・発覚
・発覚
臼居祥子停学。
その報せは瞬く間に学校中に広まらず、彼女と関わりのある、一部の人々にのみ知れ渡った。
いや、知ってる人は知ってるが、知人でも知らない人は知らない。その程度のことだった。
しかし知っている人からすればそれなりに大事で、彼女の非ダークサイドを知っている者は、衝撃を受ける男子、インスピレーションを刺激される女子、ネタとして漫画にする女子、他人事な女子と反応は様々であった。
そんな中、彼女に一番近しい友人たちは、机に座り向かい合い、しばし沈黙していた。時は放課後、場所は愛研同総合部部室。
ほぼいつも通りの部活。
部員の停学で話題は持ちきり、ということもない。
敢えて他人の不幸を口に出そうという者もおらず、不安に思う者も、それを誰に言えばいいのか、分からないでいる。そんな状態であった。
しかしながら一人の女生徒は違った。項垂れて深々と溜息を吐いた後、友人の持っているタブレット端末を操作する。画面には動画投稿サイトに投稿された、一つの動画が再生されている。
この学校の女子生徒と思しき人物が、電車を止めるという非常識な迷惑行為を働いた後、父親らしき人物とのケンカに発展し、相手を殴り飛ばして線路に叩き落としたというものである。
思しきというのは、この動画が投稿された時点で、顔にはモザイク処理が、掛かっていたためである。
誰が撮影したかは定かでないが、去年の大晦日頃に投稿されたこの動画は、それなりに反響を呼んだ。
それが正月特番でテレビに紹介され、制服から学校を特定した暇人が、正月休みに託けて、面白半分に学校へ苦情の電話を入れた。
学校内に高身長の女子は何人もおらず、また特殊な事情を抱えている者は、その中で一人しかいなかったため、特定は早かった。
そして確認が取られた後、暫定的に停学の処分が下された。
祥子の不幸と不幸中の幸いは幾つかあった。
家庭に恵まれなかったこと。小田原駅での一件が撮影されていたこと。動画にはモザイク処理がされていたこと。学校側がもうずっと職務怠慢であったこと等々。
取り敢えずの停学で、その後どうするかはまだ審議中である。更なる罰が待つか、ここで手打ちとなるかの瀬戸際であった。
現在この問題における学校側の対応は、先ず県外からのクレームは受け付けないことと、電話相手の身元を確認し、会話内容を記録するということであった。
これだけで耳を傾ける対象が激減した。
義憤というありもしない大義名分を掲げて、安全圏から未成年を袋叩きにしたいという、卑劣さが浮き彫りとなった形である。
ともあれ学校側は祥子に罰を与えつつも、これ以上ことが大きくならないようにしたい、というのが本音のようであった。
学校には選択肢が三つあった。動画に出た生徒はいなかったと白を切り通すか、既に罰を与えたと発表すべきか、或いは退学処分で学校と切り離すかである。
前・中・後の三段において本来なら中は無い。組織の体質として、保身を考えるなら有りか無しに収束しがちである。
わざわざ露出する傷口を、残すようなことはしないのである。傷を負わないか、傷を負った部位を捨てるかである。
にも関わらず、祥子が中途半端な処罰を受けたのは、また幾つか理由があった。
それは学校という仕組みには反省文・停学・留年・退学と段階を踏まえた、懲罰規定があること。
一足飛びに退学となるような重大な非行・不祥事となれば、問答無用で退学にできるし、人を線路に殴り飛ばすなど、勿論退学ものの不祥事ではある。
しかし祥子の証言から、本質が家庭内の問題であることと、殴られたほうが吹き飛んだこと自体は事故であり、小田原駅側はこの件を、既に終わらせていることが判明している。
強い罰を与えれば、背景を明らかにすることを求める声が出る可能性が高まる。そうなると彼女の学校生活を辿られ、やがて学校は今まで何をしていたのかと言われるであろうことは、明白だった。
藪を突いて蛇を出す可能性を考慮し、自分からやるなどとは、絶対に言い出さなかった。
また彼女の存在が、彼女のクラスの不祥事と、密接に関わりがあることも、懸念事項だった。
保身と生徒への猜疑心が彼らを手控えさせていた。
絶対の安全が確保されなければ人を殴らず、逆にそれさえあれば、躊躇なく襲い掛かるのが、島国根性であり、人種的な性であった。
かくして一先ずの対応が、安全な範疇での罰、即ち停学へと繋がったのだ。
そして次に愛研同の存在がある。
現代において奇妙に広範な繋がりと、不思議と強い団結を持つ集団である。一種の隣人愛とでもいうべき感情に恵まれた、趣味人の集まり。
その行動力の高さは、部長の北斎の二年間の行動で周知されていた。学校側に厄介者と認識されている、この愛研同に祥子は所属していた。
彼らは理不尽と不条理、要するに大人だけのご都合主義をふっかけられることに、断固として否を訴える過激派である。一部で祥子は部長の忠犬と揶揄されている。部活での祥子は、すこぶる善良な生徒なのだ。
米神高等学校は去年の夏に明らかになった旧校舎の件や、愛研同の部活化騒動で経営陣が疲弊し切って、もう何も触りたくないというのが本音であった。
一人の生徒を庇うために、生徒たちが団結するのではという恐怖もあった。彼らを制限するために雇った非常勤の顧問も、騒ぎになれば辞める者も出る。
役に立つ味方が増える見込みは無かった。
最後に祥子のクラス。教室内が荒れ果て、生徒の数もまばら。紐解けばいじめの発覚は免れない。正確には『いじめが発覚していることを教師が隠蔽していたこと』の発覚である。
祥子に危害を加え続け、やがて返り討ちに遭い、警察にバレたこともある。それらの案件を、担任が勝手に有耶無耶にしたことが、本人の口から語られたら。
そしてそのことが、この状況で世の中に知れたら。
祥子は社会的に見れば極端に弱者である。しかしながらそこに度々ぶつけられた悪意は、彼女の意思とは関係なく、彼女を爆発物にさせた。
暴力を振るえば暴力を返し、悪意を注げば悪意を吐き出す。しかしそれだけである。
彼女自身は自発的に、それらを行うことは、滅多にない。善意の日輪と平穏の風の下では、一介の生徒に過ぎないのである。
祥子を『失うものが無い危険な無敵の存在』と捉えて止まないのは、常々ありもしない敵を、作り出す者たちだけ。
そのことを理解している者は、多くは無いがいない訳でもない。
二月の祝日も迫る放課後の米神高等学校、愛研同総合部部室にて、その多くない理解者の内二名は、沈黙したままタブレットの液晶に再生される、動画を見ていた。
一人は北斎。
小田原に降った現代の及慈雨。文化的な才能に溢れた人材を取りまとめる、一角の人物である。温厚な人物から気性難までを一つに集め『君臨すれども統治せず』を地で行く女子高生。
一人は南号。
未来から来たアメリカの大学生。日本人。八方美人のゆるふわガール。自分の扱う分野外では、ほとほと役に立たない部員に代わり、事務的な作業と情報整理を補う、智多星系女子高生。
彼女たちはそれぞれに思うところがありながらも、言うべき言葉を見つけられないでいた。動画の時間は長く、一本見終わる頃には、部活の時間も残り僅かとなっていた。
「どうしたものか」
長く深い溜め息を吐いてから、斎が呟いた。
「困ったわね」
静かに目を閉じて俯くと、南が呟いた。
言うべき言葉や採るべき行動を、見つけられずに、二人はしばし考えた。いや、考えようとした。
何からどう考えるべきかすら、決められないでいたのだから。
「とりあえず、うちのノンアル花和尚の様子を、見に行こう。それから考えよう」
「そうね。出来ることがあるか、あったとしてそれをやるか、無いか、無ければどうするか」
「止そう。今は頭を止めて置くべきだと思う」
選択肢を羅列して、思考を整理しようとする南を制止すると、斎は窓の外を見た。
二月の夕焼けは既に落ち、夜の闇だけがそこにある。大多数の人が、目を向けないであろう闇が。
「そう、そうしましょうか」
南が疲れたように言葉を吐き出すと、二人はどちらからともなく、荷物を持って部室を後にした。小さな物語がまた一つ、動き始めた瞬間であった。
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文章と行間を修正しました。




