・栄の来店
・栄の来店
珈琲と小麦の香り漂う小洒落た店内には、今日も様々なお客様がお見えになる。
例えばあちらの受験生。
うちの学校の制服を着ている青年だ。今年に入ってから常連となり、いつもカウンター席の隅が空いていれば、そこに必ず座る。珈琲一杯で居座る、古式ゆかしい男だ。
正直迷惑なのだが、勉強に行き詰ると参考書を入れ替えて、今度は珈琲や喫茶店に関する勉強をし始めるので、何も言わないでおいてあげてる。
でもたまにはもっと頼んで欲しい。
また別のお客を見てみよう。
例えばあちらのお姉さん。大学生なのか私服でいいお仕事なのか、来る時間は決まってないが、決まって無表情でやって来る。
『友だち』と別れた後の、一般的な女の顔だ。
加減を知らない人間関係の密度、束縛から解放されたはいいが、それで自分の大半が失われ、今では何も面白くないという人種がコレ。
ここから急速に劣化が始まるのが、女の坂である。早く昔の俺の様になるがよい。
「サチコさん。これお願い」
「はーい」
我ながら可愛げの欠片もない声を上げて、海さんから焼きたてのパンが乗った、トレーを受け取る。
そしてレジから出て、パンの陳列棚を入れ替える。
「今年は何だか人が多いね」
「そっすか」
「うん、売り上げはそんなに変わってないんだけど」
苦笑するのはこの店の看板娘の海さんこと『東海』さんである。あずまうみ。
父親こと店長の名前は東雲。あずまくらうど。キラキラネームならぬもくもくネームである。そして店の名前は東雲。しののめ。
「なんか宣伝とかしましたっけ」
海さんは俺とは別の高校に通う三年生。家族愛と常識と加減が詰まった、古き善き保守派。
父親似の褐色肌に、短く刈り込んだ髪型が、特徴である。活発な体育会系を思わせながら、全然そんなことない、穏やかな人物である。
「たぶんサチコさん目当てじゃないかな」
「俺っすか」
焼き立てと入れ替えた、古いほうのパンをレジ裏に下げる。
なんだろう。とうとう俺も看板娘として、認知され始めたのだろうか。
うーむ、まとめているとはいえ、飲食業から見れば長髪で、しかも動くたびに、埃が立ちそうなデカ物を使っているというのが、周りの注目を集めてしまったのだろうか。
人間社会では、基本的に耳目を集めて、いいことは無いし。
「ほら、四月の件、あなただって分かったみたいで」
「四月……?」
「動画なんかも作られちゃって」
「動画……?」
何だろう。これ以上思い出しては、いけないような気がする。
俺の強化された記憶力が、忘れているってことは、防衛本能が働いていると見て、間違いない。この話はここで打ち切るべきだな。
「ほら、ストーカーとの銃撃戦」
遅かった。
「いやいやもう二ヶ月前のことでしょ。とっくに風化してるでしょ」
「うん、だから、そろそろ落ち着いたかなって、見に来る人もいるんじゃないかしら」
「何すかそのシーズン外して行楽地行こうみたいな」
海さんが『そうかも』と言って苦笑する。笑うな。俺にとっては笑いごとではない。お前もだぞ店長。
じゃあ何か、常連じゃない客の幾らかは、俺を見に来たのか。
「動物園のパンダじゃあるまいし」
「でも実際そういうことなんじゃない」
「見世物じゃねえぞ……ありがとうございましたー」
客が数人退店する。喫茶店はあまり大きな額で飲み食いするものではない上に、だいたいの客は牛丼屋の如く、食ったら直帰という風にはならない。
あまり好ましい存在ではないが、お客はそれ自体が生きた広告塔なので、サービスを悪くする訳にもいかない。
「は〜、片付け行って来ます」
レジを海さんに任せて、俺は箒とチリ取りを持って清掃業務に向かう。上等な客はちゃんとトレーを下げてくれるし、テーブルの上も拭いていってくれるが、そうでない客は無論そうでないの。
トレーが置きっぱなしはまだいいほうで、酷いのになると、食いかけがそのままやドリンク零し、果てはパンくずになるまで毟られたが、まとめて見ると毟られる前と体積が変わってないという、惨状まである。
「今回はまだ綺麗なほうだな」
とはいえやることは一つだ。
特に気にせずそれらをトレーの返却台に戻し、食べ残し、飲み残しを廃棄。テーブルの上下を清掃する。最後にトレーを洗浄して、元の場所に戻す。
その間の来店には海さんが対応する。『東雲』は前払い方式なので最初でつっかえるが、その間に準備が出来るのである。
「いつも思いますけど、この時間帯なのに、よく人が来ますね」
放課後の夕方は、晩飯には早すぎるし、一日の最後の隙間時間とも言える。
「この時間帯で開いてて怪しくない、落ち着ける場所は限られてるもの」
「公園だって変なのが屯する世の中ですからね」
夜中に学生カップルが、イチャついてるだけなら、まだいい。
中にはコンビニの前にすら居られない、中高のチンピラが、集まったりするから鬱陶しいったらない。
「変な話よね。色んな人がいるけど、皆が落ち着ける場所がないのよ。自分で落ち着くこともできないの。赤の他人の、何処でもない所じゃないと、安心できないの。うちは助かるからいいけど」
海さんは遠くを見るような目でそう言った。彼女がこういうときは、軽蔑が入っているのは、何となく分かるようになった。
この人は人間のボーダーとして見る分には、非常に優秀だと思う。
特に考え方、他の色々なことや、自分との向き合い方については、ほどほどに正統派なのが良い。
「人の気配と人肌さえあればってことですかね」
「他人の肌の質感の、ボディスーツとかあれば飛びつくでしょうね」
「温もりが恋しいあなたにウェットな関係をってか」
「人の皮を被るの? そのほうが冷たくないかしら」
肌色のボディスーツの身を包んで、ほっとしている人間の姿を頭に思い浮かべる。
滑稽かつシュールな光景に吹き出してしまう。
「バリカンで毛を剃られた猿じゃないんだから」
「あら、そういうことじゃないの」
「まあそういうとこでしょうね」
自由とか解放と言えば聞こえはいいが、放り出したいとか、逃げ出したいの一言に尽きるのだろう。
要はスタイルが人それぞれというだけだ。
そんなふうに優雅な談笑を交えつつ、俺たちは仕事を続けた。店内には落ち着きに来た人々が、憩いの時間を過ごしている。
ずっと居座る客もいれば、すぐ帰る客もいる。これが終わりまで続いていく。
などと言えば耽美さ薫る日常風景だが。仕事の中身には、汗水迸る重労働もある。
「ゴミ出し行ってきます」
配送業者が来れば店長の指示の下、豆の入れ替えをすることもある。日本の夏は湿気の夏故、珈琲豆の仕入れの量は減り、しかし入れ替え自体は増える。
倉庫から引っ張り出された除湿機と扇風機が、店内を圧迫するので嫌な季節だ。
他の商品の入れ替えもきついし、日本の夏はつくづくいらないと思う。
「そろそろね、サチコさん、今日もいいかしら」
「うっす、ご馳走様です」
今日最後のパンの入れ替えを済ませると、お土産の売れ残りパンを包んでもらった。
もうじき定時である。アガタの弁当と合わせ、俺の食生活はこれまでに、類を見ない程充実している。
自分で作るばかりが良い食生活とは限らないのだ。
「あ、いらっしゃいませ」
海さんが俺の背中越しにお客へと挨拶する。恐らく俺にとっては、これが本日のラストオーダーである。
「いらっしゃいませー」
振り向くとそこにいたのは、俺と同じ米神高校の芋だっさい制服に身を包んだ、女子高生だった。
お一人様で、中肉中背。胸も目算Cカップ。髪型も何処にでもあるボブ。手足だって長くも無く、短くも無く、普通。
ただ一点浮いている箇所を挙げるなら、眉間に刻まれた深い縦皺。きつい視線とそれを際立たせる、赤い眼鏡。目つきの悪さって眼鏡で隠せるのに。
今すぐ襲い掛かってきそうだな。
何となくそう思った俺は、後ろ手で握り拳を作って置く。ノイローゼやサイコパスの類なら、そのときは取り押さえなくては。
「あの」
「はい」
目の前の女子高生はレジ前まで来ると、俺に話しかけてきた。テーブルに着くこともせず、レジ周りに備え付けのメニューを、見ることも無く。
「あの」
「はい」
沈黙。なんだよ。何が言いたいんだよ。
あれか、心の声読まなきゃダメか。あれ疲れるんだよな。できればずっと、オフにしておきたいのだが。
「あの、その」
見る見る青ざめて行き脂汗をかき始める女子高生。俺と海さんも顔を見合わせるしかない。
要領を得ない。どんな用事があるのか。
「どのようなご用件でしょうか」
「あ、はい、えっと」
なんだろうなあ。
他の人なら苛立ってくるんだろうけど、何故だか初対面のはずなのに、何処かで会ったことがあるような気がしてならない。疑問と困惑が先に来る。
「あの、私、北栄というんですけど……」
栄。北。北栄。まさか。
「あ、部長の妹!?」
「はいそうです。その栄です」
妙にきつい印象のある挙動不審な少女は、誰有ろう我らが愛同研部長、北斎の妹、北宋と名乗った。
しかし。
「あの部長の……」
見れば見るほど似てねえなあ。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




