・新しい命。新しい問題。
今回長めです。
・新しい命。新しい問題。
「コウ?ウォン?ファン?どれ?」
「どれでもいいんです」
「これはアガタ、だな。ケン?シャン?」
「どっちでもいいです」
「知ってる。蘭はランのままなんだよね」
「はいそうです」
ーー翌日。
俺たちは放課後の部室に集まり、新入部員候補から渡された名詞に、四苦八苦していた。女子高生が自分の名刺を持つ時代か。
名刺の右上には、小さく十字架が描かれている。
「縣は聖人のアガタ様にちなんで、中学で付けられたものでして」
「ミッション系の出身なんだね、でも洗礼名か、未だに有るんだねそういうとこ」
「堅信名です」
「違いが分からん」
「つまりミドルネームよ」
昨日遭遇した落書き犯こと黄縣蘭ことコウケンラン(暫定)は、市外のミッション系の中学出身者らしい。親がミドルネーム欲しさに通わせたそうだ。
本人も漢字二文字だと、物足りないと思っていたから構わなかったそうだ。
最初から名前が三文字だったら、反対していたとも言った。それでいいのか。
「えっと、もう一度確認するけど、中国人とブラジル人のハーフなんだよね」
「そうです」
「ブラジル要素どこだよ」
「アガタだと思います」
聖アガタはブラジル人じゃなかったはずだが、もしかして歴史改変でブラジルの聖人になっているのか。それとも普通にある名前の一つなのか。
「お父さんが婿入りして、私が生まれた時に故郷の言葉で名前付けられなくて、すごく辛かったって言ってたから、中学でこの名前を貰ってから、よくアガタって呼ぶようになりました」
「なんか複雑そうね、それまでは何て呼ばれてたの」
「カトレアって」
蘭だからか。事情を考えるに、蘭って名前を考えたのは親父さんなんだろうな
「でも何でブラジル名を付けられなかったんだろ」
「名前の表記で困るからだそうです」
良く分からない理由が出てきたな。
名前の表記で困るとは。南も先輩も、何のことだという顔をしている。少女が口を開く。
「ブラジルは公用語ありますけど、スペイン語もあります」
「いや、どっちで付けても例えば中国語―スペインもしくはポルトガル語―中国語みたいになるだけの、話じゃないの」
空中に物を置くような仕草で先輩が言う。俺も南も頷く。黄・ブブゼラ・蘭とかでもいいはずだ。それが何故。
「あ! 振り仮名に困るのね!」
南が何か気付いたように手を打った。振り仮名というのは漢字で書かれた名前の上に、ひらがなもしくはカタカナで表記される読み方である。
外国人だとだいたいアルファベットの上に、カタカナで発音が記される。他の国がどうかは知らない。
「どういうことだ」
「だから、中国語や他の外国語が混ざってる状態だと困るのよ!」
なおも疑問符を浮かべる俺と先輩だったが、南は少女を一瞥すると「ちょっと失礼」と言って、一旦席を立った。
そのまま教室を出るが、俺たちにも付いて来るよう手招きする。
「すまんちょっと補習出てくる」
「いえ、確かに説明し難いことですからね」
俺と先輩は揃って退出すると、南がドアを閉めた。教室のほうを気にしながら、説明を続ける。
「つまりどういうこと」
「英語表記がないのよ!」
この時点で先輩も分かったようだ。
俺は分からない、参ったな。
南は苛立った様子で言葉を続けた。自分のレベルを参照した教え方では、俺のレベルには通じないということが、まだ理解できてないようだな。
「外国語の名前を発音する際の仮名の機能を果たす言葉が無いんだ。この世界では米英が滅んでるからね」
そこまで言われてようやく俺の頭にもピンくるものがあった。名前に外国語があるなら『これ何て読むんですか』という問題が必ず発生する。
「ああ、確かにそうだ。蘭をランとカタカナで書いても発音が分からん。ランがR+anだとしてもカナだと『ラン』までしか書けない上に、日本ではそれでよくても中国・ブラジル間では通じない! 日本語が英語の代わりとして機能しない!」
そうかそういう問題か。あれでも待てよ。
「いや待てその理屈はおかしい、アルファベットそのものは有るだろ。幾らこの世界でアメリカ英語が死んでても、そこはちゃんと機能するはずだ」
「さっきあの子自分の名前の発音で、こう言ってたでしょ。どっちでもいいって。そこにスペイン語とポルトガル語が混ざってる、ブラジルの名前が混ざると、どっちでも良すぎて、収拾が付かなくなるんじゃないかしら」
自由度が高過ぎるのか。
「それならいっそのことブラジルの名前で付けさせてやればよかったじゃんか」
それなら変に不自由はしなかったろう。
「まあそこは各家庭の判断って奴ね」
「しかもブラジル側ならまだ読み仮名にアルファベットを振れたけど、それをできない中国側に婿入りをしたっていうのが、この問題の根底を成してるという」
何それ超面倒臭い。頭が痛くなってきた。
「元々の歴史だと中国では外国人の名前を、相手の国の文字じゃなく、勝手に漢字を当てて表記してたの。キングだったら王さんみたいな」
「それ合ってるの」
「この際そこは置いといて頂戴。ただ日本が支配したからそれが許されなくなったのね。地元の名付け方は残したけど、相手の名前の表記は相手の国に準じる様にするって対応をしただけだと思うんだけど」
国際婚を想定してなかったっぽいな。
「文化圏でモロに齟齬が出たと」
「人の名前をそのまま呼ぶのに抵抗がある文化なんて聞いたことねえよ」
考えてみればブラジル人の血が入ったスポーツ選手や沖縄県民も似たような苗字してんな。
あれも当て字と考えると、漢字の文化ってあんまり人に優しくないのかも知れない。
「地元の風習が国際婚の邪魔になるなんて珍しくない話よ。あと、忘れてると思うけど、この世界だと日本は清とブラジル倒して獲得してるから、あくまで本土から見て便宜上国と言ってるけど、どっちも日本領で一地域だからねサチコ」
国籍はどうだっていいんだ。両国の名前に振り仮名を触った所で、その振り仮名の発音が分からないままだし。
そこは細かい問題だとしても、どの道日本語では読めないという点はそのままだ。
中国地方(大陸側)では、他の国や地方の名前を受け入れられてないという現実が、横たわったままか。
「駄目な所が分かっただけだな、あれ」
「どうしたの」
「何で言語が日本語に統一されてないんだ、どっちも日本領なら当然教育に、日本語学習が入っているはずだろう」
さっきの話だと一応は少女も日本人である。
父親がブラジル生まれで、母親の中国に婿入りしたとしても、双方共に日本領だからだ。そして少女自身は日本語を、不自由なく話せている。
「いや、百年以上歴史のある地の言葉を、百年以内に塗り替えるなんて無理だよ。名前の文化も残ってるままだし、上手く行ってないんじゃないかな」
「今はどうか知らないけど、親御さんはたぶん母国語を話してたんでしょ」
「そう考えると逆にあいつが流暢な日本語を喋ってることに、一抹の不安が過ぎるな。両親と言語的な不和とか無いといいが」
お互いに相手の国の言葉は話せないが、言ってることはほぼ全て分かるという者同士が結婚した際、子どもは親の言ってることは何となく分かるが、話せないという中途半端な状態になりがち。
結局の所、言語は住んでいる国の言葉を、優先的に覚えるという話がある。
あの子がそうなのか、知りたいような知りたくないような。
「ともあれ一度この話はここまでしておきましょう」
「そうだね」
「切りが無さそうだしな」
取り合えず別の疑問点が浮かんだものの、最初の『何故少女の父がブラジル名を付けさせて貰えなかったか』ということの背景は、何となく分かった。
占領したなら占領した土地の中で、言葉が通じるように調整の一つもしとけよ祖国。
「お待たせ。たぶん分かったぞ」
「サチコ、それ分かってない人の台詞」
部室内へ戻ると、少女は手持ち無沙汰に、室内を見回していた。
「ごめんなさい、二人とも成績以外は悪い子じゃないのよ」
俺たちは学年とクラス平均を、下回ったことなんかないけど、南に言われると言い返せないのが悔しい。
「いえ、大丈夫です。気にしてませんから」
「ごめんね私たち外国人と話すの慣れてないからさ」
「いっちゃん、コウさんはれっきとした日本人よ」
「あっごっ、ごめんね、悪気は無かったんだ」
南に咎められる、と先輩は直ぐに謝った。
正直言うと俺も少女は外国人だと思う。海を隔てた地域で、名付けのシステムも、人種も違うとなれば、それを同じ国の人間と扱うのは無理がある。
少なくとも俺には無理。
まあ既に日本人でない俺が言うものでもないけど。
そういやミトラスは俺を巨人族と言ったけど、巨人族の何種までかは、分かってないんだよな。有るかも謎だけど。顔は日本人のままだし。
しかし歴史が変わると、こういう元の歴史ではいなかったであろう、人間の登場も起こり得るんだなあ。
「この際そこはどうだっていいよ。それよりも先に、問題があるだろう」
「え、まだ何かあったっけ」
「いっちゃん、さっきのはコウさんのおうちの問題であって、うちらとは別の話でしょ」
南の言うとおりだ、俺たちには依然として悩ましい問題が残されていた。それは。
「コウさん、その、こんな質問は変だって思うかも知れないけど、いいかしら」
「あ、はい何でしょう」
「あなたのこと、何て呼んだらいいかしら」
彼女の呼び方であった。
「え、それが問題」
「じゃあいっちゃんは何て呼ぶのよ」
「それは、えーと」
苗字・苗字・名前の組み合わせに、戸惑う俺たち。しかも名前間違えがない、どちらでもいいという読みと発音が入り混じるのだ。
愛称でさえ相手を相手たらしめる正しさ、しっかりと定まった発音と、表記があればこそ。
「あまり変なのじゃなければ、好きなように呼んでくださって、大丈夫ですよ」
故に自分たちが呼んだ名前に、正しさが与えられないとなると、何とも座りが悪いのである。
一方的にこちらが、そう呼んでいるだけのような、気がしてくる。とはいえそれを言ったところで、どうなるものでもない。
「この自分がそうだと思ってるという、つもり以外の意味がないっていう虚無感のある関係性って、Sで始まる四文字のパンクっぽくない」
「どっちもだよ」
そして俺たちはもう一度、少女の名刺に目を通して黙考し、幾らかの時間の後に、お互いの顔を見る。
どうやら皆この新入生の呼び名が決まったようだ。
「じゃあ取りあえず、この子の呼び名なんだけど」
「アガタだな」
「ファンさんね」
「カトちゃんだよ」
三人が三人とも顔を見合わせてから、アガタのほうへ顔を向ける。彼女は少しだけ、困ったような笑みを浮かべた。
「好きなふうでいいですよ」
「じゃあアガタだな」
「ファンさんね」
「カトちゃんだってば」
無言で見つめ合う我々。
異論も反論もないが、認めてないことは分かる空気が場に満ちる。満ちるだけ。
「じゃあまあ、よろしくお願いします」
「はい」
……そういう訳で、俺は彼女のことを『アガタ」と呼ぶことにした。俺は。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




