第九章 風暴の中心で
坊市を覆っていた砂埃が、徐々に晴れていく。
辺りは、不気味なほど静まり返っていた。
先ほどまで隅で身を縮め、震えていた散修たちは、息をすることさえ恐れるように口を閉ざしている。
崩れ落ちた石壁。
その瓦礫の中に倒れ、重傷を負ったまま意識を失っている執法頭領。
誰もが、恐怖に満ちた目でその光景を見つめていた。
天剣宗がこの地を支配してきた数百年。
山門の麓で、執法隊がここまで無残に叩きのめされたことなど、一度もなかった。
「行くぞ」
終夜は一瞬たりともその場に留まらなかった。
遠くへ視線を向ける。
すでに天剣宗の山門では、いくつもの警報の霊光が次々と灯り始めていた。
終夜はそれを一瞥すると、晏清を連れて素早く坊市の入り組んだ路地へと身を滑り込ませた。
二人が去って間もなく――
数道の強大な神識が、潮のように坊市全体を覆った。
「なんという大それた真似を!」
「天剣宗の山門前で、よくも我らの弟子を襲ったな!」
空中。
金色の長老袍をまとった中年の男が、宙に立っていた。
その顔は、今にも水滴が落ちそうなほど険しく歪んでいる。
眼下に広がる惨状。
そして、重傷を負った部下。
それを見た男は、怒気を滲ませて命じた。
「雲嵐山脈の全ての出口を封鎖しろ!」
「地面を三尺掘り返してでも構わん!」
「――あの二人の狂徒を必ず見つけ出せ!」
その命令が下された瞬間。
天剣宗全体が、大きく揺れ動いた。
無数の弟子たちが一斉に山を下りていく。
坊市全体が、張り詰めた空気に包まれた。
至るところで捜索が始まり、逃げ道という逃げ道が次々と封鎖されていく。
まさに――
風声鶴唳。
誰もが、次に何が起こるのか分からないまま息を潜めていた。
だが。
その風暴の中心にいるはずの終夜と晏清は――
盲目的に逃げ続けることを選ばなかった。
二人は周辺の地形を正確に把握し、追っ手が向かう方向とは逆へ進んだ。
そして。
雲嵐山脈の外縁部。
そこにひっそりと残されていた、廃棄された鉱洞へと入り込んだ。
鉱洞の中は暗く、湿っている。
空気には、かすかな霊石の残滓の匂いが漂っていた。
晏清は冷たい岩壁に背を預け、わずかに息を整えていた。
連続した激戦。
そして、真元の消耗。
その影響で、顔色は少し青白くなっている。
それでも、その目だけは異様なほど明るかった。
「天剣宗は今、精鋭を全部山道と坊市の封鎖に回している」
晏清は小さく息を吐いた。
「まさか私たちが逃げるどころか、自分たちの目の前にある廃鉱脈へ潜り込んでいるなんて、誰も思わないでしょうね」
終夜は地面にあぐらをかいていた。
わずかな光を頼りに、手にした鉄剣をゆっくりと拭いている。
その言葉を聞くと、静かに目を上げた。
「一番危険な場所ほど、灯台下暗しの傲慢さに満ちている」
終夜は淡々と言った。
「天剣宗は、高いところに立つことに慣れすぎている」
鉄剣の刃を布で拭いながら、続ける。
「奴らは、蟻どもは山の下で震えているだけだと思っている」
「まさか、その蟻が自分たちの核心へ刃を向けてくるなんて、考えもしない」
終夜は立ち上がった。
そして、鉱洞の奥へ歩いていく。
やがて、一枚の古びた石壁の前で足を止めた。
石壁には、何かの文字が刻まれている。
ひどく風化している。
だが、その残された古代の符文の一部からは、かすかな霊光が漏れていた。
晏清も後ろから歩み寄る。
眉を寄せ、石壁を見つめた。
「……これは?」
終夜は答えなかった。
しばらく符文を見つめてから、静かに口を開く。
「天剣宗の護宗大陣、その核心へ通じる――『盲区』だ」
晏清の表情が変わった。
終夜は振り返る。
その目は、深い淵のように静かだった。
「奴らは、護宗大陣を宗門を守る鉄壁だと思っている」
「だがな」
終夜は石壁へ手を伸ばした。
「この陣を築いた者は、ずっと昔に陣眼の奥へ、もう一つの因果回路を残していた」
「この隙間に沿って切り込めば……」
終夜の口元に、冷たい笑みが浮かぶ。
「今夜――」
「この高みに君臨する宗門にも、自分たちの切り札に噛み殺される味を、少しばかり味わってもらおう」




