・麗しの問題児
今回長めです。
・麗しの問題児
お礼参りというものか。卒業生が去ったばかりの校舎裏、グラフィティめいた落書きが、駐輪場方面の壁に描かれていた。
つい先日までこんなものは無かったはずだが、実際有るんだから困ってしまう。どうも一晩でやったものらしい。結構な手際だ。
大きさは上が俺の身長よりやや高く、横は自転車二台分くらいだった。
男子の仕業にしてはサイズが不足しているし、女子の趣味というものでもない。背の低い男子の犯行か。それも違うような。
俺は愛同研のホワイトボードに、貼られていた雑用の依頼の中で、この壁にペンキを塗り直す仕事を引き受けた。
事務方の先生の話から、こういうことがあるのは、決まってこの時期であることが分かり、そこから卒業生か新入生の、どちらか仕業と予想がつく。
超能力での読み取りを使えば、犯人は分かるが疲れる上に、興味もないのでやらない。
未だにこういうことがあるのが、時代に取り残されてる田舎って感じがする。
ちなみに作業に当たって、俺は制服の上から無理やりジャージを着ている。着膨れているため、ぱっと見レスリング部や柔道部員に見えることだろう。
「芸術性の高い落書きだなあ」
壁に描かれたものを見て思わず呟く。
放課後の夕方、校舎裏が夕日に照らされて、描かれた物を照らし出す。他の時間帯ではそうでもなかっただろうが、今は別格の映え。
スプレー主体らしいこれに、筆致というのも不適当な気はするが、肉厚な質感の蘭が橙色に輝き、華やいでいるのである。
日中は黄色だったのだろう、これは夕日の赤を受けての色だ。日が落ちて行けば、今度は緑色に見えるように、なるかもしれない。
「このまま消すのは惜しいが」
何となくそう思ったが、同じように考えている生徒もいるのか、来る者は蘭をじっと見てから帰るのだ。
園芸部の活動の成果で、校内にも観賞用の草花が増えている。生徒たちの情緒も、少しは育まれているのだろう。
これが蘭ではなく、他の文字やキャラが描かれていたら、評価は全然違っただろう。
折角だから写真くらい撮っておこう。部室に行けば先輩がカメラを持ってるだろう。何の根拠もないが、絶対持ってるはずだ。
「取り敢えず、こいつは置いといてと」
俺は他の人が蹴り倒さないように、持っていたペンキの缶と刷毛を、その辺の植え込みの傍に置いた。
もう一度振り返って絵を見る。ふわっと放射状に広がった花びらが五、六枚付いている。この手の蘭は白か紫色だったような気がするが。
どうだこの女子力。俺だってちょっとくらいの知識はあるのだ。
「あの」
「あ、はい」
まじまじと見ていたら声をかけられた。見ない顔の女子だ。背は南と同じか少し下くらいで、華奢な印象を受ける。
細い。俺の半分くらいしか無いんじゃなかろうか。
小顔に形のいい鼻、柳眉に切れ長の目、手足が長く色っぽい。新入生だな。
「なんでしょ」
こんな器量良しがいたら、南や衣装部の部長(既卒)の影が、もう少し薄くなっていただろう。中華系の美人といったところか。
夕日を受けて煌めくサラサラの長は、背中まで伸びている。しかし現在目の下にはクマがあって、容姿の格を一段落としてしまっている。寝てないのか。
「これ、消しちゃうんですか」
「あーうん。そうだね。勿体ないけど、仕事だから」
少女は一瞬嬉しそうにしたが、すぐに落ち込んだ。もしかして犯人だろうか。
有識者ならこの子の状態を見て、落書きの著者かどうか分かるんだろうな。仮にこの子が犯人だったとしても、とやかく言う理由はないが。
「折角だし、カメラを持ってきて、一枚取っとこうと思うんだけど、君も要る?」
「あ、えーと、はい。欲しい、です」
顔を赤くしながら少女は言った。表情の変化が分かり難いが、嬉しそうだ。アルカイックなスマイルが似合うな。
「ただこれを描いた奴は惜しいな」
「え、何でですか」
「ここの壁って、綺麗なスベスベの奴じゃないだろ。変に泡立ってるというか、安物のマンションの塗装っぽいというか、起伏があるというか。選ぶキャンバスを間違えたんじゃないかってさ」
俺がそう言うと、少女は反論した。
「でも、それが面白かったのかも知れませんよ。初めから凹凸のあるカンバスなら、その時点で立体感を少しは持たせることができます」
「そうかな。その立体感を出せない腕前には、見えないがなあ。まあ日当たり考えると、いい所はここしかないっぽいけど」
「ええ、だからきっと、たまたま気が向いたんです」
「なるほどなあ」
たぶん犯人だなこの子。
「じゃあちょっと部室行ってカメラ借りてくるから」
「部室って、あの、何部なんですか」
「愛同研っていうんだけど」
推定新入生が怪訝そうな顔をする。
分かる。どれだっていう表情。上の名前を出せよって顔してる。伏せてる訳じゃないんだよ。
「部っていうか会なんだけど」
「あ、ああすいません」
何故か申し訳無さそうに少女は言う。そんなに気を遣わないでください。マイナーな部活未満の出自を、問い質してすいませんて顔しないで。
「いいんだ。胡散臭い集まりではあるんだし。んじゃ行ってくる」
そう言ってその場を後にすると、俺は愛同研の部室へ向かう。
中には今日も元気によく分からんことに全力な先輩がいたので声をかける。
「先輩カメラ貸してください」
「え、ごめん今ポラロイドしかないんだけど」
「構いません」
本当に持ってたよこの人。
俺は先輩にお礼を言うと、無骨ながらもレトロさと未来感の入り混じる、黒色の四角い物体を受け取り、急いで引き返す。
で。
「すまんポラロイドしか無かったよ」
「携帯のカメラでも良かったのに」
「俺は携帯電話持ってないんだ」
既に彼女は、自分の計帯電話に備え付きのカメラ機能で、絵を撮影した後だった。俺は自分のためだけに撮影することになったが、まあいいや。
側面のレバーを押すと、内部に格納されていたレンズ等が上に飛び出す。この玩具のようなギミックが、なんとも言えず楽しい。
ただしフィルムが高い上に、その容器の縁が指を切るほど鋭いので、正直あまり触りたくないのが、玉に瑕である。
「青くして夕方に紫になるようにするか、それとも赤くして、夜に紫になるようにするか。そもそも白でもない。夜間で色が見え難かったんだろうが、黄色でもそれは同じだろう。よく描けたもんだな」
「きっと馴染みが深かったんですよ」
「そっか」
試し撮りで一枚。手元のスイッチを押すと、わざとらしいくらい『パシャッ』て音がした。
出てきた一枚は確かに蘭を写してはいたが。
「なんか光が入っちゃってるな」
「なんでしょう。幽霊ですかね」
少女が真剣に聞いてくるのが、ちょっとだけおかしかった。うん、幽霊か、かわいい感想である。
「フラッシュが要らなかったのかもな。こういうときは細かい調整ができる、携帯のほうがいいって、痛感するよ」
「今は写真撮影用のユバニもありますからね」
ユバニというのは、どうやらアプリのことらしい。この世界では英語圏が壊滅しているので、第二外国語的なポジションには、ドイツ語か中国語かポルトガル語が来る。
中国語は地域が広すぎて、通じないのは変わりがないようで、もっぱらドイツかポルトガル。
マックスも余計なことしてくれたなあと、思わないでもない。物価が安くなることと引き換えに、言語は覚え直しである。
※マックス 異世界転生を果たした日本人。苗字は石塚。時間移動、時間操作などの、とてつもない能力を持っている。転生前の自分の死を無かったことにするために、試行錯誤した際の副産物がこの世界である。
「どれもう一枚。お、今度はちゃんと撮れたな。でもなんだか狭い」
二枚目の写真には、謎の光が写りこむようなことはなく、そこそこ綺麗な橙色の欄の姿があった。
ただし目の前の実物に比べて、小さくしょぼい印象を受けてしまう。これはこれでそういう絵に、見えなくもないけど。
「写真のサイズがありますから、どうしても潰れちゃいますよ」
とはいえこればかりはどうしようもない。大判で印刷できるような、機材も施設も知識も無いのだから、普通にシャッターを押す以上のことは、俺にはできないのである。
「素人にできる扱いとしちゃあ、ここまでだな。じゃ悪いけど消すぞ」
「あ、はい……」
少女が頷いて下がる。さっきよりは表情が明るい気がする。俺は駐輪場の傍にある、水道へホースを伸ばして、蛇口を繋いだ。
壁を一度水で流してから乾いた雑巾で拭く。そして白いペンキの入った缶の蓋を開ける。水性である。
近所のホームセンターで、油性と薄め液をセットで買ったほうが安上がりだけど、一々調整するのが面倒臭いので、こちらを使用する。
刷毛の毛先を浸して上か下へと塗っていく。せめてあんまり汚くない消し方をしてやろう。壁の起伏のせいで、今一つ上手くいかないが。
作業自体は十五分くらいで済んだ。雑にやれば十分くらいで終わったと思う。さっきまで蘭が咲いていた壁は、元の白さを取り戻していた。
「終わっちまったな」
「そうですね……」
なんだかんだで余計なことをしたり、遅めの行動を取ったりしてたから、そろそろが日が沈む。
少女は寂しそうな笑みを浮かべている。うん、やつれてはいるが、綺麗だな。
「俺は事務局に連絡して、見てもらってから帰るが、あんたどうする」
「あ、帰ります。お手間をお掛けしました」
うん、やっぱりお前描いたろ。確認しないけど。
「美術部に入ってやれないのかね」
そう言いながら校舎を見やるが、ベランダには誰の姿もない。
落下防止というの名の、飛び降り禁止令が全国に出ているから、校舎の窓は嵌め殺しになっている。出られる所と出る方法は、あるようだが。
「無理ですよ。部活だとやることは決まってますし、こういうのはノートの外でやるなら、ベニヤ板とか大きなカンバスが必要です。場所も取るから、とても」
ふーん。やりたいことはあるけど、部活ではできないか。そういう事情の生徒には、打ってつけの場所があるんだよなあ。
「なあ」
「はい」
「あんたさあ、うちの部に入ってみない」
え、という声が目の前の女の子から漏れる。改めて聞くと声も綺麗だな。
彼女は驚き、俺の顔をしげしげと見つめていたが、少しだけ悩むような素振りをした後、小さく頷いた。
「一先ず、見学だけなら」
「分かった。場所は四階の一番奥の空き教室。遠いけど辛抱してくれな」
少女は分かりましたと言って、はにかんだ。うん、自然な可愛さだ。南の様に、意識して作ったものじゃないので、好感が持てる。
「俺はサチコ。あんたは」
「あ、はい、ええと」
「どうした」
少女は言い淀むと、鞄から一冊の革の装丁がされたメモ帳を取り出し、頁を一枚破った。そこにさらさらと何かを書き付けていく。
「こうです」
そこには漢字三文字で、次のように書かれていた
――『黄縣蘭』
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




