる良品である。


 ホットミルクと一緒に食べるのが一番美味いけど、今回はその選択を避けた。理由は話が長引いた場合、口が牛乳臭くなる恐れがあるからだ。


「先輩っていうと斎のほう」

「そうです」


「ロボット漫画が二作品完結して今三作目の」

「その斎です」


 ダイヒューマンとギルディバインが完結し、今は漢字系の名前に宗旨替えした『羅梵莫』(らぼんば)を執筆中だ。


 先輩の芸風は一貫していて、地球と人類を滅ぼして宇宙へと旅立つのが、お約束となっている。


「起きてる間は趣味の勉強と創作しかしない」

「それですそれです」


 どうやら人違いではないようだな。


「最近様子がおかしくて」

「いつもおかしいけど」


「ああやっぱり、あ、じゃなくて、その、普通の人が言われる意味で」


 やっぱりということは家でもそうなのか。家は名家で本当は厳しい掟とか因習に囚われていて、その反動で学校ではハっちゃけているとか、そんな設定ではないんだな。


「その、斎の元気がないっていうか、塞ぎ込んでるっていうか、上手く言えないけど悩んでいるみたいで、どうしたのかなって」


「うん、それで不安になったんだな」

「はい」


 自然に「はい」と言った。


 心配になったとかではなく、俺の言い方にかちんと来た様子も無い。真面目に不安になったんだな。先輩がどう思われてるのか、こっちが不安になってくる。


「でも何で俺なんだ。先輩のことで相談できそうな人なんて、沢山いるぞ」


 南を初めとして、他の愛同研の連盟員の二、三年は先輩との付き合いも長く、暦とした友人である。


 俺の学校での友だちが、南と先輩くらいしかいないのに対し、先輩はその十倍はいる。既卒者を含めると更に多くなるだろう。


「あ、その、家で斎がよく話すのが先輩だったんで」

「そうか」


 掘り下げないでおこう。きっと藪蛇になる。しかしあいつ高校三年生にもなって、家族に学校のことを話しているのか。家族仲は悪くないんだな。


「そういえば今日の部活で、卒業なんかしたくないって言ってたかな」


「え!?」

「いや、愛同研が名残惜しいってだけだぞ」


 栄の目の色が変わったので、俺は慌ててフォローを入れた。


「そうですか、斎がそんなことを」


「ていうか妹さんは何部に所属してんの。確か、結局うちには入らなかったよね」


「アガタさんと同じ美術部。あと栄でいいです」

「ん、アガタとは友だちなのか」


「部活が同じなので、彼女から先輩がここで、バイトしてることを聞いて」


 あいつ美術部と兼部してんのか。しかし先輩が俺のことを、話してると言ったのに、俺のバイトの件には触れてない、無くはないけどなあ。


 なんだか嘘臭いしきな臭いし面倒臭いな。


「事情は分かったけどな、先輩の性格を考えるなら、触らないほうがいいだろう」


「やはり何かご迷惑を」


 迷惑な場合もあるけれど、ここでその話をすると、こいつを調子付かせることになってしまうな。


 身内を良く思ってないし、その嫌いな身内に不穏な動きがあるから、落ち着かない。こういうのは俺にも経験がある。


 有態に言えば、排除したくて堪らないというのが、素直な気持ちだろう。しかし先輩は俺にとってはいい人間だ。いなくなると寂しい。


「いや、いつもは延々と何らかの創作活動に精を出してるよ。お喋りはするけど、それ以外は特に関わりはない。うちはそんなのばっかりだけど」


「そうなんですか」


「オタクの集まりさ、協力が必要なとき以外は、自分のことしかしない」


 嘘ではない。皆それぞれ自分の好きなことを掘り下げ続ける青少年で、部活というチームで動くことは、あまりない。


 一般的に部活がカテゴリー別の箱とするなら、愛同研及び連盟している部は、広場である。


 その空間の中で散り散り。最低限のルールを守って自分の居場所に落ち着く。それだけの場所なのだ。


「先輩もそうなんですか」

「俺は調整役」


 嘘です。隙間産業の使いっパです。

 見え張りました。そういうのは南の仕事です。


「まあそう言うと聞こえはいいけど、やりたいことや打ち込みたいことなんて無くてさ。居心地がいいから使い走りばっかりしてるよ。もう二年目」


 よしよし、上手に自分を庇えたな。こんやことばっかり大人になっていく自分が悲しい。


「栄さんはなんで美術部に」


「最初はソフトボールに行こうと思ったんですけど、皆考えることは同じで。危ないなって思ったから人の少なくて、静かな部を探したら美術部だったんです」


 まるで練習したみたいにスラスラ喋る。


 ちなみにソフトボール部には『自分は絶対にレギュラーになれない』と分かっていて、二軍以下でダラダラすることを目的とした女子が、大量に入部する。


 こいつらは活動日の被る部を兼部して、幽霊部員と化すのが常であり、運動部辺りの連中からは蛇蝎の如く嫌われている。


 部活に所属することが、学校の定めた決まりではあるのだが、そのせいで蚕食される部が出るのだから、何をやってるんだという気持ちになる。


「そっか。もし興味のある集まりがあったら、他の部も覗いてみなよ」


「はい、ありがとうございます」


 そこで互いに飲み物に口を付けると、不意に会話が途切れる。


 栄としては俺から先輩の話を聞いて、無駄足にはならなかったと思うが、それでどうするという点については、不明なままだ。


 斎は人の話を聞かないことが多い。これは俺や他の部員たちくらいの距離、放置してもいい関係ならば、気にならない。


 だが家庭という共同生活の場で、そういう非協力的な態度は、絶えずストレスの蛇口を、全開にされるようなものだ。


 栄の目つきと皺の背景を考えれば、姉にあまりいい感情を抱いていないようだし、この状態で家に帰せば要らんちょっかいを出して、状況を拗れさせる危険がある。


 気の小さい人間というものにとって、自分の考えや心に対し、自分自身が占める割合は多く、高い。


 だからって言い含めると、却ってやらなくていいことを絶対にやるような気がする。


 それがこいつの爆砕するスイッチ。根拠はないが予感がする。『やるなと言われたことだけは絶対にやる奴』の臭いがしてならない。


 宥め賺すにはどう言うべきか。


 ……。

 …………。

 …………よし。


「話を戻すけどな、先輩のことについては、触らないほうがいい」


「どうしてですか」


「一応自分で進学することは決めたんだ。先輩は自分で決めたことは必ずやる人だ。嫌でもやる。だからこのまま行けば、受験も卒業もするだろう。あの人がぐずってるのは、それを撤回できるような理由が欲しいだけなんだ。相手のせいにして辞められる理由探しっていうかね」


「分かります、そういう所ありますから」


 人のことを言えないけど、どんだけ信用無いんだよあの人。


「だからしばらく鬱陶しくても、この件については罠みたいなものだし、触らないほうがいい。俺も下手に刺激して、先輩が留年や途中退学するなんて嫌だし」


 留年の単語が出た途端、栄の表情がまた変わった。というより顔色が悪くなった。排除したいがそこまでしたいとは、思ってなかったのだろう。


 本人的には先輩を打ちのめしたい気持ちが、どこかにあったのかも知れない。


 ただこの機に乗じて攻撃して、しかも事無きを得たいという中途半端さが、通る訳ねえだろ。


 そんなことしておきながら、無事に終わらせたいならね、最初から手を出さないのがいいんだよ。


 自分に累が及ばない様に、怨みや怒りを晴らしたいのなら、心に甘えがあると言わざるを得ない。


「梅雨明けに頃にはいつもの先輩に戻ってるだろう。安心しなよ」


「そうでしょうか、あいえ、ありがとうございます」


 栄はまたしばらくの間、ココアをちびちびと飲んでいたが、やがて席を立つと、挨拶を一つだけして去って行った。今日の所はこれでいいだろう。


 説得するよりも、手足を竦ませたほうが、結果的に望む方向に、誘導できることもある。


 でもあの様子じゃ、余計なことしでかしそうなんだよな。


「なんだか大変そうね」


 俺もトレーを下げて店を出ようとすると、レジにいた海さんが声をかけてくれる。海さんは先ほど一年坊が出て行った入り口を見ながら、しみじみと呟く。


「どうして家族なのに上手くいかないのかしら」

「それを俺に言うんすか」

「あなた以外には聞けないわ」


 閉じかけのドアから濡れたアスファルトの匂いが、珈琲の香りを潜り抜けて、ここまで届く。


 ごもっともだな。


「……皆で生きていかないと、生きていけない訳じゃないし、皆で生きていかないと、いけない理由もないからじゃないですかね」


 生存のためにただ生きる。それができればどれほど楽だろう。


「苦労を分かち合わずに済むのが、人それぞれって魔法なんすよ」


「要は愛がないのね」


 海さんがさらっと厳しいことを言う。堪忍袋の緒が切れるとき、分け合うことのなかった苦楽が堰を切って火を噴く。


 なんてことが果たして北姉妹、或いは北家で起きるのかは定かでないが、栄の様子を見るに、先輩の性格は家族とも噛み合ってないのではないか。


 そんな疑念が頭を過る。


「じゃ、また明後日」

「ええ、じゃあね」


 東雲を出れば外は雨。


 店から締め出された湿気と匂いに、あっという間に取り囲まれる。


 思えば俺は斎のことを殆ど知らない。いつも部活で妙なことばかりしているが、知っていることなんて、それだけだ。


 今まで気にしたことはなかった。


 しかし今はそれが不気味な違和感となり、内心で頭をもたげつつあるのを感じた。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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